iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

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3rdワールドウォー世界IDOL大戦?第11話 オルレアンの現代の魔女
 庭上げP
 

 軍事には詳しくないので、戦争に対するヨーロッパ各国の動きが地味に興味深かったですね。ギリシャは80年代には軍事政権が倒れ、反動で社会主義政党が政権与党になり、超親ソ国家だったため中立。スウェーデンはNATO非加盟で、戦後は基本的に中立政策だったので中立。スペインは82年にNATOに加盟したものの、同時期に社会主義政権が成立しているのと、地政的な観点から積極的な参加をしなかったのでしょう。
 ノルウェーはナチスに侵略された経験から中立政策に懐疑的で、早期(49年)にNATOに加盟してます。なので中立なのは日和見でしょうw ユーゴはチトーが80年に死んでるんで、混乱の真っ只中ですが、まだ紛争は始まってないので、非同盟独立主義の盟主として当然中立。フィンランドは資本主義なのにソ連寄りという妙な立場だったので中立。でもフィンランドはほんと嫌な位置にいますねw もちろん冬戦争のように追い詰められると、イスラエルなどこういう小国は異様に強いんですが・・・。

 あとは貴音さんが覚醒してしまいましたねw 今までのキャラがかなり良かったのでもったいない気もしますが、これからどんな風に変わってくんでしょうか。元に戻るのか、それとも・・・。

 以下、なんか政治的なことしか浮かばなかったので、格納します。
 面白いことは何にも書いてありません。
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2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : アイドルマスター やよい 伊織 『グロウアップ』
<注意>
 このエントリは特殊な形式に則って書かれていますので、
 「注意事項」のエントリに目を通した上で、以下の文章にお進みください。

