iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「iM@S KAKU-tail Party DS」 1st night - Opening
 狡猾全裸富竹P sabishiroP
 

 この動画について「まだまだ公式には及ばない」という意見を散見しますが、それらの意見が、こういったMMD作品に対する、私を含めた多くの人々の複雑な思いを表わしていると言えそうです。

 すると、ある律法学者たちが心の中で言った。「この人は神を汚している」。
 (マタイ伝 第9章3節)

 なぜなら私を含む多くの人が、腹の底では「公式に及ぶべきではない」と思っているからです。これは御三家の中でも、ニコマスに特に付きまとう問題です。ただ東方でも、音楽に関しては同じことが言えるかもしれませんが…。

 全地は同じ発音、同じ言葉であった。
 時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。
 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代わりに、れんがを得、漆喰の代りに、アスファルトを得た。
 彼らはまた言った。「さあ、町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。そして我々は名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。
 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた。「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をし始めた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、我々は下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。
 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。
 これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。
 (創世記 第11章)

 しかし、この世に神はいないのです。バベルの塔から人を追い払うのは、常に、人間です。自分の行為が「神の教えに叶う」と信じる、人間なのです。

 そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところにきて言った。「わたしたちとパリサイ人たちとが断食しているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食しないのですか」。
 (マタイ伝 第9章14節)

 我々は「戒律」を作るべきでしょうか? 自身が守るためでなく、他者を束縛するための、神聖なる「戒律」を?
 しかし、一つだけ確かなことは、ここに、アイマスの「神」がいるということです。 
スポンサーサイト

アイマス借りてきた その3 後編
 無免許P
 

 すごいですね。文字通り引き込まれます。こんな作者がニコマスという狭い場所で動画を作っているのはもったいないようにも思います。自分はただただ「ニコマスって素晴らしいよね」と全肯定することは出来ないので、そういう側面は常に感じます。「ニコマスだからこそ、この作品が生まれたんだよ」という決まり文句も、敢えて使いません。そういう言葉は、時に作者の努力や天分を安易に矮小化しすぎるきらいがあるからです。しかし、今はただ、この作品と出会えた「この場所」に感謝する他はありません。

 3:02、音楽がフェードアウトした後に発せられる律子の言葉。私は作業しながら動画を見てたんですが、このシーンで凍り付きましたw あとは動画の最後まで、息を呑んで見続けてしまいました。
 4:45辺りからの、なかなか振り向かない春香。すごい「タメ」ですねw しかし、しっかりと間が計算されてるので、ダレません。振り向いた時、自分は笑顔を予想してたんですが、あえてここは外し、スッと話の中に入って行きます。このシーンではBGMの関係もあって、自分は『女神異聞録ペルソナ』の雰囲気を思い出しました。
 9:54の停電では、これもまたかなりビビりましたw 全体に抑えた雰囲気になっている上に、見てる側は集中して見てるので、この程度の演出でビビッてしまうわけですw
 春香の『my song』以降は、描写が極端に抽象的になり、台詞も錯綜します。具体的な世界設定や「真相」は分かりませんし、分からないようにしているのでしょう。美希の「春香の、バカ…」という言葉は大きなヒントになりそうですが、春香が今まで通り「バカ」なことをやったのか、今回だけ今までと違う「バカ」をやったのかが分からないので、結局堂々巡りです。まあ、私はアガサ・クリスティーの作品なんかでも、作者に騙されるのがむしろ快感という方なので、これは最後まで見る他はありますまいw

 この作品は明らかに再生数が内容に釣り合っておらず、その点だけはなんとしても残念ですが、動画の方向性がニコ動やニコマスのスタンダードから少し外れていることは事実でしょう。見ていてコメを書き込むのがはばかられるような雰囲気が、この動画にはあります。動画が動画自体でほぼ完成しており、コメントの存在を必要としないのです。だからコメを書き込む時、何か大理石の像に落書きをするような罪悪感があり、やはり作品の位置づけとしては、ニコマスの中心からやや離れた場所にいる気がします。
 この作品は、いわゆる「動画を介したコミュニケーション」を提供するものというより、やはり20世紀的な意味での「作品」なのではないでしょうか。つまり手段ではなく目的であり、この作品は、この作品で盛り上がるためではなく、あくまで自己を「鑑賞」されるために存在しているわけです。そんな当たり前のことが、ニコ動では珍しく感じます。

 「アイドルと私」「アイマスと私」を題材にした作品は沢山ありますが、この作品が描こうとするのは、「アイマスと世界」なのかもしれません。意外とこの分野に興味がある人は少ないようですが、私は非常に価値ある試みだと思います。
 問題はここまで広げた風呂敷を畳みきれるかどうかですが、なんとか頑張ってほしいとしか言いようがありませんw

アイドルたちがネットゲームはじめました?第4話?
 ひのきの薪P
 

 まさかノベマスがここまで来るとは…。フリージアPという「オーパーツ」も今までに居たわけですが、先ほどのエントリのすっきりぽんPといい、自分にとっては想像もしてなかった方向に色々とノベマスが進化を遂げていて、驚くことが多くなりました。私の次回作もベースはノベマスなんですが、やはりこのノベマスという形式は、単純なだけに、とても包容力が大きい気がします。こういう凝りまくったものから、糸冬Pの『美希は時のかなたへ』のような、作者の文章の「息遣い」を楽しむようなものまで(そんな見方してるの、私だけですか?w)、本当に何でも出てきます。
 といっても、「ノベマスとは何か」と聞かれると、そんなものはあってないようなもので、その「ユルさ」がいいのかもしれません。この点は「iM@S架空戦記の定義を述べよ」などの問題と同様です。
 
 この動画のすごさについては見たままなので特に言うこともありませんが、シナリオの展開は、同時期にデビューした無免許Pの『アイマス借りてきた』に通じるものがあります。哀れな小羊Pの『レプリカーレ』『Endless Tears(残念ながらギター版も削除されてしまいました)』などもそうですが、何か「アイドルのここがかわいい!」とか「アイドルと私」とかの初期のニコマスのテーマから少し離れて、「アイマスって何だろう」という問いかけを含む作品が増えたように思います。私はこのテーマが非常に好きなんですが、一方で、このテーマの先には、よく語られる「二次元と三次元」というような、オタクにとっての「永遠の軛」をさらに超えるような、何か恐ろしい現実が待ち受けていそうな気もして、「いいぞもっとやれ」とは無責任に言えない自分がいます。
 しかし、今はやはり、彼ら開拓者たちの背中を追いかけたいとも思います。真実は常に残酷ですが、最も残酷なのは、それから目を背けるために、人間が作り出す嘘だと思うからです。自分はやはり、自分にとってアイマスとは、ニコマスとは何だろうということを、もっと深く知りたいですね。たとえその答えが、残酷なものだったとしても・・・いや、私が本当に見たいのは、彼らが答えを出そうとすることで描き出される、美しい「軌跡」の方なのかもしれませんが。

