iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

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【平安時代】源氏物語×アイドルマスター【源氏m@ster】
 くるわP
 

 能では源氏物語を題材にした曲が沢山ありますが、私はほとんど知りません。見たことは何度もあるのですが、源氏物語を全然知らないので、見てても全然面白くないのですw 能というのは江戸期に教養芸術になってしまったので、こういう風に、「分かってないと面白くない」ものが沢山あります。能楽師の皆さんは「何も知らずとも、見て、聴いて、そして感じてください。それが全てです」と言うんですが、私は反対ですね。だって、知ってたほうが面白いんだもんw ニコマスと同じですよ。
 私も自分が歌える曲は、見てて面白いです。というか、昔から能というのは、習ってた大名がみんな人前で演じたように、西洋の芸術のような、芸術家と鑑賞者が断絶してるものではなかったんです。昔から能を習った人はみんな人前で演じたがったし、今でも能を習うと、頻繁に発表会をやらされます。しかもその時は大抵、プロと同じ、本物の能楽堂でやりますw 「能の舞台は神聖なもので・・・」って思うかも知れませんが、我々素人でも普通に上がって発表します。和服がない人は、足袋だけ履けば、スーツでも上がらせてもらえます。意外と敷居が低いでしょ? 私は昔、ピアノを習ってて発表会にも出ましたが、小さい地元の汎用ホールでした。それが能だと、最高級の舞台でやれるんですね。
 発表会の参加料は場合にもよりますが、1?3万くらいですか。これは会によって大きく違います。普通に3分ぐらい仕舞をやるだけでも、15万とか取る会もあるし、プロがお囃子をやってくれる15分くらいの「舞囃子」というものを出しても、1万5000円とかの会もあります。こういうのは要注意ですよね。あまりネット上に情報がないので、習うにしても、能楽堂主催の能楽教室とか、私が今通ってるような文化センターで習うのが、料金の透明性の面から一番です。こういうところはもっと改善してほしいところです。
 まあ、歌舞伎とか文楽みたいな、あなたは芸術家、私はお客さん、という芸能とは違うんですね。江戸時代に謡を習ってた人たちも、ちょっと高級なカラオケくらいの感覚だったんじゃないかと私は思ってます。だから能というのは、「能を見る人は、能を習ってるのが当たり前」という部分がどうしてもあります。私も最初はそれが嫌で、「何も知らないお客さんが感動出来ないものは芸術としてレベルが低い」と思ってたんですが、ニコマスなんかにハマった今から見ると、まあ、こういうのも一つのあり方じゃないかと思ってますw 何も知らないお客さんを感動させなければ芸術ではない、というのも、一つの先入観かなと思います。ただそれを突き詰めて行くと、どうしても「内輪受け」になるので、難しいところです。

 私が知ってる源氏物語関係の能というと、「玉鬘」くらいです。ただこの曲は、他人に振り回され続けたはずの玉鬘が、「ただ身一つの報いの罪や数々の、浮名に立ちしも懺悔の有様」とか言ったりする、何とも屈折した曲です。これを中世の女性蔑視の表れと見る人もいるんですが、私は単純に、江戸期に改変された結果だと思ってます。この曲は玉鬘が終始「妄執」に悩むのですが、何に対する妄執なのか歌詞からはよく分からず、そのくせ主役の玉鬘は後半、唐織の右袖を、腕を入れずにだらりと垂らし(「脱ぎ下げ」と言います)、後半の謡も修羅ノリと呼ばれる武将モノのノリを真似た、ややテンポの早いものです。そこで玉鬘は「秋の葉の身も朽ち果てね、恨めしや(秋の葉のようにこの私の身も朽ち果ててしまえ、恨めしいことよ)」とまで言いますので、多分、昔は結構ドロドロした情念を表現する曲だったのが、江戸期の武家社会の価値観と合わなくて、色々削られた結果、意味不明になったのかなと思ってます。でも、作者の金春禅竹という人は仏教的な価値観を能に色濃く持ち込んだ人で、そこまでエグイことはやらなかったはずなので、どこからどこまでが改変で、どこからどこまでが禅竹のオリジナルなのか、今となっては藪の中です。
 そんなこんなで、能を楽しむ上でも源氏物語の知識は必須の教養なのですが、いかんせんとっつきにくく(伊勢物語は読みました)、もし動画を作ってもらえたら、これを期に見てみたいなと思いました。

 それくらいのことで、長々と書いてしまって、どうも申し訳ありませんw
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非アイマス 能 : 『能に憑かれた権力者たち』読書メモ
 『能に憑かれた権力者たち』という本が結構面白かったので、メモ。