 エコノミーP
 

 やよいおりは至高である。だがその表現となると難しい。特に原作ゲームではアイドル同士の横のつながりはゼロに等しく、当然映像もないので、やろうと思えば作るしかない。そのため「やよいおり」を動画で濃密に描こうとすると、どうしても手描きMADや架空戦記、ノベマスになりやすかったように思う。アイドルたちは、ダンスでは観客、コミュではプロデューサーに対して表現行為を行うが、アイドル同士がゲーム中に何らかのコミュニケーションを取ることは、原作では全くと言っていいほど映像化されていない。ゆえに映像素材を用いるPVMADが、「やよいおり」というアイドル二人の「関係」を描くのは、まさしく至難の業だった。
 そう、やよいおりは「関係」である。このブログでは既に何度か触れたことがあるが、美は「存在」と「関係」から成り立っている。我々はついつい、美とは「存在の美」にすぎないと思いがちだ。たとえば我々はある絵画を褒める時、その部分的な要素を重視しがちである。この表情、このデッサン力、そしてこの質感・・・だが実際に我々の感性が言語にならない部分で感じ取っているのは、そんな表面的な部分の総和ではない。ある物体とある物体とがもたらすどっしりとした安定感、どこまでも続く青空と草原との鮮烈な色彩の対比、そして全体の構図。甚だしい時には、キャンバスに描かれていないはずの、激しく火花を散らし合う二人の視線すら「見える」。それらは単純かつ部分的な、物体、つまり「存在」の美しさではない。その作品の中で描かれた「存在」と「存在」とが生み出す、有形的でない何か、つまり「関係」の美しさなのである。だから一つ一つの物体をいかにリアルに、丁寧に、本物っぽく描いても、真の芸術家の「写実性」には適わない。彼らは物体と物体とが織りなす「関係」に着目し、時には物体それ自体の「写実性」を犠牲にしてでも、その「関係の美」と「存在の美」を両立させようとするからだ。「存在の美」だけをいくら追求しても、存在間の関係が死んでいるようでは、作品そのものも死んでしまう。我々が複数の物体を目にする時に感じる「不安定だな」「ぎっしり詰まってるな」「互いに支え合っているようで面白いな」といった存在間の「関係」も、その映像が有する重要な情報であり、真実であるからだ。
 ひるがえって、やよいおりはどうか。やよいがいて、伊織がいる。それだけでは「やよいと伊織」である。「やよいおり」ではない。では一体「やよいおり」とは何なのだろうか。実際に想像してみればよい。二人の正反対とも思える「ツンデレ」と「素直」という性格、にも関わらず、なぜか伊織にはタメ口のやよい、友情とも愛情ともつかぬ淡い相互感情、それら全ての要素が優しく温かく二人を包み込んで初めて、我々はそれを「やよいおり」と呼ぶ。やよいというキャラ、伊織というキャラ、その個別では独立したキャラに過ぎない両者が、向き合い、語り合い、見つめ合い、あるいは手を取り合って始めて生まれるその両者の「関係」こそが「やよいおり」なのである。事実、大百科の「やよいおり」の項目に並ぶ素晴らしいお絵カキコの数々は、いずれも二人の「関係」を明示的に表現したものだ。この例一つをとっても、やよいおりは存在の和ではなく、二人の存在が織り成す関係の綾であることが分かるだろう。
 しかし、繰り返すが、この両者の「関係」をPVで描くことは、困難を極めた。観客を向いて踊るダンス、プロデューサに対して取る感情表現、それらの動画素材を直接使うだけでは、二人の「関係」を描くことはできないからだ。唯一、デュオでダンスをする際に、二人の「関係」を妄想できるような動作が生まれることはあった。umg1nL25DFLQMPの「アイドルマスター 歌ってる最中やよいのグラビアミズギが大変なことに」の1:58に見られるような、「GO MY WAY」のラストの、二人が互いに目配せし合う動きなどがそれである。が、初期のPVにおいては、そういった関係は特に重視されずに、二人が楽しそうにデュオで踊っているだけで「やよいおり」とされた。オンナスキーPの「やよいおり アイドルマスター やよい 伊織 巫女みこナース」や、あるつPの「アイドルマスター CARAMELLDANSEN ループじゃないよ」がそれである。やよいと伊織の二人が、楽しそうに並んで踊ってくれれば、視聴者にとって、それは「やよいおり」であった。それで、十分満足出来たのである。
 しかし、文字と立ち絵でストーリーを構築出来る架空戦記やノベマス、あるいはM@co.jPの「アイドルマスター 「ノート」 伊織☆やよい」に代表される手描きMADによって「やよいおり」は濃密に描写されるようになる。やよいおり表現に関して、PVに大きな制約があることは明らかであったが、これに対するPV側の一つの回答は、メイPの「アイドルマスター 伊織、暴れだす。」のように、台詞などの文章を直接PVに挿入することであった。この文章挿入という表現形式は、その後、やよいおりPV作品では一般的な表現となり、たとえば「やよいおり」PVの一つの頂点、tloPの「ライオン?伊織とやよいのサバイバル」においても見ることが出来る。台詞や文字の挿入が、PVで二人の関係を描く上で、強力な武器の一つになったことは間違いないだろう。
 tloPの「ライオン?伊織とやよいのサバイバル」は、確かにやよいおり作品の金字塔だ。ただ、この作品はPVでやよいおりを扱う上での、最大の問題点をも明らかにしている。これまで「やよいおり」を描くこととは、二人の仲の良さを描くことであった。にも関わらず、PVでは素材の制約からそれが思うように出来ない。そこでこの作品が取った手段が、二人の楽しかった日々の「崩壊」を描くことによって、逆説的に二人の「楽しかった日々」、すなわち我々の妄想する、一般的な意味での「やよいおり」を視聴者の胸に呼び覚まそうというものであった。この作品にも「やよいおり」は登場するが、二人の「仲の良さそうな映像」は、ほとんど「燃える二人の写真」くらいしかない。それ以外は基本的に、二人の悲しい関係を描いたものだ。我々の脳内には楽しげなやよいと伊織の姿が事前情報としてあるからこそ、それが崩壊したさまを描くことで、我々の脳内には幸福であったはずの二人の姿が、より強く鮮明に、感傷的に想起されるのである。このことは、この「ライオン」の3:31からの二人の描写からも見て取れる。3:34あたりから伊織がやよいの方を振り返るのだが、二人の目が合う頃には、それぞれを別々に写したカットに移行してしまう。これは通常のやよいおりのPVでもよく見られる表現だ。というか、こうするしかないのだ。二人が何か楽しそうに言葉を交わすような一カットの動画を加工で捏造することは、著しく困難を極めるのである。
 しかし、そんなことはtloPは百も承知だ。彼には考えがあった。あるいは彼の感性が、一つの答えを教えていた。それは「二人の心が通い合うよう描写をするのが難しいなら、二人の心がすれ違う描写をすればいい」ということだった。これは一見何の解決策にもなっていないようだが、それが一体どういうことなのかは、この動画最大の見せ場にして、PVMAD史上最も感動的な「やよいおり」である3:49からを見ればいい。割れるガラスのような物体がこれから起こる「何か」を予兆させながら、画面両端から歩いてきた二人が、すれ違う。私はこのシーンで涙腺がやられた。まっすぐ歩く二人は、互いのことを見てはいない。それは当たり前で、このモーションは、もともと「相手」の存在を全く前提としていないモーションだからだ。そんな「孤立した」二人が歩いてきて、すれ違う。誰もが「個」へと疎外されていくこの疲弊した世界で、誰よりも深い絆で結ばれ合ったはずの二人が――。
 素材となるモーションが孤立しているなら、本来孤立していないはずの二人が、孤立したモーションですれ違うことにすればいい。そうすれば、視聴者は本来の「仲のいい二人」を悲しく思い出すことで、身を切るような切なさに悶え苦しむことになるのだ。関係性の欠如したモーションの弱点を、破壊的な感動の源に変えたこの演出は、程度の差こそあれ今までも様々なPVの中で使われてきたことと思うが、ここまで効果的に使われた例を、寡聞にして知らない。そしてこの、最も「やよいおり」が破壊されたシーンの直後に、tloPはまた、この動画で最も温かい関係にある「やよいおり」を持ってくる。3:57からの、伊織がやよいを振り返り、「さあ、行きましょう」とでも言いたそうに、自らの行く方向へとやよいを導くシーンである。この作品の感動の源は、この落差であろう。誰もが頭の中で思い描く濃密な「やよいおり」を前提としつつ、アイマスの「孤立した」モーションを徹底的に活かしてその対立と崩壊を描き、しかしそれだけに留まらず、このように「この対決はあくまでも、一時的なものなんだ」という一抹の救いを残すのである。ため息。ただ、それしかない。「美は人を沈黙させる」とは、まさしくこのような作品に捧げるためにある言葉であろう。
 以上により、この「ライオン」が最高峰の「やよいおり」であることに異存はないが、ただ一つだけ思い出してほしいのは、ここで我々が感じる感動は、濃密な「やよいおり」そのものではないということだ。何度でも繰り返すが、この作品は我々の脳内の幸福な「やよいおり」を前提とした上で、その崩壊を描き、そのことによって我々が切ない気持ちで二人の真実の「関係」に想いを馳せるものであって、濃密な「やよいおり」そのものは、間接的にしか描写されていないのである。このことが、この作品における最大のアドバンテージであると共に、PVにおける「やよいおり」描写の難しさをも同時に物語っている。誤解のないよう付言するが、筆者はこのことをもって「この作品のやよいおり描写は不完全だ」などと言っているのではない。ただ、このような表現が素材の制約上最強だとしてしまうと、やよいと伊織の幸福な姿をもっとPVで見たいという、視聴者の飽くなき欲求は満たされないのかということである。筆者が「ライオン?伊織とやよいのサバイバル」を二十選から外したのは、このことに一抹の寂しさを覚えたからだ。確かにこの作品は素晴らしい。だが、もっと、二人の幸せな姿が見たい――。
 その答えとなるかのような作品が、「ライオン」の5日前に投稿されていた。本項で推薦するエコノミーPの「アイドルマスター やよい 伊織 『グロウアップ』」である。やよいおりをPVで表現するために、2007年から3年間に渡って蓄積されてきた様々な先人たちの知恵が、ぎゅっと詰め込まれたかのような作品だ。動画の再生開始から、二人が時間差で同じ動きをするが、切り抜かれた二人の距離は通常のステージ上よりもグッと縮まっており、「この二人の仲の良さを描きたい!」という強い意志が感じられる。0:10からは静止画で二人のスナップ写真のような画像が何枚も出るが、静止画なら二人の幸福な姿を描きやすいということは、先程の「ライオン?伊織とやよいのサバイバル」の燃える写真でもそうだったし、やよいおりを描いたもう一つの「ライオン」である 、ひろ。P の「アイドルマスター やよいおり ライオン」でも、最後の画像は背中を合わせて微笑む二人の静止画だった。この「背中を合わせた二人」というのは、アイドルがほとんど「孤立」してしまっているアイマスの画像素材でも「二人の仲の良さ」を描きやすい手法のようで、エコノミーPも0:12から、背中を合わせて歌う二人を動画で実現している。しかし、本当にすごいのは0:23からだ。接近して踊り始めた二人は、くるりと一回転した後0:27で向き合い、見つめ合う(ように見える)。そして何かを確かめ合うかのように二人で頷きながら、一緒に手を合わせて踊るのである。最後はだめ押しとばかりに、もう一度頷き合ってから、笑顔で一斉にジャンプ! 最高だ。これだ。私が見たかったやよいおりは、これなのだ!
 やよいと伊織の関係を描いたPVは、これまでにもあった。「やよいおり」のタグの付いたPVで、二人の関係に想いを馳せない作品など一つもない。二人がステージ上にいるだけで、顔が緩んでしまうようなこの幸福感こそ、「やよいおり」の一つの特性でもあるからだ。しかしこれほどまでに、二人が向き合い、互いに愛情を注ぎながら、幸せいっぱいで踊るPVを、私は知らない。この動画は他にも、先述した「GO MY WAY!!」のデュオで二人が合図し合う動作だとか(この動画では1:43から)、1:49からの、二人が同じ動作を交互に何度も繰り返すシーンなど、やよいおりPVで培われた技術を惜しげもなく注ぎ込んでおり、正統派やよいおりPVの総括とも呼べる作品だ。また0:47でやよいが、0:59で伊織が椅子に座るなど、スパイスとなる面白いギミックも十分にある。が、私が評価するのは、やはり技術のための技術でないことだ。
 もちろん、技術の凄さで相手を感動させるために技術を披露することも、一つの芸である。これを「技術があるだけ」などといって攻撃し、いたずらに軽蔑するのは、「精神性」などという曖昧なものを、動画評価における唯一絶対の基準にしてしまうという意味で、大変危険なことだ。先日のバンクーバーオリンピックにおける、フィギュアスケートの「芸術点」に関する議論などを見ても、これは自明である。
 しかし同様に、何がしかの感情を伝えるコミュニケーションの手段として技術を使うことも、やはり素晴らしい芸である。筆者はこの両者に優劣を感じるものではないが、前者は「技術の凄さ」が我々素人にも分かりやすく、かつ「どっちの技術がすごいか」という単純な優劣をどうしても感じてしまいやすいため、いわゆる「技術のインフレ」を招きやすい。これに対して、後者は感情や感動という個人的なものを扱うため、人によって評価が分かれやすく、同じ技術なのに「技術のインフレ」が起こりにくいことが特徴だ。あの「3A07」にすらアンチが付き、それが主にストーリーに関するものであることからも、これは自明だろう。ただし、繰り返すが、筆者は両者を共に「技術」だと思っており、「感動」を絶対化するあまり、努力と研鑽の結果生まれる純粋な「技術」を、いたずらに軽蔑することがあってはならないと思っている。
 いずれにせよ、「やよいと伊織の仲の良さを描く」という明確なテーマがあって、そのために様々な技術が投入され、それがただの技術の披露に終わらず、当初の目的通り、いままで困難だった「やよいと伊織の幸福な姿」を「動画で」描くことに成功している本作を、筆者は二十選の一に推す。二人の亀裂を描くことで、逆説的に二人の幸福な姿を儚く幻視させた「ライオン?伊織とやよいのサバイバル」に対して、オーソドックスで伝統的な技術や工夫を積み重ねつつ、さらにその一歩先へ進んで「幸福な二人」を描くPV表現の限界を押し上げた本作。この陰と陽、まさに「やよいおり」の如く表裏一体を成す二つの傑作から、私は「グロウアップ」を選んだ。しかし、最も注目すべきは、やはりそれぞれの作品そのものよりも、両者の「関係」であろう。「やよい」と「伊織」が好きなのではない。「やよいおり」が好きなのだ。同様にこの二つの作品も、二つ合わせて初めて、ニコマスが至ったやよいおり表現の奥深さを感じ取ることが出来る。本稿が、惜しくも選外となった「ライオン?伊織とやよいのサバイバル」の感想に長大な文字数を割いたのは、このためである。本稿が両作品の「関係」をいささかでも(評論という卑しい手法を用いてではあるが)表現できているなら幸いである。

2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : 戦国アイドルマスター 第38話 意志を継ぐ者編 黒の修羅神
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 山川出版P
 

 円熟した扇情的な物語展開。律子の知性を大きく取り上げる独自の視点。弱り果てた律子が森を彷徨うシーンでは、泥臭い戦国の土の香りすらむせぶ。生死の狭間で律子はメタ世界を幻視するが、軟弱な世界系に見られるような青臭さが寸毫もなく、そこは物語を構成する確かな「第二の世界」としての実存を感じさせる。そして架空戦記史上、最も心震わす「鬼神・真」の登場に、肌は粟立ち、目は潤み、心は微塵に砕け散る。架空戦記の形式を極めた一つの頂点がここにある。37騎の損害で5000騎を溶かしきる鬼神・真の勇姿は、16分58秒の動画で視聴者の心をメギドの炎で浄化する山川出版Pの姿そのものだ。