娘がアイドルになると言い出した。
 すっきりぽんP
 

 私はこの動画のノリにも、すっきりぽんPのノリにも、100%の同調は出来ませんが、すっきりぽんPというのはもう「達人」のなん域だなあと、彼の作品を見る度にいつも思います。他のノベマスPの動画や文章には当然のようにある「傷」や、「ミス」や、「引っ掛かり」みたいなものが、全くありません。文章も動画も、さらさらと風のように流れて行って、それでいて水のように、しっかりと心に染み入って残ります。
 もちろん、すっきりぽんPといえども神様ではないので、極め残している芸の「余白」が、当然まだいくらか残っているんでしょうが、視聴者の私からは、これ以上の領域というのは、ちょっと想像することさえ困難です。また、庭上げPのようなエネルギーで持ってくタイプでもなく、糸冬PいとしいさかなPのような理知的な視点を感じるわけでもなく、なんというか、芸術とか文化とかいうよりは、どちらかというと「芸」ですね。上手くは言えないんですが、この動画を見ていると、そんな気がしました。

 また、この動画の大半が、立ち絵と文章だけで構成されていることは、注目に値します。この「立ち絵・文章・音楽」というのが、当然ながら紙芝居動画の基幹となる三要素なわけですが、この動画では台詞ウィンドウまでとっぱらって、この3つに思いっきり焦点を合わせているように見えます。まるで「受け取って欲しいのはその3つなんだから、他の物はいらん」とでも言うかのようです。これはある意味で「無駄のそぎ落とし」なんですが、ここではフォントの美しさや、意味の濃い歌詞が、動画の情報量を増やすことで、作品が骨と皮だけになるのが防がれているようにも思います。
 しかし、これが出来るのは、作者がそこそこ文章や立ち絵の選択に自信があるからだとも思いますw 「表情がいい」というコメが沢山あった通り、立ち絵と文章の組み合わせが生み出す感動というものを多くの人が受け取ったようですが、ここまで立ち絵を大きく表示するというのは、やはり「この表情を見てくれ!」という意図があってのことでしょう。それが嫌味にならないのは、きっと「人徳」に違いありませんw
 一方で、いくつかの表情はコミュなどで見慣れたものであって、そこから意味を掘り起こすというか、書き加えるというか、暖炉に新しい薪がくべられたような、暖かい感動があります。G様Pの『No Life Queen』のような求心的な作品とは正反対の、まさにニコマスの王道を行くタイプのノベマス作品ですが、ここまでやってくれると、温もりある作品の向こうに、何かノベマスに対する求道的な作者の姿勢すら感じてしまいそうになります。

iM@s 13d@ys-第9話【アイマスで分かる(かもしれない)キューバ危機】
 マシン語P
 

 今回はやたらとコメが多くて、いつもより楽しかったですねw やはりコメがあると全然違います。2chだったかでオススメする人もいるらしく、実際少し伸びてきました。
 あと、メッセージ送りが早くなったのも関係してるかもしれませんが、初期のまったりした雰囲気と比べると、少し変化があると思います。事態が緊迫してきたのもありますが、何か昔よりエンタメ性が増したようにも感じます。昔はもっと「教養講座」然としてました。正直に告白して、昔はギャグが滑り気味だったことも多かったように記憶してますが、随分面白くなったと思います。
 よく考えたら、なんでこれを見続けてたんでしょうかねw 以前はもっと淡々とした動画だった気もしますが、なんとなく見続けてたら、段々面白くなってきた感じです。やはり何か感じるものがあったんでしょうか。作り続けるというのは、素晴らしいことです。

【バーガーバーガー2×im@s】続りっちゃんがあのお店を再興するようです
 あいうえおP
 

 ウソm@s2作品の続編なんですが、今回限りで終わりだそうです。しかし、ギャグ系では近年稀に見る面白さw 連載してほしい人は、私以外にも大量にいるでしょう。
 自分は特に、立ち絵選択が好きでしょうか。亜美真美を特にかわいいと思うことはあんまりないんですが、この動画では何かエッチな雰囲気を感じるくらい魅力的です。律子もそういうところが出てますね。アイマスの立ち絵というのは、能面のように静的な雰囲気も出せるし、この作品のように、血が通った感じを出すことも出来るようです。
 また、うさちゃんに依存する伊織も、他の動画とは違った良さがあります。もともと原作の伊織というのは、多分に子どもっぽいところがあり、精神的にもどちらかというと脆いのですが、iM@S架空戦記では貴重なツッコミ要因として振舞うことが多く、どうしても弱い部分は隠れがちです。それがこういう伊織の使い方を見てると、「ああ、原作の伊織ってこういうところあったな」ということが思い出されて、温の感があります。

 独創的――何か新しいものを初めて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にも触れていたが、見逃されていたものを新しいもののように観察することが、真に独創的な頭脳の証拠である。

 ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』より

 しかし、こんな場合に限って、作者本人は原作の伊織をよく覚えてなかったりもするんですがw まあ、自分はそのように感じたということです。
 あと途中の超展開からは休みがなくて、さすがに自分は少し笑い疲れてしまいましたが、ここまでやってくれればもうアッパレ、これ以上を望むのは贅沢というものでしょう。
 またこの動画は密かに細かい演出もしっかりと作りこまれており、立ち絵の消え方一つ取っても多彩だし、ゲーム画面では出来るだけ画像を邪魔しないようにウィンドウを噴き出し形式にするなど、作者による細かい気配りの見本市のような作品になっています。全く素晴らしい作品だとは思いますが、これに慣れてしまうと、他の作品でも当たり前のように「気配り」を作者に求めてしまうところが、「お客様は神様です」という日本文化の悪い所でもあります。
 一方でこの動画では、基本を忠実に守っているように見えて、実は台詞ウィンドウに名前欄がなく、台詞の色分けと立ち絵の透過でキャラを区別するタイプだったり、結構スタンダードからは外れる選択もしてます。ここら辺の大胆さというのは、上手い人には大抵共通してる部分ですが、本人はただ「当たり前の選択をしただけ」と思っていることも多く、その常識に囚われない部分も含めて、見習いたいところではあります。

Rom@ncing iDOL 2章 第7話 『決戦!地上戦艦』後編 / アイマス×ロマサガ2
 にけP
 

 戦艦内の回避は数百回やってるとのこと! この動画のためだけなのかは分かりませんが、毎度毎度の神回避は見てると一瞬ですが、かなりの回やり直してるはずです。手間掛かってますね。
 また、水鳥剣でのキメから短めのイベントを挟んで、北斗の拳の「獄屠拳VS飛衛拳」を思わせるカットからブラックアウト、そしてメッセージと地図を映しながら、音楽と動画が緩やかにシンクロして終わって行く流れがかなりよくて、コメの「この章も終わるか。寂しいなあ…」と合わせて、思わずしんみりとしてしまいました。
 私の思い込みかもしれませんが、やはり架空戦記も数年間の歴史を経て、長く作り続けてる人は、全体の構図みたいなものをつかんでるように思えることが増えました。コメの熱気に包まれてひたすら前進し続ける昔の架空戦記もいいもんですが、これはこれでいいもんです。

非アイマス pixiv : 油屋とんび氏
 pixivから。
 
 
 
 