1.信長は鼓の名手だった。
 細川藤孝の邸で足利義昭が能を催した際、信長は義昭に鼓の実演を所望されたが、断った。しかし信長がやれと言われたのは「道成寺」という秘曲で、現代ではこれを素人がやるのはおよそ考えられない。その理由は曲の途中に「乱拍子」という、独特な、一種の奥義として伝えられる一節があるから。だから子供の時から鼓を習っている人でも、まともな舞台の上で発表することは、多分一生ない。それをやれと言われたのだから、信長は相当鼓が上手かった可能性がある。
 ただし信長にとって能はあくまで「娯楽」であって、秀吉のように能狂いになることはなかった。長男の信忠が能にハマっていると知った時は、怒って道具一式を取り上げている。信長にとって能は、あくまで武将が「嗜む」ものであって、熱中すべきものではなかった。ただしこの時、実は信雄と信孝も能にハマっていたのだが、親父にバレずに済んだというオチがついている。
 ちなみにこの「能」を、「テレビゲーム」「漫画」「携帯」に置き換えれば、現代人もニンマリできること請け合いである。

2.家康は結構、能が上手かったかも。
 家康は人質時代、観世十郎太夫から、少なくとも謡の稽古を受けていたようだ。
 役者としての腕前はよく分からないけれども、聚楽第で『船弁慶』をやった際は、下手で見てておかしかったという。しかし『武辺談判』はこの時のことを、家康が秀吉の前で熱演するのを嫌ったためだと見ている。つまり、実は上手いのに、手を抜いていたのだと解釈している。これが本当なら、家康も役者として能が上手かった可能性がある。

3.細川藤孝の大鼓(おおかわ)はチート級。
 古今伝授、塚原卜伝から習った剣術、弓術、茶道、蹴鞠と「戦国最強の文化人」とも言える細川藤孝。im@s架空戦記では将軍家の名脇役としていぶし銀の魅力を放つ彼だが、実は能の大鼓も上手かった。演奏を聞いたプロの大鼓の奏者が感動(絶望?)で泣いてしてしまったり、若い大鼓のプロが、わざわざ彼のところまで「懺法」という特殊な大鼓の演奏を習いに来たりしたらしい。「いや、お前の周りにいるプロに習えよw」と言いたくなるのは私だけではあるまいw とにかく相当の腕前だったようだ。
 ちなみに長男の細川忠興も能の役者が出来た。記録では17年で83回もシテ(主役)を演じているというから、相当なものだろう。

4.秀吉が能に狂ったのは最晩年の6年間だけ。
 意外なことに、秀吉はずっと茶の湯にばかりハマっており、能に興味を示し始めたのは57歳からの5年間だけ。ただしそこからのハマりようは尋常でなく、自分の業績を称える十番の能、いわゆる「豊公能」を作らせた。それは「仏となって現れた大政所が秀吉の孝行を称える」などといった自画自賛モノで、これを自分で(秀吉の役を)演じたというのだから、やはりただ者ではない。
 また、秀吉がわずか50日間で10曲の能を覚え、それを人前で披露したということから、当時の能が素人にも覚えやすく、今のような大曲志向ではない、短編的な性格のものであったことが分かる。1日に13番やることもあったというから、現在の一曲90?120分以上かかるものとは全く違ったものであったろうことは想像に難くない。

5.観世太夫身愛(ただちか)が秀吉の能の途中で居眠り。秀吉激怒。
 表題の通り。このブログでも一度書いたかもしれない。それくらい有名な話。安土桃山時代から、既に能は眠かったwww
 処分は能の道具や書物を一時的に没収した上で、米の配給を止めるというもの。秀吉の怒りが伝わってくるw

6.その他、能を嗜んでいた武将たち
 以下、秀吉が催した禁中能(舞台は紫宸殿前に設置したらしい)の記録から抜粋。
 浅野長政(ワキ)、宇喜多秀家(シテ)、織田秀信(シテ、ツレ。当時14歳)、蒲生氏郷(シテ)、小早川秀秋(シテ。当時12歳)、徳川秀忠(小鼓。当時15歳)、前田利家(シテ、狂言)、毛利輝元(小鼓。あまりの上手さに周りがびっくり)。

ドット絵の「無表情」
 読み返してみると熱くなりすぎて途中から議論がずれてるので格納しますw
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正しさへの収束
 こういう愚痴みたいなのは自分でも嫌いなんですが、一応書きます。相変わらず長いです。
 あと、一部の人の心を不当に煩わせてしまうかもしれないので、心の平穏を保ちたい人は、見ないほうがいいかもしれません。
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止まったまま動け 能の美と日本のアニメ
 昨日劇場でエヴァ破を見ていて思ったことがあるので、書いておきます。
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