2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : アイマス×AC北斗の拳「北斗M@STER」ウソOP
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 PacP
 

 中野TRFネタがウソm@sに来るとは思ってなかったので、不意打ちでやられた。
 分かる人にしか分からない内輪ネタの動画だが、一通り北斗の神ゲーっぷり(異論は認める)を紹介しつつ、なぜか終盤では熱いMADっぽくなって続きが見たくなるような展開にしつつ終わる。一話しか作らないでよいからこそ作れる動画であり、これこそウソm@sの主旨を活かした動画だと思って選出した。
 ちなみに一番「面白い」と思ったウソm@sは、庭上げPの「クレムリン」で決定だ。彼については、また別項で取り扱う。

2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : 【廃マス】カッチャゥマンの歌/アイドルマスター
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 いけP シモンP ntmP
 

 ギャグ系から一つ。いけPは、まず歌が上手くなった。声の似せ方も上手い。歌詞も相変わらずよく出来ているのだが、何より歌詞の面白さなどの「ネタっぷり」と、動画製作技術のものすごい落差が一番笑える。「如月チハヤの憂鬱」を作れる人が、一体何をやっているのだろうか。自分の才能と技術と時間を犠牲にして笑いを取っているようにも見えるが、それによって笑いの破壊力が増しているので、これを単純に「才能の無駄遣い」と呼ぶべきか激しく迷う。
 もしこの人が、「如月チハヤの憂鬱」のような作品を出し続ければいくらでも賞賛を浴びることが可能だろうし、間違いなく頂点Pの一人だが、それをやらないのは、そもそも賞賛を浴びることに意味を感じないのか、それともただやりたいことをやった結果が大量の替え歌なのか。いずれにしろソラユニPに似た、生き方の自由さを感じさせるPである。

アイドルマスター 必殺お仕事人・特別編
 むらたんP
 

 いやーこれはよかったです。目が潤んでしまって仕方ない。
 まず藤田まことの声が余裕で脳内再生されるので、自分で笑ってしまいましたw やっぱり役者さんの声は重要だと思います。
 出発のシーンも良かったですね。この音楽に合わせて雪歩が進むだけで感動があります。藤田さんの写真は静止画なので、かえって何か訴えるものがありましたね。それはシンドウを殺るシーンでも同じでした。「人殺しは・・・」の台詞もいいですね。長々と説教するより、作品としては、こっちのほうが断然いい。「善」の立場から「悪」に説教したり、改心させようとするのではなくて、同じ「悪」に身を落として、問答無用で殺す。それはここでは語りきれないほど難し問題を孕んでいますが、少なくとも、日本人の心の中には、そういうものを求める部分があるということでしょう。それをただ「克服すべき感情」だとしてしまうと、新しい抑圧が始まる。
 いずれにしろ、むらたんPの、あまり長い文章で語らない作風が効いてますね。淡々と進む中にも、味があり、行間があり、感動があります。これだけの作品がこの再生数というのは、社会にとって損失な気もしますが、著作権で問題を起こさないためには望ましいことでもあり、なんとも複雑です。
 しかし、二次創作がここまで発展する前は、素材さえあれば、「普通の人」でもこれだけのものが作れると、一体誰が予想していたでしょうか。もちろん、その「素材」を作るのに大変な時間とお金と技術が必要だからこそ資金の回収が必要なわけですが、プロでなければロクなものが作れないとか、一般人が作ったものは見るにも値しないとか、そういった「プロ信仰」は、少なくとも私にとっては、もう過去のものです。二次創作が原作に与える負の影響には看過できないものがあり、二次創作万歳という立場は決して取れないのですが、「プロでなければ、面白い作品は作れない」という前提は、もう完全に崩れたと思います。「プロでなければ、いい素材は作れない」のほうが正確でしょう。
 もちろん、二次創作のように「素材」と「組み立て」が分離してしまうことによって、作品から失われるものが無数にあるのは事実ですし、プロの作品が「素材化」していくことによって、かえって二次創作が衰退する可能性もあります。それは市販の「素材集」に収録されている素材を使ったMADがほとんどないことから見ても明らかでしょう。あくまで作品として価値のあるものを、素材に分解して再構成するから意味があるわけです。だから問題は山積みなんですが、少なくとも、一般人が作った作品なんて見ることもない、テレビしか見ないような人たちに現状が伝わらない限り、世の中の考え方が変わるはずもないので、そんなことを考えると、少しうんざりしてしまいますね。

 ただし、私は「二次創作の合法化」なんてものは必要ないと思ってます。そのことについてはまた今度まとめようと思います。
 では。

アイドルマスター「サイボーグ072 ?誰がために?」
 炎のP
 

 最近忙しいのでランキングを最初の方しか見れないんですが、今日はこれを見れてよかったw ネタ系のPVで、画像の扱い方がいけPに似てる気もしますが、0:07からの回転と瞬きのシンクロなんか素晴らしいですね。0:32の上下のシンクロもいい。それと、ほんとにアイマスのモデルって綺麗だなあという当たり前のことを、改めて感じさせてくれます。この動画でそれを言っていいものか迷いますけどw 特に千早の美しさが際立ってますね。千早は前髪が風に揺れておでこが少し広めに見えた時、アップで映すと特に可愛く見える気がするんですが、これはいけPもよく使うカットで、やはり似たようなところがあるように思います。

2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : 【人力Vocaloid】ロボキッス【やよい・亜美】
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 ドリ音P
 