 最近の油屋とんび氏が神がかってるので、紹介だけ。

 しかし、pixivは過去の作品に視聴が分散しないようにするためか、閲覧数でソートなどが出来ないので、かえって検索が煩わしくなってしまい、結局好きな絵師さんの新着しかチェックしないようになってしまいました。これはあんまり良くないのではないかと思います。

新作制作状況
 実はずっと作ってます。が、何度も進渉状況をエントリにしようと思って、書いては消し…を繰り返してましたw 本当に、書けることがないんですね。前作ほどではないんですが、またちょっと新しい形式のものに挑戦するので、ネタバレは控えようと思います。でも結構巨大な作品になりそうなので、時間はまだまだ掛かります。これでも頑張ってるんですが、時間がなくて、手を付けられない日も多くて…。
 それに昔は、ニコマスに面白い作品が少なくても「最近寂しいな」で済ませられたんですが、下手に自分が作ってるもんだから、今は「不満があるなら、自分で作るしかない」と思ってしまい、結構イライラする日がありますねw やる気はみなぎってるのに、時間がないもんですから…。
 あと自分は最近になって、ニコマスの他にニコ動にこれといった居場所もないというか、やっぱりニコマスが自分のホームなのかな、と強く思うことが増えてきました。だから、あんまり自分で言う事ではないかもしれませんが、やはりこのコミュニティに貢献したいという気持ちが空回りしているように思うことがあります。

 次の動画はちょっと特殊で、見る人を最初から限定してしまうような部分があり、再生数の面では、前作のようにはいきません。しかしながらニコマスというのは、「真剣に作れば、真剣に見てくれる人が必ずいる」という確信が持てるコミュニティであり、作る側にとっては、こんなに楽なことはありません。小説の新人賞などというのは、落選したらその作品は存在しないも同じことになってしまうという、ほとんど「0か1か」の世界です。応募する側としては、そのオール・オア・ナッシングの賭けに、全身全霊を掛けて文庫本一冊分の作品を書かされるわけで、これはギャンブルとしても、明らかに期待値は0以下でしょう。
 しかしニコマスというのは、頑張って作ればかならず0から1までのどこかに置いてもらえるし、見てくれるのは下読みさんや審査員でもない、本当の「視聴者」なんですから、これは著作物の発表という観点から見ても、本当に革命的なシステムだと思います。その代わり、一分の隙もない「プロっぽい」作品を生み出すのには向いていないわけですが、そういう「いかに文句を言われないように作るか」という防御的な視点を捨てて攻撃に特化した作品が、特にiM@S架空戦記の分野で、自分は傑作を生み出してきたと思っています。
 もちろん、「防御的な視点をもっと持とう」という啓蒙活動があるのは知っていますが、それについては、もうちょっと作品を作ってから書こうと思います。今はまだ整理しきれないし、この状態で書いても説得力がありませんので。

 というわけで、引き続き頑張ります。

春香と小鳥の暇つぶし その442【NINJA】
 ボンテリP
 

 ここまで長寿番組になるとは、誰が予想したでしょうかw 未だに「その1から見直して今追いついたぜ!」というコメを時折見るほど、一種の名物作品になってしまいました。
 自分は全話見ているわけではなく、たまにちょいちょいと軽く見て、自分が面白いと思う回は最後まで見るという感じです。しかし、何と言ってもほとんど日刊で大量に話があり、また結構な確率で面白いので、全話が全話面白くなくても「またマスステ上がってるな。今日はどんなだろう」と思って見てしまいます。ここまで来てしまうと、各話の再生数が万単位のノベマスとは、また違った価値が出てきますねw
 しかし、こういう作品の良さについて深く書こうと思ったら、動画単位の面白さだけではなく、「連載し続けていること」という動画の投稿形態についての観点も必要になってくるでしょう。それはノベマスや架空戦記とPVとの重要な差でもあるのですが、真面目に考えていくと大変なので、今回は「いつか考えます」としか言えませんw しかし、「次の動画を楽しみに待つ」というのは一体どういうことなんだろう、その「待つ」という行為が動画という個々の作品にどのような影響を与えているんだろう、というのは、以前から自分が興味を抱いている論点ではあります。

【アイマス×半熟】半熟英雄(ヒロイン) 第4話 その2 後編
 ランプキンP
 

 貴音の胸だけ三回くらい見直した。

 …この硬派なブログで何を言ってるんだ俺はw

Emblem For you! 第25話 突然の暗闇とあふれ出す感情(後)(1)(2)
 ソシアルP
 
 

 ソシアルPは本当にすごい人です。ゲーム画面もよく作り込んでくれる人なんですが、何よりこの時代に、紙芝居部分でここまで出来るのは本当にすごい。
 この作品での紙芝居は、絵としての画面はほとんど「背景」のように扱って、文章と音楽を中心に物語を組み立てているように思います。まあ、それは純粋紙芝居の基本でもあるんですが、音楽の配置にマクロな視点があるというか、「最初はこの音楽で、次にここで抑えて、最後にこれでオチを付ける」というような、単なるBGMの「切り替え」よりもう一歩踏み込んだ、構造的な視点があると思います。
 また、(2)の1:06、デルムッドの台詞でBGMが切り替わりますが、ここではまだデルムッドが面白いことを言ってないのにBGMが先に切り替わっています。しかし、普通は、たとえば庭上げPのIDOL大戦?第1話の8:13のように、ギャグ的な台詞が表示されるのとほぼ同時にBGMが切り替わるタイプのものが多いように思いますから、自分は見てて「お?」と思いました。このようにBGMが先行して切り替わるのは、ギャグ担当のキャラが登場したり(先ほどのIDOL大戦第1話では3:23からの千早の登場など)、あるいは何かキャラの「モード」が明示的に切り替わる時が多いと思います。この(2)でもデルムッドの「モード」は確かに切り替わっているんですが、1:06の台詞はデルムッドの「モード」の切り替えを明示してはおらず、音楽でのみそれが表現されているところが面白いと思いました。コメントに「嫌な予感が」とありましたが、突発的にギャグを挟むのではなく、あえて音楽で前置きをしてからギャグをやるのも、多彩で面白いと思ったわけです。
 あと(1)の方では台詞に詩的な表現が目立ち、これはテンダスPなんかを想起させました。E4Uが最初からこうだったのかはちょっと確認する時間がないんですが、この作品はだんだん台詞に込められた意味というか、効果というか、そういうものがシリアスかギャグかを問わずに濃密になっているような感覚があり、それは音楽との合わせ方などによるものかもしれませんが、台詞を読んだ後、目を閉じて深く息を吸ったりすることが増えたように思いますw いとしいさかなPのような、温かさや滋味に溢れる香り立つような文章とはまた別の、極めてゲーム的で、いい意味で単純かつ平易な文章なんですが、そこにこれだけの意味や、語り手であるキャラの背景を感じさせる「物語」を含ませることが出来るというのは、これもまた一つの「文章力」であると確信する次第です。