 「モジュール化」という言葉がある。たとえばデスクトップパソコンがそうだ。マザーボードにはPCIExpressやCPUなどを差し込む、特定の規格に従った接続口があり、その規格に合う部品なら、何を取り付けても動いてくれる。そのため部品を入れ替えるだけで性能を変えることができるが、部品の形状の多様性を考慮し、多少の余裕を持って作られているために、どうしても全体のサイズが大きくなりやすく、また一社が部品やパーツを独占することもできない。というより、モジュール化された商品では、多様な企業が参入し、その規格の可能性を活かした多様な製品が発売されたほうが、商品の価値は上がる。パソコンの入出力規格であるUSBが、プリンターとの接続やUSBメモリだけでなく、USB扇風機のような、USBの開発者には予想も付かなかったような面白い商品まで生み出したのがその好例だろう。このような商品を作るのは、アメリカが得意だ。アメリカが第二次世界大戦中に作った戦車や戦闘機は、拡張性を考慮して設計されたために無駄な部分も多かったが、エンジンや兵装を付け替えることが容易で、機能変更をするにあたって一から設計しなおす必要が少なかった。
 これに対して我が国のお家芸とも言えるのが「すり合わせ」だ。これは全体の設計や機能から逆算して、それぞれの部品の大きさや形状を決めて行く。そのため部品の相互異存が強まり、拡張性はほとんどないが、一方で限界まで小さな空間に機械を収めたり、特定の用途に特化した機械を作るのには向いており、VAIOの薄型ノートパソコンや、多機能な携帯電話などを作るのは日本のオハコである。
 しかし第二次世界大戦においては、日本のゼロ戦がネジ一本に到るまで軽量化を重ねる「こだわり」を貫いた結果、確かに優秀な機体は出来たが、その構造は複雑になり、完成までの工程数は、後のF6Fヘルキャットの約三倍にもなった。大量の機体で押し寄せる米軍の「物量戦」は、単に資源が豊富だったり、工場が多かったりしただけではなく、部品の相互依存をなくし、職人技がない未熟工でも容易に組み立てを可能にする、工程の簡略化とモジュール化にもあったのだ。つまり日本を圧倒したアメリカの「工業力」とは、もちろん資源や資金の豊富さもあるが、このような「システム化」の強さも大きな要因の一つであった。日本が素晴らしい「製品」を作ることに集中していた時に、アメリカはより多く、より一定の品質の製品を、より早い時間で、より大量に製造する「システム」の構築を目指していたのである。この工業製品に対する思想の差が、勝敗を分ける要因の一つになったことは否めないだろう。
 このような観点から見て行くと、現代においてはモジュール化した製品のほうが強いことが多い。NECがPC-9801にこだわっている間にDOS/Vパソコンが広まったり、日本の自動車会社が「すり合わせ」にこだわっている間に、インドの自動車会社「タタ」が大胆なモジュール化で価格破壊を行ったりした。DELLのパソコンのように「カスタマイズ出来る」商品の優位は揺るぎなく、現代において「すり合わせ」の劣位は明らかであるかに思えた。本作「【人力Vocaloid】ロボキッス【やよい・亜美】」が世に出るまでは。
 人力ocaloidはかつて、その手作り感を楽しむものだった。明らかに無理やりなのだが、頑張って作ってあることがよく分かり、「どだい無理なことを、無理やりやってくれることの楽しさ」こそが人力Vocaloidの魅力だった。元祖であるwandaPの「VOCALOID持ってないのでHARUCALOIDに歌わせてみた(未完成版)」でも、hikePの「アイドルマスター 春香 I Want で遊んでみた」でも、それは共通している。が、やがて状況が変わってきた。
 acousticPの「アイドルマスター 律子ロイド 「星間飛行」 律子(ライブPV風)」やハロPの「やよいロイドで ブラック★ロックシューター -Band Edition-」で、「あれ、これ結構行けるんじゃね?」と思ったのかどうかは知らないが、2009年に入って、再びwandaPの「アイドルマスター (人力)伊織ロイドで「君に、胸キュン。」」、2番Pの「【人力Vocaloid】千早ロイド「ココロ」」と人力Vocaloidの傑作が続き、「よく頑張った! 感動した! でも、もうこれ以上は無理だろう」と筆者などは思っていたのだが、それを超えてしまったのが、本作「【人力Vocaloid】ロボキッス【やよい・亜美】」だったのである。
 そのすごさについては、もう実際に動画を見てもらうしかない。「人力Vocaloid」のタグを見てからこの動画を見た者で、0:21から頭が「!?」とならなかった者はいないだろう。ただこの項目では、その内容については語らない。その手法について、簡単に自分の考えを述べて終りにしたい。
 人力Vocaloidは、典型的な「すり合わせ」の手法である。まず完成した時の声のイメージを考えながら、それに合った声を、音源の中から一つ一つ、丹念に選び出して行く。0:42からのとかちの「こぶち」も、それに沿って選んだものだろう。そして今度は音の高さを調整し、さらに自然な声にするために「調教」する。その手法はどこを取っても作者の感性と根性に依存しており、決して誰にでも出来るものではない。まさに職人技なのだ。完成した歌の音源では、声の一つ一つが完全かつ強固に依存し合っており、これをバラバラに分解して新しい作品を作ることには意味がない。そんなことをするくらいなら、音源の収集から自分で始めた方が、よっぽどいい作品が出来るからだ。
 要するに、人力Vocaloidという手法は、システムにはなりえない。これは先述したように、この手法の大きな弱点である。人力Vocaloidは、いわば職人技で作られたゼロ戦だ。それに対して本家Vocaloidは、量産可能なF6Fヘルキャットである。前者が戦艦大和で、後者が月刊正規空母でもいい。我々はこの勝負の結果を知っている。人力Vocaloidは、いつか本家Vocaloidの進化による「物量戦」の前に敗北するだろう。だが今は、素直にこの勝利を喜ぼうではないか。努力と根性、そして、きらりと光る感性。その結晶化した姿であるこの作品が、あらゆるVocaloidと互角以上で渡り合う、その勇姿を讃えようではないか!
 大日本帝国海軍の典型的な大艦巨砲主義者である宇垣纏中将は、沖縄戦で大和が沈没したと聞いた時、自らの手記である『戦藻録』において、次のように記した。彼は航空機が好きな連中はこれで戦艦の厄払いが出来るだろうが、それでも「戦艦一隻は野戦七ヶ師団に相当し(後略)」と、戦艦の時代が終わったことを決して認めなかった。筆者にはその理由がよく分かる。たった一つの「職人技」が、数多の曲を生み出した「システム」に張り合うこの姿は、あまりにも美しく、そしてあまりにも感動的である。
 もちろん、いつかその優位も終わる。終わるけれども、繰り返すが、今この瞬間、我々が感じている胸の高まりが偽りだったなどと、後世の誰にも言わせまい。戦艦大和にロマンを感じないのは、男子ではない。しかし戦艦大和で週刊護衛空母の国に勝とうとするのは、戦略性の欠如である。感動とは畢竟、ある種の思考停止にすぎない。この快感に身を浸しつつも、決して冷酷な現実から目を逸らしてはならないのである。

2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : アイドルマスター 百合のお勉強して高槻さんをハグしちゃお!の巻
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 へぼピーナッP &ベルナール・リヨ3世
 

 この作品はもう、どうしようもない。作者は手遅れだ。
 全くもって困った動画だが、視聴者にとってはその困惑こそが快感なのだから、なんとも罪な存在である。

2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : [NoNoWire09] Go Mynci [アイドルマスター]
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 獣道を逆走P
 

 この作品はまず他の人とかぶらないだろうと思っていたが、他の人の二十選を見ていたら、さっそく爽快Pが挙げていて吹き出してしまった。さすがに目の付けどころが違う。
 獣道を逆走Pが表現するのは、虚無の実存という矛盾した概念だ。一見何か意味がありそうだが、実際には何の意味もない動画を作り、自分で「この動画には何も意味はありませんよ」と彼は主張する。しかし、そこに意味がある。虚無そのものに意味はなくても、自らを虚無だと知っている虚無には、意味があるのだ。このデカルト的な実存によって、無は有へと転生する。そこに生命の誕生があり、血管の脈打つ生きた「作品」が立ち現れるのだ。
 この作品は黒一色でベタ塗りされた背景の上で、切り抜かれたアイドル二人が踊るだけという、子供だましのような作品だ。アイドルの画質は素晴らしいが、シンクロと呼べるシンクロもなく、わずかな画像の挿入を除けば、ただ曲のテンポに合わせてアイドルが踊るだけ。それだけ。たったそれだけなのだが・・・この生命力はどうだろう。全てを併呑する暗黒の帳、漆黒の砂漠、冷酷な虚無の向こう側から、小さな、しかし確かな、何者かの鼓動が微かに聞こえてくる。それは世界の始まりと終りを告げる、新しい何かの胎動だ。その黒い胎児がこの苦界に生まれ落ちた暁には、古い王たちは雲間から差す黄金の光で焼け死に、世界はそれを歓迎するだろう。第七の天使がラッパを手に取り、今まさに吹かんと口に当てている。人々が息を飲み、その期待も絶頂に達しようとする時、しかし、やがて音楽はフェードアウトしながら、まるで作品は虚無へと帰ろうとするかのように、静かに、死に絶えるように消えていく。まだ早いのか。王はまだ帰還しないのか。奴隷たちの怨嗟の声をも呑み込んでしまうかのように、虚無は、虚無へと返っていく。静かに、死に絶えるように――。

 このブログでは獣道を逆走Pの代表作「バトル・ののワイアル」についても、同じ観点からワ過去に記事にしている(意味の否定)。興味のある方は、合わせて参照されたい。

「2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論」 注意事項
 「2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論」は、同二十選において私が推薦した動画について、現在の視点から振り返り、詳細に考えてみようという当ブログの企画であり、一連のエントリの総称です。
 投稿したエントリは、このブログ左端のカテゴリ「2009年下半期ニコマス二十選」に分類されます。今までに上がったものをチェックしたい場合は、そちらを御覧下さい。
 ただし、一連のエントリは少し特殊な趣向で書かれていますので、2点だけ注意事項を挙げます。

1.評論ではなく創作 (※重要)
 一連のエントリは評論のような文体で、「である」調を用いて書かれていますが、これらのエントリの目的は、客観的な作品の価値を明らかにすることではなく、評論文それ自体の「興味深さ」の追求です。いわば、動画という作品を元ネタにした、評論という形式の二次創作をやってみよう、ということなんですね。
 そのため、それぞれのエントリで書かれていることは、必ずしも私が本気で思っていることではありません。たとえ自分が気に食わない考え方でも、文章が面白くなると思ったら、あたかもそれが自分の主張であるかのように書いています。この点は非常に特殊なので、特に注意してください。

2.二十選全てのエントリが揃うかは未定
 20個の動画全てについて、詳論するエントリが出揃うかは未定です。
 本当は20個全てを1エントリでやるつもりだったんですが、それでは全ての文章が出揃うまで時間が掛かりすぎるのと、もう二十選のまとめ動画から一ヶ月近く経とうとしていますし、だんだん記事を書く私のモチベーションも衰えてきたので、完成したものから単品でエントリを上げて行くことにしました。
 そのため、この企画はいつ終わるわけでもないし、20個全てのエントリが出揃うことも保証できません。むしろ、このままでは20個全てが完成しないので、永遠にこれらの長文を投稿出来ないよりは、単品で揃うところまで揃えようと思い、投稿を開始することにした次第です。

 以上、特に1.の点について、理解した上でエントリをお読み下さるようお願いします。

雑談 : 今日は「宇垣Pがデビューした日」 gase2、ニコマスデビュー延期 他
 今日は何の日でしょう?
 そう、私gase2が本格的にニコマスにハマった運命の作品、宇垣Pの「天海提督の決断」の第一話が投稿された日であり、私が偶然この動画を見た日でもあります。全てはこの日から始まったわけですね。

 