【アイマス紙芝居】アイドルたちの念能力バトルDS?
 テラフガシP
 

 この作品はよく見てます。特に欠かさず追ってるわけでもないんですが、チラチラと見てても面白いですね。
 中でも絵の勢いというか、キレみたいなものが特にいいなと、いつも思ってます。
 一方で、0:31の涼なんかを、「この姿勢は日本の能の観点から見るとどうなんだろうか?」などとマニアックな見方もしてしまいますw もちろん絵ですから、この画像で絵里が死に体なのは、「涼の攻撃が当たってしまいそう」という感じを出すため、とも言えるし、そもそも理屈を付けるのがナンセンスなんですが、まあ、そんな楽しみ方も出来るということですw

アイマス野球道Girl’s・五年目(29)
 糸冬P
 

 千早と糸冬Pは、クールな感じで相性が良さそう…とか思ってたら、さっそく千早のキャラが壊れてきましたw

 私は4年目の終わり頃から本格的にこの作品の視聴を始めたので、以前は律子がいた時の方が、キャラ全体のバランスが良かったように感じていました。今年度も最初の頃は、モブキャラが若干個性に乏しいような感じや、糸冬Pが色々キャラの方向性を探ってるような感じもあって、当初は「大丈夫かな」と思っていたのですが、こうして段々とキャラが煮詰まってくるのを見ていると、「なるほど、こういうのを毎年繰り返して、卒業する頃にはキャラが完成していくのかな」と思い、感慨深いものがありました。
 こういう手探り感は、商業媒体でも長大な作品には当然つきまとうものですが、iM@S架空戦記では直接に鑑賞の対象にもなって楽しいかなと思います。
 しかし、そんなことを考えながら私の好きな架空戦記を色々振り返ってみると、思っていたよりずっと多くの作品が、ほとんどキャラが最初から最後までブレていないことに気付かされます。この「キャラの固まりっぷり」は、ただのアマチュアが趣味で作ってる作品としては、驚くべきレベルにあるとも言えます。日本人は「キャラ」というものに対して、一般庶民のレベルから、何か独特の感性を持っているのかもしれませんね。
 そして、その「キャラの固まりっぷり」はこのアイマス野球道Girl'sでも同じで、モブキャラの特徴付けは、実は最初からほとんど変わっておらず、キャラの個性が変更されたからではなく、キャラの個性の「見せ方」が変わったから、自分にも魅力的に見えるようになったのではないか、と思いました。
 ちなみにこの作品では、アイドルもほとんど最初から変わってないと思います。元々糸冬Pというのはキャラを非常に丹念に扱う人なので、あの千早の一言で、結構びっくりしてしまうわけですねw

 しかし、この作品はライトなものとして、よく「書くことがあまりない作品だ」ということを、繰り返しこのブログで書いてきたようにも思いますが、なんだかんだ言って、この作品を通して自分は色んなエントリを書いており、架空戦記について色々なことを考えてしまう作品なんだなあ、と思いました。シナリオ重視の作品とは対極にあるシステマティックな作品の構造が、何か架空戦記の本質的な側面の一つを、強く感じさせるようにも思います。

■4/22追記
 糸冬Pがブログで、「あれは千早が壊れたのではない」という内容のエントリを上げています。合わせて御覧下さい。

Rom@ncing iDOL 2章 第7話 『決戦!地上戦艦』前編 / アイマス×ロマサガ2
 にけP
 

 なんてことのない動画ですが、自分は立ち絵の選択に個性が出てるというか、人によって随分違うんだなあということをつくづく考えながら見てました。
 にけPのこの動画にしろ、見てる側は「ここはあの立ち絵の方がいいんじゃないの?」などと不満に思うことは滅多にないんですが、一方で作者によって立ち絵の選び方、切り替えるスパンが全く違い、自分はそれが動画の「雰囲気」にかなり影響を与えてるんではないかと思ってます。まあ、どれも「正解」なんでしょうね。しかし、作者がどの「正解」を選んでいくのか、そこがとても興味深いわけです。庭上げPなどは「立ち絵から台詞を思い付く」ということを言ってたように記憶しています(ブログで言ってたと思うんですが、どのエントリかはちょっと調べても出てきませんでした)。文章も立ち絵との組み合わせで、視聴者に与える印象が大きく変わることもあるのではないでしょうか。
 あんまり研究する時間がないので、上手く分類したりは出来ないのが残念です。色々考えながら見てますが、まだまだまとまりませんね。

【アイマス×提督の決断?PK】八八艦隊偶像物語 第十二話 A面
 いそっちP
 

 勉強中だったんですが、まったり見てしまいました。
 なんかもう、こたつに入ってアイドルたちが談話してるような感じの作品になってきましたねw ラストに向かって駆け上がる宇垣Pとは、ついに正反対の作風になってきました。
 しかし、自分にはこれがいいですね。だから番外編は中編までで止めました。あえて最後まで見ないことにしたわけです。
 あと、今回は、何か旅m@sと架空戦記の中間くらいになってる気もしますね。作者の個人的な日記がシナリオっぽい形を取ってるような感覚さえありますw しかし、これはアリでしょう。

 もちろん、ストレートにシナリオを綴る作品も恋しいわけです。SHI@Minefieldなんかは、今では数少ないストーリー重視系になってしまいました。元々架空戦記の形式が、一本筋が通ったシナリオを描くのに適さないので、SHIや@Minefieldのような骨太のシナリオをやってくれる存在は大変貴重ですね。アイマスではありませんが、こなハルAltなんかも、数少ない生き残りの一つでしょう。
 しかし、これらのシナリオ系は、努力の面一つ取っても誰にでも出来るわけではないので、自分は淡々とやってくれるものも好きです。単に思ったことを綴るだけでも、それが一応作品としての形を取ることで、コミュニケーションとしての面白さは上がるのではないかと思っています。

能楽DVD鑑賞 : 能楽名演集「仕舞 独吟 一調 舞囃子集」
 能楽のDVDをいくつか通販で買ったので、感想を書きます。
 今回は「能楽名演集「仕舞 独吟 一調 舞囃子集」」です。
 NHKのグッズショップ檜書店で買えます。

 まず、喜多六平太の仕舞「船弁慶」はすごい。「なんでまたこんなお爺さんが、船弁慶みたいな荒い曲やるんだろう。どうせヨボヨボなんじゃないの」という事前の不安を吹き飛ばして、見事に颯爽と演じてくれます。少しも年寄りっぽくないどころか、むしろカッコイイw 私はこういう能楽師の方が大好きです。年行った人がヨロヨロとおぼつかない足取りでやるのが「能だ」「幽玄だ」というのは、自分は違うんではないかと思ってます。いや、そういう演技でも素晴らしい感動を与えてくれるものは沢山ありますけど、能というのはそういうものだけでもないからです。自分はむしろ、こういう単純な「カッコ良さ」みたいなのをストレートに表現出来る人を、まずは尊敬してしまいますね。宝生流で三番目物(女性が主人公のしっとりした能)が得意だった野口兼資さんも、晩年に「経正」という修羅能をやった時、とても若々しくて驚いたと、近藤乾之助さん(現在の宝生流のエース)が本に書いてました。
 ネット上にも喜多流の船弁慶がYouTubeにありますので、気になる人はどうぞ。喜多流の船弁慶は派手ですが、嫌らしくなく、とてもシンプルで自分は大好きです。

 桜間道雄氏の「江口」は…自分はこのタイプの謡は苦手ですねw 能の謡というと、未だにこのタイプの歌い方がまず想像されてしまうと思うんですが、現在はこのタイプで謡う人はとても少なくなりました。自分も年を取ったら良さが分かるかもしれませんが、今は保留ですね。
 一方で舞は、サシワケなんかが綺麗で、自分が苦手な人でも、やはり学ぶべきところは必ずあると分かります。

 高橋進さんの「雨月」は…いや、さすがにこれはマズイんじゃないでしょうかw 左右(能の型)なんか「え、これでいいの!?」と思うくらい手を上げない。ヒラキで開かない。何か宝生流が嫌いな人たちが思い浮かべる、宝生流の負のイメージを体現してしまっているかのような気もしますが、多分、年齢とかの肉体的な問題だと思います。
 彼の名誉のために書いておきますが、高橋進さんの真骨頂は、なんといっても地頭です。この人が地を引っ張る時、宝生流の真の姿が明らかになると言ってもいいくらい、残されたカセットテープなどを聞いてると、謡の盛り上がり方、聞かせ方が半端ないです。今のところ宝生流の謡で一番好きな人は、自分にとって高橋進さんですね。ただし練習のしすぎで喉を壊したのか、非常に聞き取りにくい独特の声なので、能を聞き慣れてない人には、あまりオススメしません。私は最初カセットテープでこの人の声を聞いた時、機械が故障したのかと思ったくらいですw

 一調一声「三井寺」は、このDVDの最強コンテンツです。友枝喜久夫氏は伝説としてしか知りませんでしたが、実際に謡を聞いて腰を抜かしました。喜多流らしく、節付けは簡素で無駄がないんですが、盛り上げるところで盛り上げ、しかもそれが全く嫌らしかったり、押し付けっぽくなったりしません。当たり前のことを当たり前にやってるだけなのかもしれませんが、それが凄まじくレベルが高いので、食い入るように画面を見つめ、耳を済まして聞き入ってしまいました。謡でここまで人を感動させられる人がいるなんて信じられません。こんな人がかつて、この地球上に存在してたとは…。
 小鼓の大倉長十郎氏も素晴らしい。大倉氏が60で早死したのは惜しすぎます。観世寿夫氏も、是非とも長生きしてほしかった。その一方でこの友枝喜久夫氏のような名人が長生きして、素晴らしい録音を残してくれているわけですから、人生色々というか、この残ってくれた方を大事にしたいと思います。
 友枝喜久夫氏の映像は他にもあるようなので、次に買うDVDは彼目当てで行きますw このDVDで、一気に喜多流が好きになりましたw 私は観世流の謡が苦手なんですが、喜多流はとても聴きやすくていいですね。色々探してみたいと思います。

2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : アイドルマスター×三谷幸喜『ラヂオの時間』 第1幕
<注意>
 このエントリは特殊な形式に則って書かれていますので、
 「注意事項」のエントリに目を通した上で、以下の文章にお進みください。

 爽快P にぎりがくさいP
 

 視覚的な要素を重視した、新時代の架空戦記である。動画全体の監督でもあるシナリオ担当の爽快Pは、ニコマスのアルファブロガーを経てPV系のPとしてデビュー、「音」に対する独自の感性で個性的なPVを世に送り出しつつ、本作品で架空戦記にもデビューしたという異色の経歴の持ち主だ。この架空戦記ではPVの視覚性と舞台演劇の「空気」を架空戦記に持ち込み、新鮮なスタイルで我々架空戦記民を驚かせた。メイン画面にキャラのドットが映し出され、サブ画面にアイマスキャラの立ち絵で各キャラの表情が示されるのは、ておくれPの「アイマスクエスト?」を思い出すが、表情選択のセンスは全く異なり、比較的マメに表情を切り替えるのが上手く楽しいておくれPに対して、丁寧に表情を切り替えつつも、ここぞという時では「第三幕」1:22からの春香や、「第四幕」3:20からの雪歩など、長時間表情を固定して効果を出すという「必殺技」を持っているのが爽快Pだ。また糸冬Pと同じく曲の長回しを好むところがあり、長時間変わらない背景と、長時間変わらない音楽が、何とも不思議な雰囲気を醸し出している。先程から「長時間」という単語を連発しているが、それこそが爽快Pの持ち味なのであり、彼は瞬発的なギャグのキレや、シリアスなイベントの感動の破壊力で勝負するPではないように思う。極めてマクロな視点でシナリオとイベントを構成しているため、一見とっつきにくいようにも見えるが、腰をすえてじっくりと視聴すれば、本作が掬すべき滋味に溢れた名作であることがよく分かるだろう。また常に画面全体が「絵」としてバランスが取れているようにも感じるが、筆者に絵の素養があるわけではなく、これはPV出身のPであるという事前情報から来る先入観かもしれない。しかし、どこか淡い色合いの清潔な画面は、やはり作者特有の個性を感じるところである。
 ドット絵担当のにぎりがくさいPは、タクティクスオウガの「タクティクスオウガ風に アイドルマスター 「団結」」でよく知られる、ニコマスが誇る最高のドット絵師の一人だ。当初はあふれる表現欲で雪歩の穴掘りなどをド派手に演出してみせた(第二幕3:50から)し、本来それこそがにぎりがくさいPの持ち味なのだが、やがて抑制的な爽快Pの芸風に合わせて、「第四幕」では2:13からの通称「メットリレー」をやってみせた。通常、ドット絵を使って楽しい動きを表現するには大量のドット絵を打つ必要があるため、いわゆる「ドット芸」で大向こうを唸らせようと思ったら、どうしても短時間に集中してやることが多いように思う。しかしこの「メットリレー」では、長時間に渡って「ドット芸」の妙味と楽しさがずっと持続する。このシーンのドット絵を制作するうえで、どういうところが大変で、どういうところが簡単なのかは分からないが、通常「よく描いたなあ」という作者の「苦労」にのみ評価が集中しやすいドット芸の中で、ここまでドット絵師の努力よりも「ドットの動きそのもの」が評価され、驚かれ、感動される作品も少ないだろう。あくまでドット絵の素人からの視点だが、やはり第二幕の雪歩の穴掘りよりも、第四幕の「メットリレー」のほうが、爽快Pの芸風によりよく馴染み、また効果も上がっているように思う。このようににぎりがくさいPは、硬軟合わせ持つ芸の幅の広さを見せつけ、視聴者の「またドットで何かやってくれるのではないか」との期待に、見事に応え続けている。
 この架空戦記は「第一幕」から、形式や芸風そのものは爽快P、にぎりがくさいPの双方とも高いレベルにあったのだが、一話ごとに、話の進むテンポや、ドット芸とシナリオのバランスなどが、少しずつ噛みあっていく。しかもこの二人の技の交わりは、どこか互いに間合いを量り合っているようなクールさがある。仲良しグループが和気あいあいと作った作品とも、複数の人間が部品を持ち寄って作った作品とも違う。二人の個性はあくまで個として独立しており、融け合うようなことはないが、一方で作品は、単純な要素の総和を超える「+α」を見事に獲得している。ここには慣れ合いでも、単純な分業でもない、二人のドライな個性の対決があり、技を尽くし合う職人同士の駆け引きがある。
 今後さらに加速していくであろう物語の中で、才気溢れる両者がどのような美しい二重螺旋を描いてくれるのだろうか。一人のiM@S架空戦記ファンとして、この作品を二十選の一に推さざるを得ない。