 しかも、この動画は未だに私の知る架空戦記の中でもトップクラスの位置を維持し続けてます。刷り込みだとは思わないですね。これは客観的に面白いと思います。宇垣Pは確か、腰痛Pのブログで「最終回だけ考えて、後はノリで作る」みたいなことを言ってたと思うんですが、その最終回のために伏線などを配置し、徐々に話を盛り上げながら最終回で爆発するというこのタイプは、やはり作品にカタルシス、それも勧善懲悪の意味ではない、オルガスムス的な意味でのものを求める自分には最高でした。スタッフロールが流れた時のあの感動・・・いや、快感と言ったらなかった! 彼は今でも、私にとって最高の架空戦記Pの一人であり続けています。ムービーをほとんど用いず、ほとんど静止画の紙芝居だけで作るなど、色々な意味で、古き良き架空戦記を体現する存在だったと思います。

 で、何が言いたいかというと、今日、ニコマスデビューする予定だったんです。いや、このがですw
 実は、手元にもう動画は出来てます。内容は、以前にもちょっと書きましたが、「隣に・・・」に能の型を付けたものです。そしてこれを、今日上げる予定でした。・・・が、なんというか、どうしても気に食わないですねw あと1年くらいこれを直し続けたいところですが、まあ、とりあえず一ヶ月ほど延長します。なんで一ヶ月も後になるのかというと、舞台の予約の関係で、週に一回、日曜日にしか、舞台の上での練習と撮影ができないからです。
 普段このブログで好き勝手なこと書いてるのもあって、あんまりいい加減なものは上げられないですからね。幸い、直すべきところも分かってるんで、多分、一ヶ月後には、少しマシになってると思います。

 あと、もう一個別の動画も準備してるんですが、こちらは内緒です。多分、ほとんどの人にはつまらない、あるいはすごく人を選ぶと思います。一応、分類としては「真面目に馬鹿をやる」というものです。実は私、この「真面目に馬鹿をやる」のがニコ動だ、という思想はあんまり好きじゃありません。いや、やってる方はマジですんでw もちろん、少しでも多くの人に伝わってほしいので、馬鹿な部分も沢山入れてますが、こっちはかなり本気です。ので、逆に、伝わらないでしょうw でも、それでもやります。

 ただ、実際に動画を作ってみて思うのは、このニコマスの映像作品というのは、本当にレベルが高いということです。5年やそこら習っただけの能くらいでは、全く及びもつかない境地にあるように思います。少なくとも、私は録画した自分の動画を見た後ニコマスの動画を見直すと、ため息が出てしまいますw いや、ほんと単純な「映像」として見た時に、破壊力が違うんです。紋付袴にお面を付けてなんとかあずさの気持ちを型にしようともがき、舞台の上をぐるぐる回っても、アイドルの立ち絵がポンと画面に貼られただけで、全てが吹き込んでしまう。
 それは当たり前と言えば当たり前なんですが、そこで初めて分かるのは、ここでは、生身の肉体で舞ってる私の方が虚構だということです。アイマスのキャラが生身の人間に対して虚構であるように、アイマスのキャラを生身で表現しようと思ったら、その瞬間、生身の私の方が虚構になって、アイマスが「現実」になる。これは源氏物語を描いた能の曲なんかでも同じことなんで、昔の能楽師も同じことで悩んだと思います。そして、自分の動画を見ててつくづく思うのは、「人間らしさ」を捨てる必要を特に感じるということです。能の型とかいうものも、そのためにあるような気がします。源氏物語の登場人物とか、歴史上の人物とか、そういった普段、普通の人間にとっては想像でしか目にすることの出来ない存在を、能の演じ手が虚構になって演じることで、現実のほうに押しやってしまうとか、そんな効果があるんではないかなと思いました。
 しかし、そのためには、アイマスのキャラ以上に、生身の人間は虚構でなくてはいけない。自分が動画を見てて「もっとこうすべき」と思ったところは、全て「こうしたら人間っぽさが消える」というものでした。いや、能の練習としても、とてもためになる経験ですね。まあ、こんな偉そうなこと言ってる割に、動画の出来は散々なので、あんまり期待しないでくださいw でも、全く上げないよりはいいかなと。なんだかこんなことをしてるうちに。少しずつ作りたいものが出てきたので、何か変化があるのかもしれませんね。
 また、私は型の意味(この型は大体こういう意味で使われることが多い)を知ってるからいいんですが、知らない人がこれ見てどこまで分かってもらえるのかも心配です。それはニコマスで言えば、千早のバストが72cmだとか、そういうのと一緒です。知ってると面白いんですが、知らなかったら何のことか全く分からない。能もそういう「内輪の文化」という側面を多分に持つので、ニコマスを知らない人が最初ニコマスで何がなんだか分からないように、多分、よく分からないと思います。
 しかし、そんなこと言ったら、なんで私がこんな動画作ってるのかということですが、まあ、自分も一人のニコマス市民(笑)として、たとえ一兵卒で終わろうとも、兵役に参加したいと思うからですね。それと、まあ、一番はやっぱり「思いついたから」でしょうかw 実際にやり始めると、なんか「ここをもっとこうしたら・・・」という気持ちに引かれて直してるうちに、少し良くなって、やれるところまでやりたいという気持ちが生まれて来るもんですね。

 しかし、「隣に・・・」の動画にしろ、もう一個の動画にしろ、知ってる限りの能の知識を総動員してますw ほんと、もっと真面目に能を習っておけばよかったですね。「将来何が役に立つかなんて分からないんだから、なんでも真面目にやっておけ」というオヤジの小言が、冷酒のように、後から後から効いてくるわけですw