765アホの子劇場その10
 川村一真氏(∀P)
 

 pixivから。
 体、線、指、顔、表情…理想的ですね。これぐらい描けたら楽しいだろうなあ…。
 もちろんネタがいいからここに掲げたんですがw
 歪氏と並んで好きです。まさに「絵師」の名がふさわしい。

アイマス借りてきた その3 中編
 無免許P
 

 すごい…すごいけど…本当にあと1?2話でまとまるんでしょうか!?w

 「ひぐらし的」というコメはその通りですが、この「ループ」という概念は日本人の輪廻転生観とも結びついた普遍的なものですから、あんまりすぐに「あれに似てる(からダメだ)」となってしまうと、それは違うんではないかなとも思います。SF小説を「SFっぽい(からダメだ)」と言って批判するようなもんでしょう。これはもう、将来一つのジャンルになるんではないでしょうか。
 いや、実際ひぐらしと雰囲気は似てますけどねw でも、私は一次創作における個性信仰が今ひとつ好きではないんです。他人と違わなければいけない、他人と同じだったらその時点でダメ、というのはなんかおかしいぞ、という立場ですね。それに対する反発の一つが、二次創作なのかもと思います。皆で同じ素材を扱うと、当然その部分で個性は消えるわけですが、それは「原作への愛」という分かりやすい概念によって正当化されているわけです。逆に言えば、そこまでしないと、個性というのは部分的にも否定することが許されないのかもしれません。

 女友達(?)との会話は、私の少ない最近の読書経験からすると、奈須きのこさんの『DDD』を思い出しましたね。一方で社長の長い台詞は、さすがにこれが全部後の話でオセロのように全て裏返って、一言一句綺麗に筋が通るとは思えず、自分には少し引っかかりましたね。それで作者が、小説を書く時に誰もが抱える「読者に説教したい病」を押さえきれなかったのかとも思ったんですが、同じようなことを『ラヂオの時間』のエントリで書いて、爽快Pに「ちゃんと後で意味が分かりますよ」という主旨のことを言われたことがあるので、やっぱり勘違いかもしれませんw でもまあ、先が分からない状態では、そんな風に見えたということです。

 しかし17分もの間、ほとんどコメも打たずに、固唾を飲んで画面を真顔で注視してました。こんな作品は珍しいですよ。アイマスは原作がそもそも明るく華やかなゲームで、素材的にもシリアスに直接使えるものは少なく、ゆえにシリアスなノベマスで魅せるのは至難の業なんです。
 それを実現するには、じゃんPが『樹海の糸』でやったような、「意味の転換」が必要になります。『樹海の糸』では、春香は常に穏やかに微笑んでるんですが、それは必ずしも、春香の感情を直接表現しているわけではありません。1カットだけ挿入される号泣する春香が、この動画における彼女の本心でしょう。しかし、それを視聴者に様々な要素――歌詞や、ドーム成功EDの知識や、象徴的なカットで意識させつつ、映像としての春香には常に微笑ませる。それによって視聴者は、笑顔の「向こうにある」泣きはらす春香の心を勝手に想像するわけです。「いや、この春香は表面的には笑っているけれども、心の中では泣いているんだ」と。
 こうして、素材としての春香は笑っているのに、その意味が「楽しそうな春香」から、「悲しさの果てに、諦めたように微笑む春香」へと変わってしまう。この「意味の転換」が起こることで、終始明るい表情を崩さないほとんどのダンス素材から、シリアスな内容のPVを作ることが可能になるわけです。これはいわゆる「春閣下」というキャラクターを作る際にも起こることですが、春閣下について語りだすと、とてもではありませんが現在の自分ではまとめきれないので、ここでは深入りしません。

 いずれにしろ、アイドルたちが明るい表情を崩さないことが、この作品では、あるいは「命なき存在」としての彼女たちの儚さを表し、あるいは何か不気味さをも感じさせるわけです。二次元アイドルというものの、愛おしさと、怖さと、その両面が描かれているようにも思います。
 いつも言ってることですが、私はこういう「アイドルマスターとは何なのか?」という問いかけを含んだ作品が非常に好きです。ただ連綿と、彼女たちへの「愛」を綴る作品よりも好きです。そこにはアイマスの光と影、その両方があるからですね。先日の哀れな小羊Pの『Endless Tears』もそうでした。

 最終回が非常に楽しみな作品です。ハードルを非常に高いところに掲げているということは、作者本人が自覚していることでしょうから、何も言いますまい。ただ、見事これを飛び越え、我々に「まことに、この人は神の子であった」と言わせてくれることを願うばかりです。

The Idol of the Rings 第二十話「浅瀬への逃走」
 いとしいさかなP
 

 ゲーム画像の多用で、映画の画像中心だった初期よりも格調の面で少し「落ちた」ところは残念とも言えますが、今度は立ち絵の動かし方で色々なアクションシーンを再現することに成功しており、ここまで立ち絵の操作が上手い架空戦記Pもそうそういませんから、この作品は初期とは別方面に進化しているといえそうです。自分はこの変化には50%の賛成しか出来ませんが、ここまで新しいことが出来るなら、見守るべきだと思ってます。何でもかんでも静的な良さを優先すべきというものでもないでしょう。

 しかし、この作品を見ていて思うのは、「戦闘」中心のコンピュータRPGというのは、ファンタジー世界の観点から言って、かなりいびつな進化を遂げたものなんだな、ということです。森を探索し、夜には火を囲み、歌を歌って食料をかじり、息を殺して敵との戦闘を回避し、強すぎる敵から必死の逃避行をし…そんなこの作品の「旅路」を見ていると、都合よく適性レベルの敵が出てきて、これを作業プレイで無数に「処理」することでレベルを上げていくコンピュータRPGというのは、コンピューターゲームの技術的な都合もありますが、何より会社での仕事と昇進というものを想起させて、現代人の感性が色濃く反映されているようにも思います。

 ただし、人生がそんな魅力的な「旅路」であった時代など存在しなかったのかもしれず、その意味で、やはりこういった物語というのは、すぐれて「ファンタジー」なのかもしれません。

【しわっす!2】アンインストール【ホラM@S遅刻動画】
 焼肉P
 

 くるわPのブログから。
 「ゲームセンターCX 春香の挑戦」で有名な、焼き肉Pの作品です。
 ここ数ヶ月の間に見たPVで一番感動しました。

 内容はとてもシンプルで、アンインストールの歌に合わせて、アイドルが一人ずつ消えて行きます。それだけ。それだけなんですが…目が潤みます。
 まず、画面下の心電図のようなグラフは、アイドルの消滅が「死」であることを感じさせます。しかし、アイドルたちの「死」は生々しいものではなく、キラキラと輝きに包まれながら、綺麗に消えていくだけです。そこに何か…純化された「別れ」があると思います。死を暗示しながらも、どこか抽象的であり、昇華されているわけです。
 「アンインストール」という言葉は、ゲームの中の存在であるアイマスキャラたちの消滅を表現するには最適な言葉ですが、その消滅はHDDの中からの消滅というよりは、プレイヤーたちの記憶の中からの消滅、つまりアイドルたちが「忘れられること」を示しているのかもしれません。そして、それこそが彼女たちの「死」であるととらえることもできるでしょう。だからこそこのPVは、儚く、切ないのかもしれない。
 アイマスのダンス素材というのは、基本的にキャラたちは笑顔だったり、明るい顔をしているわけですが、この作品ではそれが上手く利用されていますね。全員が、ほとんど悲しい顔をしないまま、笑顔で、何ら「生」に執着しないまま消えていきます。それはアイドルたちがもともと「生きていない」のだから当たり前なんですが、だからこそ、自分はそこに「作られた生命」としてのキャラクターというものの存在の儚さを感じてしまいます。アニメなんかで、ロボットが自己犠牲をするシーンで感動するのと似たようなものでしょうかw
 アイドルたちはもともと「生きていない」のだから、「死ぬこと」に抵抗もない。しかし、我々は、彼女たちが「生きている」と思っている、あるいは、思いたい。だから、彼女たちが何ら抵抗をすることなしに、自らの消滅を運命であるかのように受け入れて消えていくことに、身を切るような切なさを覚えるのかもしれません。架空のキャラクターと人間との関わりというものについても、思いを馳せてしまいます。

 この内容でこの再生数は、今のニコマスでも信じられません。しかも一応、ランキングにも入ってるのに…。技術的に(現在の観点から見て)ところどころ粗いのが問題なんでしょうか。曲が有名すぎたのもあるかもしれない。動画の冒頭で思いっきり引っ張ったせいで、途中で見るのをやめた人もいるのかもしれない。
 しかし、そんなことを吹き飛ばすくらい、素晴らしい動画です。先日の哀れな小羊Pの動画のように、何か深いテーマを感じさせるような作品に真正面から取り組む作者の方々には、強い尊敬を覚えます。

ニコニコヒット動画をアイドルマスターでやってみたらこれはひどい
 ぐっさんP
 

 ひたすらカオスなんですが、とても楽しかったです。
 しかし、やはり「ニコニコが熱かった頃の感じ」に心動かされているような気がしてしまって、それだけが少し留保付きの感動ですねw

【MMD】 りれい将軍
 鎌P
 

 レベル高杉ワロタwww
 表情が最高、背景が最高、衣装が最高w
 気になるとしたら、袴が馬乗りじゃなくて武者袴なところくらいですか。
 しかし派手な色合いといい、ほんとセンスある人です。

【im@s架空戦記】アドリアの乙女たち 第2話「選挙」 第3話「準備」
 アントニオP
 
 

 ウオッチリストに入れて「二話来ないなー」と思ってたら、ニコレポに新着が表示されない人だったというオチ。気が付いたら二つも来てましたw 情けない…全話に広告入れようかとも思ってた人なのに…。

 この動画を見てても、やはり「形式」問題について考え込んでしまいます。
 たとえばこの人の、あまり立ち絵を頻繁に差し替えない所なんかは、私は非常に好きなんです。これも能の影響なんでしょうかねw 台詞に合わせて立ち絵がコロコロ変わる人で上手い人もいますが(爽快PておくれP)、アントニオPはあまり立ち絵を変えません。一般的には立ち絵の差し替えが多く、かつ丁寧な人が評価されやすいと思いますし、実際にそういう部分に感動したというエントリはちょくちょく見かけますが、自分はこういう立ち絵があまり変わらない「静」のタイプの人も好きです。そういう良さが最も端的な形で表れていたのは、過去の作品では糸冬Pの伊織立志伝でしょう。立ち絵素材の不足などの事情があったのかもしれませんが、私の場合、表情が変わらないことは分かっているのに、ついつい「伊織の心を読み取りたい」と思って絵を注視してしまい、かえって伊織の内面への興味が高まったのを覚えています。能を見ている人が、変わるはずのない能面の「表情」を注視するのと似たような現象なのかもしれません。
 また、ウィンドウなんかも、最初のままでいいと思ってしまいましたね。いや、最近こんなことばっかり言っててすいませんw だってこれ、このままどんどん「視聴者の意見」を取り入れていったら、次は「名前欄は台詞ウィンドウから独立させた方が見やすい」とか、「紋章が台詞とかぶると見にくいから消すか薄くしたほうがいい」とか、「黒などの原色一色のウィンドウはショボく見えるから避けた方がいい」とか、「フォントは(ry」…いや、そういうことは、私も思いますよ?w 全く同じことを思います。思いますけど、そうやっていくと、何かどんどん、当たり前の形に収束していくようで嫌なんです。劇画が萌絵へと「綺麗」になっていくような…もちろんそれで得る物もあるんですが、捨てている物もあるように思うわけです。繰り返しますが、そちらの方が「豪華」で「綺麗」で「高級」で「望ましい」のは確かかもしれない。しかし、何か、何か大事な物が失われているようにも思うわけです。今はまだ、それが具体的に何なのか簡潔に説明出来ないのが悔しいんですが…。
 適当な喩えですが、ゴキブリが好きな人なんてほとんど居ませんから、誰もがゴキブリを見つけたらそれを退治しようとするわけですが、そうしてゴキブリが絶滅した世界は、本当に理想的な世界なのかというような問いかけに通じるものがあるかもしれません。まあ、これに対しては「程度の問題」という陳腐な答えしか用意できない自分も、情けない限りなんですが。
 ひょっとしたら最近、豪華な作品に慣れた人たちに反発する形で私の好みが先鋭化してしまって、ニコマスの視聴者一般の感性から大きく乖離し始めているのではないかと、不安を感じることがあります。これはこれで思想的な雑念に囚われてしまっているわけで、気を付けないといけないことです。