 まあ、もうちょっと頑張ってみますね。
 では。

【ドット絵舞台劇】アイドルマスター×三谷幸喜『ラヂオの時間』 第5幕
 爽快P にぎりがくさいP
 

 三回見てしまいました。と言っても、一回目はシナリオをどう評価していいか迷いました。何度も「カット!」を繰り返すのが、少し止まりすぎかなと思ったんですね。いや、このもどかしさがあるからこそ、後半の「野良猫狩り」にカットが入らないところで「え、カットしないの!?」って思えるんですw それは分かるんですが、一回目はどうしても最初のイライラが気になりました。だからこそ見直したんですが、二回目以降はすんなり楽しめましたね。
 これは能に似てますね。能も後半、最後の5分ぐらいは、ものすごく派手になる曲が多いんです。だから習い始めの頃は、「最初から最後までこんな感じでやればいいのに」と思ってました。でも何回も歌って覚えてから能の曲を見たり聴いたりすると、最初のほうの「タメ」があるから、後半が輝くわけです。
 ある曲(山姥)を聴いてた時、カセットテープで延々お経みたいなことやってるんで、ほとんど寝ながら聴いてたんです。ところがこの曲、最後の3分だけ加速するんですね。それがもう、スラッシュメタルか何かかと思うくらいメチャクチャ飛ばしまくってて、「これが本当の能なんだ! 能は遅くて眠いだけじゃない! こんなにカッコイイのもあるんだ!」と、とても興奮したのを覚えています。が、その最後の部分(キリと言います)だけをダイジェストで舞う出し物で、地頭(じがしら。コーラスのリーダー。全員がその人に合わせて歌う)をやった時、カセットテープで聴いた感覚でやったら、舞の人が全然間に合わなくて、苦労してるんですね。「でもそんなこと言ったって、昭和の大名人がそう歌ってたんだから」と思ってそれをやり続けたら、本番で舞の人がスピードに付いていけずにグダグダになってしまい、先生に加速しすぎだと怒られました。それでも「室町時代の能は速かったんだ。今の能は遅いから人気が出ないんだ。昭和の名人だって速く歌ってるじゃないか」などと不服に思いながら、家に帰った後テープを聞き直してみると、やっぱり自分のイメージ通り、昔の名人は速く歌ってるわけです。だから「やっぱり俺が正しいじゃないか」と思ったんですが、ふと思いついて自分の歌を録音し、時間を測ってテープと比べてみました。すると驚いたことに、名人の謡は、ものすごく速く聞こえるんですが、実は時間的なスピード自体は大してないんです。私の謡は、時間的な速度は、ずーっと早いんですが、どうにも崩壊してるというか、焦って歌ってるようにしか聞こえない。それで気が付いたわけですが、名人の謡は、遅い前半との落差や、あるいは声のピッチを上げるなどの方法で、速く「聞こえる」ように歌ってるだけで、実際に速く歌ってるわけじゃないんですね。そして遅い前半というのは、ある意味で、その後半を「聞かせる」ためにわざと遅く歌ってるわけです。だから、最後の最後、頭がぶっ飛びそうになるほどのスピード感と加速感、そして快感がある。最後の加速するところだけ切り取って、1時間それを続けても、同じ感動は得られないわけです。
 爽快Pのラヂオの作風を見てると、そういう手法とすごいダブりますね。こういう風に、後半でこうなるから前半でこうして・・・というのは、普通架空戦記では、ここまで明確にやらないことが多いと思います。PVのように、一つの動画を一つの作品とみなす考え方で作ってるのかもしれません。他にも彼の特徴的な点として立ち絵の使い方があって、今回は特に見当たりませんでしたが、今までいくつか、絵の置き方が上手いというか、絵が止まってることが美しい演出がいくつかありました。「第三幕」1:22からの春香や、「第四幕」3:20からの雪歩がそれですね。これも同じような技を使う人はいますが、ここまで効果的にやる人は寡聞にして知りません。だから、彼の作風には能っぽいところがあるんですねw PVから来たPなのに、紙芝居型の架空戦記以上に、「静」の快感がある作品を作ります。しかし、その「静」の快感というのは、この作品ではどんどんキャラが動いてるからこそのものです。
 先日、拍手コメで「美希の天下創世」が静的な架空戦記の極北なら、動的な架空戦記にはどんなものがありますか、と聞いてくださった方がいて、思いっきり考え込んだことがありますw それはいつか単品のエントリでまとめたいことなのですが、簡単に説明しておくと、たとえば宇垣Pの「天海提督の決断」は全編紙芝居の架空戦記で、動画が全くと言っていいほどありませんが、「静」の感動のある作品だとは思いません。あくまで最終回に向けて加速していくシナリオの展開が素晴らしい作品なのであって、画面が止まってることが感動と直接結びついてるかというと、そうは言えないでしょう。間接的なものだと思います。
 一方で、ちょっと前にも書きましたが、「静」に感動する時、私の場合、たいていそれは動いてるものが止まってることに対する感動です。絵画なんかも、本来動いてるはずのものが止まってるわけです。世界は動いてるわけですが、絵画の中では止まってる。でも、その絵画は、「生き生き」してたり、「今にも動き出しそう」だったりするわけです。要するに、止まってるはずなのに動いてる。その動と静という二つの矛盾が両立しているところに、私は感動することが多いです。
 ラヂオではキャラがグリグリ動くんですが、その一方で、立ち尽くしてる時のドット絵キャラの存在感なんかがいいですね。本当は、ドラマの役者であれば、身体が揺れたり、なにか仕草をしたりするわけです。しかし、RPGのイベントシーンやこの「ラヂオの時間」では、まるで能のように、自分が「モブ」の時、キャラは悄然と静止している。静止しているのに、視聴者には、まるでキャラの心の動きや、体の揺れといった「命」のようなものが感じられる。そこに絵画的な面白さ、すなわち「動いてるものが止まってて、止まってるはずなのに動いてる」という面白さがあるわけです。それがこの動画やRPGのイベントシーンにおける、「静」の面白さです。
 また、だからこそ、「モブ」として静止しているはずのキャラが、たとえば頭を掻いたりするような、何か「仕草」をすると、視聴者の視線は直ちにそこに集中するわけです。「あ、動いた!」っていうw TVドラマでは当たり前のように人間が動き続けているので、ちょっとやそっと人間が動いても視聴者は感動しないわけですが、RPGのイベントシーンなんかで培われた独特のキャラ操作術は、そのように普段キャラを止めておき(というか技術上の制約から止めておくしかなかった)、視聴者に「キャラは止まってるもんだ」という「静」のイメージを与えておいて、いざという時に動かし、その落差で「動」の感動を増幅する。これが「動」の面白さです。
 さらにすごいことに、このラヂオでは、往年の名作RPGのように、この静と動の感動を両立させます。つまり、止まってる時には「静」の感動があり、そこでキャラは止まってるもんだと思わせておいて、動いた時には「動」の感動がある。しかしキャラが動いてるもんだと思ってたら、また止まってしまう。でも、絵は止まってても、視聴者の心は動いており、ここに「静」の感動がある。と思ったらまた動き出し・・・と、こういうふうに、静と動の相互補完関係を利用して、静と動、両方の面白さを増幅させるわけです。
 これは少なくとも私の知る限りでは、能の時代から受け継がれてきた、日本人が非常に得意な感性の働かせ方です。しかし、絵画のたとえで書いたように、これは西洋の芸術でも当たり前のようにやってることで、日本の文化に独特なところがあるとしたら、やはり「静」のほうに重きを置いてるところでしょう。そして、ラヂオはまさしく、そのような作品の一つだと思います。
 ドットのほうは、やっぱり「右上」でしょうw 昨日も書きましたが、にぎりがくさいPの真骨頂は、やはり背景です。ドットの本なんかで見るドット絵師の人は、確かに上手いんですが、もうちょっと色合いが淡い人が多い気がします。にぎPはこのパリッとした鮮やかな色の対比が本当に上手い。コメでも反響があって嬉しい限りですw

 もっと書きたいのですが、色々立て込んでましてw あと1時間くらいかけてこの文章も整形したいところですが、このままUPします。読んでくださった方、本当にすいません。
 では、以上です。

アイマス野球道Girl’s・五年目(23)
 糸冬P
 

 引退というから何するのかと思えば、あっさりしてますなあ・・・。今時ゲームでもこれで引退イベントを終わるものはないでしょうw スーファミ初期みたいな演出ですが、それがいいですね。以前、糸冬Pはブログで「スポーツを小説にする時、試合に至る過程や、試合後の選手それぞれの思いみたいなものを書くのが作法だと編集者に言われたけど、それと違ったものをやりたかった」みたいなことを言ってましたが、まさにそれですね。厳しい練習や、卒業していく選手たちの感傷みたいなものは何にもない。とてもシステマティックで、抽象的ですね。この言葉はあまり好きじゃないんですが、記号的と言ってもいいでしょう。でも、ラノベ的な意味での「記号的」とはまた違う。普通のラノベが「演奏」だとしたら、この作品は「楽譜」のような気もします。「物語」に対する「記録」でもいいかもしれませんが、プレイ動画ともまた違う。上手く言葉に出来なくてすいませんw 多分、とても単純なことなんでしょうけど・・・。この作品が一体「何」なのか、分かる人はすぐ分かると思います。私には分かりませんがw 
 あー、他の人の意見聞きてーw 架空戦記系ブログ、もっと出来てくれ?w
 いずれにしろ、とても特徴的な作品です。

 あと、この記事書いてる時、サムネが「アミオパーティ」に見えて仕方ありませんでしたw

御三家七英雄VSアイドルマスター
 76葛P
 

 腰痛Pのブログから。やっぱりドットは素晴らしいですね。人類史上、ドット絵より美しいモザイクアートを知りません。正直、効率の面から言うと、ほとんど最低の形式です。このブログの左上、SFC版テイルズオブファンタジア風魔理沙のドット絵を作ってくれた私の弟から、これがどれほど手間の掛かるものか、散々聞かされてますw
 その弟が言うには、昔のドット絵は輪郭がパリッとしてるのがいいんであって、最近のドット絵はグラデーションを多用して輪郭をぼかしすぎるところが、昔のドット絵より印象がぼやけてしまう理由だそうです。SFC版テイルズなんかも、私は絵画でいう「印象派」に当たるもんだと思ってますが、それでも実際によくドットを見てみると、意外に色のコントラストは強くなってます。
 その観点からいくと、この動画のドットは、線を大事にしてるように見えるので、すごく私の好みです。線を大事にすると、多分どうしてもジャギーの感じが出て、それが行き過ぎるとカクカクのレゴブロックみたいになってしまうんでしょう。だから出来るだけカクカク感を抑えるために、グラデーションで線をぼかすんだと思うんですが、しかし、この76葛Pはそこを敢えて堂々と黒や濃い色でスッと線を引き、確かに近くで見るとカクカクなんだけど、画面全体で見ると実に綺麗な線が浮かび上がる。そんなところに惚れますね。ただし、私は自分でドットを打ってまともなものが出来たことがないので、的外れなこと言ってたらすいません。
 しかし、この美しさはどうでしょう。ミクで驚いたのはジャブに過ぎず、閣下のノエルに至っては、原作とはドットの方向性が違いますが、私は原作より美しいと思うくらいです。伊織のダンターグは、「あれ、ダンターグの下半身ってこんなだっけ?」と思ってネットで画像を見てびっくり。かなりいじってるんですね。配色もいいし、何より前垂れの「ののワ」を発見した時の嬉しさといったらw
 戦闘画面の七英雄では、閣下と千早が素晴らしい。特に千早の黒化した「蒼い鳥」を思わせる姿は、ドットの良さもさることながら、何よりコンセプトがいいですね。こういう姿を思いつく想像力にうなります。ほめ春香のドット絵も密かに上手い。三角ナブラは、「あれ、亜美真美なのになんで三人なんだろ」と思ってたら、コメでドリクラのせっちゃんと分かってニンマリ。そして最後のパリィで爆笑。ドット絵が上手い作者は、なんで大抵シナリオも上手いんだろうかw いや、いい動画でした。

 ちなみにこれで思い出してまた見直してたんですが、にぎりがくさいPの「ヴァイスPのアイドル紹介」で、社長室を見た時の驚きと言ったらありませんでした。

 社長室

 この「光」を感じさせる輝くばかりの色彩、段階的に気持ちよく塗り分けられた分けられたグラデーション。まさに「ドット絵」の感動がここにあります。特に色の面で、私はにぎPが素晴らしいと思いますね。我々下手な人間が絵を描くと、どうしても中間色ばかり選んでしまい、色がくすんで濁りやすくなるんで、こういう風に鮮やかな色を堂々と置ける人の作風には惹かれます。
 それでも作者本人曰く、「あの仕切り(の足)は今見てもありえない」そうですw まあ、よーく見れば歪んでる気がしないでもないですが、これ、30度のクォーターですからね。今やるとしたらどうやるんでしょうか。私には全く分かりませんが、気になるところです。
 しかし、30度なのにクォーターとはこれいかに。

THE IDOLM@STER REQUEST BATTLE CM
 わかむらP
 

 ・・・なんだこれw この前のきつねPの告知動画と同じものを感じますね。すごすぎ。そして美しい。
 センターとバックのダンスが違うのが快感だというのをここまで感じたのは、ぴっかりPの「御旗のもとに」以来ですね。
 わかむらPの作風はあんまり好きじゃないんですが、これは完敗しました。こういう敗北は気持ちいいもんですw

The Idol of the Rings 第十九話「闇夜の短剣」後編
 いとしいさかなP
 

 ギャー! これ、見逃してたみたいです・・・。もう二週間も前じゃないですか。ブログやニコレポでチェックしてると、一回スルーした作品を次に見つけるまで、えらい時間が掛かってしまうのが問題ですね。読むブログの数は格段に多くなりましたが・・・。

 動画の感想としては、これは書いていいものか迷いますが、ちょっと不満な点がありましたね。それは「画像が豊富すぎる」ということw 普通は逆でしょ?w 沢山の画像をこまめに切り替えたり、動かしてくれるほうが普通は楽しいし、今はそういう作品が増えてきてます。が、この作品に限っては「絵ではなく、もっといとしいさかなPの『文章』で雰囲気を作ってほしい!」と思ってしまいましたw いや、やっぱり格調高い豊穣な文章が読みたくて見てる作品ですから。絵の動きももちろん面白いんですが、今までのようにあんまり絵が切り替わらないほうが、文章の占める情報量の比率が高まって、彼の文章力が活きてたように思います。
 今回は長い説明があったりして、色々画像を揃える必要があったようにみえるんですが、視覚的な方向に行くにしても、その稀有の文才だけは、なんとか大事にしてほしい。今回の動画を見てると、正直なところ、「IoTRが『普通の作品』になっちゃう!」という恐怖にびびりまくってましたw いや、やっぱり面白いんですよ?w 面白いんですけど、それはあくまで一般的な架空戦記の面白さなのであって、何も鳥が翼を捨ててエラ呼吸を覚える必要はないし、ルビーがダイヤになる必要もないと思ったわけです。
 まあ、要するに視聴者ってのは、嫌な連中なんですよw 一度あるものがいいと思ったら、ずっと同じことを作者に求め続けるんですからね。呂凱Pには「iM@S架空戦記」を、糸冬Pには「戦国系架空戦記」を・・・。だからそんな視聴者が常に正しいわけもなく、このままバリバリ画像を使いつつも文章で魅せる道もあるはずなので、この変化を受け入れるべきなのか強い葛藤を覚えるんですが、現時点では「昔は良かった」に与しておくことにしますw 少なくとも保留ということでw

 一方で、春香さんの描写はよかったですね。いとしいさかなPの魅力はなんといっても異香薫ずるその文章力なので、一見「アイマスへの愛」のような現代的な感性とは対極にいるように思えるのですが、どうしてどうして、アイマスキャラ一人一人の描写はしっかりと原作の雰囲気や口調、口癖をとらえており、アイマスのキャラを愛しているというよりは、むしろ慈しむように、優しく、温かく描く点に特徴があります。「春香が好きだー!」という、いわゆる「愛」よりは、親が子供に対して持つ愛情のようなものを感じますね。いとしいさかなPがキャラに対して注ぐ「視線」の温かさには、それだけで胸にこみ上げる何かを感じることもあります。そしてその無窮の慈愛が、指輪キャラとアイマスキャラの双方に、等しく、些かの差異も、何の衒いもなく注がれていることに気がつく時、我々はここに、二つの世界の祝福された抱擁と接吻を目撃するわけです。この点は架空戦記界においてほとんど唯一無二の隔絶した個性であり、さすがのノベマス界にも、ここまでの人材は二人も三人もいないでしょう。一人の架空戦記ファンとして、鼻高々ですねw
 そして一連の春香の想い人についての言葉は、当然あのドーム成功EDを前提として描かれているわけですが、いとしいさかなPが描くと、この作品の春香はきっと幸せになれるに違いないという、確信に似た強い正の感情を覚えます。いや、閣下化する可能性がゼロではないのですが、いとしいさかなPなら、たとえ鬼と成り果てた春香の姿を描いても、そこには自己投影や憐憫を伴わない、今の春香や、やよいや、伊織や、フロドや、サムや、その他の全ての登場人物に注がれているのと同じ、温かい「視線」があることでしょう。それはこの動画における、フロドの次のような台詞に象徴されています。

あなたにはあなたの背負ったものがおありなのでしょう。
それを軽んずることはないと、私は思いますよ。


 たとえままならぬ浮世の定めにこの身が朽ち果てようとも、それを肯定するでもなく、否定するでもなく、ただ見守ってくれている「誰か」がいるとしたら・・・。我々の苦悩は、随分と和らぐに違いありません。人が「神」なんていう機械を作り出した理由が、よく分かります。しかし、忘れてはならないことは、この動画を作っているいとしいさかなPは、機械でもなく、ましてや神などでもなく、我々と同じ、血の通った人間であるということです。今はその事実に、束の間、心を安らげてもいいのではないでしょうか。

【アイドルマスター】 美希の天下創世49 【信長の野望】
 別所就治P
 

 なんかもう、「守破離」でいう「離」ですね。風のような作風です。
 動画の雰囲気も素晴らしいですね。一つ一つの画面が絵画のような美しさです。静的な架空戦記の極北でしょう。

 以下、あんまり動画と関係なくなってしまったので格納します。
続きを読む

「iM@S KAKU-tail Party DS & DSX」についてのおしらせ
 かんどるまP
 

 公式ブログ最新エントリにイラストの募集要項があったので、私も久しぶりに何か書こうかと思ったのですが、条件が自分には少し難しいのでやめました。自分は複数のキャラを画面に入れると、顔の大きさなんかを揃えるのにすごい苦労してしまうのでw あれ、絵が上手い人はどうやってるんでしょうかね。私は大体、一人の顔のアップが描ければ満足してしまうので、わざわざ描きにくい手やら足やらを描く人は偉いなといつも思ってますw pixivなんかでも、皆さん精力的にアップされてますよね。本当に絵を描くのが好きなんだなーとw
 あと、当該エントリの一番下から募集要項をダウンロードして一番驚いたのが、ロゴの美しさ。ほんと見惚れます。自分には絶対出来ない色使いですね。

【0911V.L.S】 2/14☆りょうゆめ●REC!【アイドルマスター】
 liarP
 

 これはすごいですよ。最近のノベマスらしく、よく動きます。シナリオも素晴らしい。単発のノベマスではニコマス史上で五本の指に入るでしょう。残り四つを知らないので、今のとこ一本指ですがw
 この人は小鳥さんの表情選択一つ取っても、個性があります。サムネにもなった夢子のトレスは、MMDの発表当初から「こんな使い方があるんじゃないの?」と言われてた手法ですが、そのトレスも上手い。絵もガンガン改変しますが、これも上手い。それから絵の差し替えと移動を使って、台詞なしで場面を描く、RPGのイベントシーンみたいなノベマス伝統の手法も、やはり上手いw ノベマスで使われてる色んな手法の博覧会みたいになってますが、全部ちゃんと効果が出てます。これはすごいことです。ラストも王道展開で、ガッチリまとめてます。

 この作品を見てて思ったのは、やはりキャラとキャラとの関係があるといいなということですね。プロデューサーとアイドルがサシの形式はもう箱○で極めてしまったと思うので、次にやるとしたらこっちの方向だと思います。これは「3A07」を見た時にも思ったことです。「3A07」で私が一番感動したのは、実はメインの話より、アイドル同士が当たり前のように話しあったり、慰め合ったりすることでした。箱○では、コミュではアイドル対プロデューサー、ステージではアイドル対観客という形でしか視覚的な画像素材がないので、アイドル同士の関係を描く動画素材が決定的に不足してるわけです。それをPVの分野では、色んな人が知恵を絞りながら補ってきたわけですが、「3A07」はそれを正面から突破してしまいましたw まあ、あの作品についてはまだ分からないことが多すぎるし、考える手掛かりになるエントリもまだあまり出揃ってないので、ここら辺でやめときます。
 あと、キャラ同士の関係をPVでどう描くかについては、二十選の一項でまた詳細に語りますので、どうかご期待くださいw

逆転裁判春香 第2話「逆転花嫁」1日目法廷C
 ともきP
 

 動画自体というか、どちらかというとコメントのほうに言いたいことがあって、またながーい文章を書いてしまったのですが、消しました。「有罪より真実」「冤罪をなくす」「序審法廷制度は冤罪の温床」・・・主にこの三点について、大真面目に書いてたんですけどねw 刑事訴訟法についてまともに勉強したことないのに、適当なこと書いちゃいかんと思ったので、消しました。
 まあ、一通り勉強が終わったら、特に序審法廷制度については、大真面目に「分析」するという道化をやろうと思ってますw gase2先生の次回作にご期待ください。

バーニングバレンタイン【バレm@s2010】
 マイペースP
 

 当然、サムネに釣られたわけですがw
 この作品は笑いましたね。バレンタインデーの動画は、いつも見ないノベマスに素晴らしい作品が多くて嬉しい悲鳴でした。特に私の好きな小鳥さんが、色んなギャグ系の動画で無双してたのが面白かったw ほんと小鳥さんはノベル系ではジョーカーキャラというか、メタ的な機能が素晴らしいですね。この動画でも、彼女の一声で色んな世界という
か時空へ飛ぶんですが、こういう役どころが実によく馴染みます。
 ただ前半がすごく面白かった代わりにオチが少し木に竹を接いだような感じだったのが、ちょっと残念でした。いや、そっちに行くとは思ってましたけどw

雑談 : 1エントリ1動画形式について 他
 日曜日は能の練習してきたんですが、紋付袴で能の動きを延々何時間もやってたので、今日は一日中筋肉痛でしたw 特に腰が痛いですねw

 そういえば最近、なんで「1エントリで雑談+動画ずらずら紹介」をやめて「1エントリ1動画」にしてるのかというと、動画についてまとまった文章がある場合に、過去記事にリンクしやすいからです。「このエントリの上から三番目で紹介してます」というのでは、リンクをたどった場合に、自分でも面倒なんですね。それが1エントリ1動画だと、リンク先にはその動画の話しか書いてないので、そういう時に便利なんです。これは二十選の文章を書いていて痛感しました。1エントリ1動画のほうが、リンクを貼りやすく、ブログのデータベースとしての質は上がるわけです。
 ただこのやり方だとエントリの数がやたら多くなってしまって、たまにこのブログに来る人が少し前から読みなおそうにも、記事が流れすぎてて面倒というのはあると思います。そこら辺はご迷惑をお掛けします。

【アイドルマスター】姉、ちゃんとPしようよっ! 第18話【バレm@s2010】
 腰痛P
 

 前半が面白すぎて、そのうち画面止めても理由もなくヘラヘラ笑ってしまう状態にw なんという危険な動画でしょうかw

【第4回MMD杯本選】 つなわたリフティング 【原点回帰】 他
 お面着けて能の練習してるんですが、録画してみると、お面なしと比べて体がぶれまくってて驚きます。お面を付けてると視界が極端に狭まるのでバランスが取りにくく、ハコビ(歩き)の時も頭がつーっと動いてくれません。頭がどうしても揺れやすいし、たまに足元がふらつくことまであります。また周辺視野で自分の手や扇の動きを見ることも出来ないので、細かい動きが雑になりやすい。困ったもんです。
 以下、第四回MMD杯の続きです。

 6666AAP
 

 とにかく動きが綺麗です。MMDの醍醐味をそのまま動画にしたらこうなった感じです。今回、真っ向勝負の作品が多くて楽しいですね。作るのは大変だと思うんですが、上手く行った時の破壊力は、やはり変化球の比ではありません。
 ロープがたるんでほしいというコメントがありましたが、これでロープがたるんだら、次は「ロープが自然にたるんでるのに、ボールが毎回垂直に跳ね返るのはおかしい」って言われるんじゃないですか?w 最初から「これは鉄の棒です。ロープではありません」って書いちゃえばよかったですねw

 danchoP
 

 ほんといい動きですね。元の振り付けの良さがしっかり汲み取れます。この振り付けは、西洋のダンスの割に、要所要所でピタッと止まるところが私好みですねw アイマスのダンスにこういう動きはあんまりないので、面白く見れます。
 「スカートは失敗」というコメントには賛同しません。後ろの咲夜なんか見てると分かりますが、このモーション、足が見えてても、意外に面白くありません。足が見えて面白くなるには、相当モーションがいいか、やっぱ実写でないと無理でしょうw 魔理沙を選んだ理由は帽子でしょうが、回転する時のスカートの広がりなんか見てると、私はスカート有りだから(自分には)ここまで面白かったと思います。能だと足なんか袴で見えませんしね。
 一方で、大きく右足を蹴り上げた時に、足がスカートを貫通してしまったのは、私も「もったいない」と思いましたw もちろん性的な意味ではなくて、視覚的な面白さの話ですw あそこは動きのほうをいじってもいいから、貫通させてほしくなかったですね。
 でも、やっぱりMMDの良さが出てた作品だと思います。最近の作品は初期のMMDより随分動きも良くなって、見応えが増しましたね。モデリング技術も上がってるし、MMD杯はいつも予想を上回ってくれてます。このまま行けるところまで行ってほしいもんですw

【源氏m@ster】帚木【第ニ帖】
 くるわP
 

 今回は内容が内容だったので、ちょっと広告を付ける気にはなれませんでした。動画の出来ではなく、原作のシナリオが「みんなもこれを見ろ!」って感じではないので・・・。でも、この胸のモヤモヤこそ、紫式部が読者に思わせたかったことかもしれません。空蝉は作者の分身とも言われているので、その読者の同情こそが、シナリオの目的であるとも思えます。本当にそうだとしたら、まあ、やっぱり紫式部は嫌な奴ですねw
 なんか、見てる時は今ひとつ心が高まらなかったんですが、見終わってみると、ズーンと後に響く動画ですねw これもまた原作をよく再現しているんでしょうか。なんともやり切れない思いです。

【第4回MMD杯本選】ミクトラ 他
 第四回MMD杯をちょっと見たので、感想を。

 ツブラヤP
 

 第四回MMD杯では、今のところこれが一番好きです。なんと言っても正攻法なのがすごい。オーソドックスなMMD動画の形式でありながら、抜群のカメラワークと愛のモデリング、根性のモーション付けで圧倒してくれます。
 「愛」と書いてしまいましたが、怪獣たちのモデリングが、まず単純に上手い。変なクセもなくて、とにかくウルトラ怪獣の特徴や、昭和のデザインの面影をしっかり残しつつ、現代人の小奇麗さを好む感性にもバッチリ馴染むモデリングにため息です。多分、MMDの制約上、かなり簡略化したモデリングだと思うんですが、それなのにこの質感、存在感・・・。いや、それ「だからこそ」かもしれませんけど。
 モーションブラー(?)なんかもいい感じですが、やっぱり一番すごいのはカメラワークでしょう。特撮を見まくった成果なんでしょうかw PV系ニコマスPの人たちは、こんなカメラワーク思いついても使えませんからね。いかにニコマスが制約の多い形式か分かります。その代わり、素材という型そのものが非常によく出来てるわけですが・・・。

 ああああ氏
 

 これも上位確定の素晴らしい出来。あくまで力で押す正攻法なのが憎いですね。

アイドルたちがネットゲームはじめました?第2話?
 fotya氏(P名未定)
 

 まーね。もう紹介する必要もないんですけどw
 さっきの無免許Pのエントリで「ノベマスの演出がブルーオーシャン」なのかもと書きましたが、まさにそれですね。見たこともない映像が出てきますw これにはびっくり。これをPVでやっても、もうそんなに驚かれないかもしれませんが、架空戦記の中でやるからこそ、この驚きなんですよw 新発見ですね。
 本人は

前回のあまりの反響ぶりに、このまま最終回を投稿して綺麗に終わらせようと考えてしまいました。


 と書いてますが、それを終わらせるなんてとんでもない! まあ、確かにこれはもうPVみたいなもんなんで、短期決戦で終わるのもアリですけどね。ただでさえ完走がキツイ架空戦記で、うp主の負担を考えると、あんまりこれを長期間やるのは、一人の視聴者として見てられないかもしれません。
 でも、結局は動画の最後で、こう書いてしまうわけですね。

 続け!

アイドルマスター 「ガスラブ」
 きつねP
 

 金ピカだったので思わずクリック。
 きつねPが隣の県にいるって思うだけで幸せになれる。

アイドルマスター『絶対衝激?プラスティックバード』 春香・雪歩
 na-P
 

 いいですね。画質の関係で一昔前のPVみたいに見えますし、実際そんな感じなんですが、何か光るものを感じます。静止画を上手く使う人は個人的に好きですね。とにかく色んなアイディアが詰まってて、MADという画像いじりの醍醐味がここにあります。
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