【iM@S架空ドラマシリーズ】美希は時のかなたへ・第六話
 糸冬P
 

 また「形式」について語ろうかと思ったんですが、まとまりませんね。非常に難しい問題です。今回は一人、キツめのコメをしてる人がいましたが、彼のような人が言いたいことは分かります。色々豪華なノベマスを求めるのは人情でしょう。
 ただまあ、何回も言ってますが、純粋紙芝居にも良さがあるんです。それは文章や立ち絵の選択くらいにしか目が行かないことですね。能を見てる時に、羽目板の松の絵を眺めてる人がいないのと同じことです。映画では役者の演技そっちのけでセットの素晴らしさに目が行くことがありますが、能の舞台はただの板の集まりなんで、誰もそれをしげしげとは見ない。では何を見るのかというと、人間を見るわけです。雰囲気は、人間だけが作る。舞台は何もしてくれない。
 こういう純粋紙芝居というのも、同様に他の付属的な視覚要素でなく、文章の中身に意識を集中させる効果があります。他の部分にあまり目が行かないのだから当然なんですが。もちろん、だからと言って小説になってしまうと、これは抽象化の行き過ぎですね。どこかで止める必要があって、そのギリギリのところが純粋紙芝居なんでしょう。ノベマスや架空戦記も、哀川翔Pの「春香たちの夜」とか、呂凱Pの「閣下三国志」とか、初期のものはむしろ、プレイ動画やボイスなどを含んだ豪華なものでした。それがやがて単純化される形で純粋紙芝居になったわけです。純粋紙芝居に色々なものがくっついて「進化」して行ったわけではありません。この成立過程には注意を要します。
 自分でもまとまらないので深入りは避けますが、そんなわけでこの作品では、糸冬Pの微妙な、しかし他の架空戦記Pとは明らかに違う文章の個性や良さを味わえるので、私は押すわけですw まあ、これが伝わりにくいのは分かります。ニコマスが滅びる日まで理解されないかもしれない。
 でも、ゲームが映画になろうとした失敗を忘れてはいけません。私は、アイマス架空戦記が小説やノベルゲームや映画になろうとしたり、その良さを再現出来れば出来るほど素晴らしいとするのは、違うと思うわけです。「小説や映画のような『上』のメディアに、アイマス架空戦記も『追いつく』べき」だとする理由はどこにもないというのが私の意見です。自分はむしろ、そういう既存のメディアの確立した形式が一度ニコマスでリセットされたことに意義があると思います。
 だから自分は「小説ではこうだ」というルールの輸入に反発したくなるんでしょうね。そういう形式の上では生まれ得なかったものがやっとここで生まれたのに、なんでわざわざその形式を当てはめようとするんだと。「いや、小説ではこの形式に従うから素晴らしいものが生まれてきたじゃないか。だからノベマスもそれを取り入れよう」というんでしょうが、ここでは、そんな形式に従ってきたからニコマスのようなものが生まれなかったんだ、という重要な事実が軽視されています。それはなぜかというと、小説やノベルゲームや映画は、ノベマスより「上」だと思われてるからでしょう。
 私にとってはその前提から間違っているので、これは議論にもなりません。私はむしろノベマスというのは、小説やノベルゲームや映画やラノベや、そんな既製の物の「良さ」を再現する必要なんかないと思っているわけです。ゲームが映画の「良さ」を再現するメディアを目指す必要がなかったように…。まあ、色んな人の意見を見る限り、多くの人にとっては、ニコマスは他のメディアの劣化版、あるいは代替物なのかもしれません。心のどこかで小説や映画やアニメやゲームにコンプレックスがあって、最近ではSHIのコメなんかが典型でしょうが、そういうものの良さががニコマスで再現されることに喝采を送る人が多いようにも見えます。しかし、私にとっては、ニコマスはれっきとした一つのメディアです。それは他のメディアに劣っているものではなく、従って他のメディアのルールに拘束される必要もないと思ってます。むしろ他のメディアのルールが、ニコマスに応じて曲げられるべきでしょう。そしてそれを行った結果が、数々の「ルール違反」を犯した、傑作架空戦記の数々だとも思っています。
 私も自分の動画では、能のルールを散々曲げました。理由は簡単で、自分が投稿する動画が「能であるべき」だとは全く思わなかったからです。むしろ「ニコマスであるべき」だと思っていたので、能のルールを曲げたわけです。「能ではこうなってるんだから、雰囲気が落ちてもこれは変えられない」としたところは一つもありません。ニコマスや「隣に…」の世界とぶつかるところは、全部能の方のルールを変えました。ニコマスではニコマスに従うべきであると思ったからです。ニコマスが能に従うべきではない。たとえ能の方が、ずっと「高級」であろうとも。
 糸冬Pは、しかし、幻戦記で、「やろうと思えば、アイマス架空戦記は小説になれる」ことを示してしまった人です。それに(私を含めた)多くの人が熱狂し、自分たちのメディアから「小説」という「高級なもの」が生まれたこと感動し、矜持を感じていたからこそ、糸冬Pが第十七回で「小説であること」を放棄し、「これはただのニコニコ動画なんだ」ということを宣言した時、怒りや幻滅を覚えたのではないでしょうか。
 と言っても、「幻戦記」は最初からただの「ニコニコ動画」にすぎず、視聴者の見ていた夢が幻だったのか、それとも糸冬Pは「小説」を完成間際でぶち壊して「ニコニコ動画」にしてしまったのか、真相は分かりませんが、この再生数の低い「ミキトキ」をまったり見る時、自分は「これでよかったんだ」と思うことがあります。ここで感じられる文章への感動は、ノベルゲームでも、RPGでも、小説でも、能でも、感じられないものだからです。他のメディアの感動の劣化版ではありません。この感動は、ニコマス独自のものです。
 私はニコマスを通して、小説や映画の良さを感じたいのではないのです。

 ***

 今回は、真の扱いが上手かったですね。この作品ではアイマスの各キャラが、ノベマスの最大公約数的なキャラクター像に則って、非常に精緻に操作されています。ただ、どちらかというと、動いているキャラそのものより、私は「動かしている人の上手さ」に感動しているので、これは邪道な鑑賞法かもしれませんねw
 話自体は非常にあっさりしていて、流れるように進んで行きます。糸冬Pも自分で言ってますが、少し流しすぎの感もあるので、もっと色々止めてくれた方が良かったという思いはないでもないんですが、この話はこれでいいでしょう。彼の「本気」は、また別の機会に発揮されると思いますw この作品は、完成した額縁付きの「作品」というよりは、デッサンを見ているような感じですね。でも、半端な画家の作品より、大芸術家のデッサンの方が素晴らしい場合だってありますよ。彼のファンとしては、この作品に表れている、キャラを操作する際の細やかな気配りなどに見とれますね。
 自分としてはその程度で満足なんですが、糸冬Pが「こんな」作品を作っているのを見て、退役軍人が盆栽いじりをしてるような残念さを感じる人もいると思いますw でも、ここで使われてるキャラの操作技術はすごいものですよ。分かりやすい形で提示されれば、必ず大向こうを唸らせてくれるでしょう。このすごさを中々他人に伝えることが出来ないのが、もどかしくて残念です。

■追記
 どうにもまとまらない内容ですいません。一時twitterに浮気してたり、次の動画や仕事や資格試験があるので、ブログの記事を書く能力が随分落ちてますねw またブログに力を入れて感覚を取り戻していきたいと思ってますので、今しばらくご辛抱ください。

非アイマス 実況プレイ動画 : 学校であった怖い話に屈しない
 revin氏
 

 私は定期的に怖い話にハマってしまうことがあって、その時はとにかく、飽きるまでひたすら怖い話を読みまくってしまうという癖があります。それでこの実況プレイ動画も、以前から存在は知ってたので、今見ちゃってるわけですw 多少無駄話で話が止まることがあってもどかしく感じることもありますが、シークバーを調整すればいいわけで、ちょっと面倒なんですが、コメントと実況で相対化しながら怖い話を読むのも、また面白いですね。
 そして、こんな風に怖い話ばっかり読んでいると、なんというか、ちょっと感覚が変わるというか、何か色んなものにビビリだしますねw トイレの擦りガラスに何か変な顔が映るんじゃないかとか、そんなことばっかり考えてしまいますw 頭の中をこんなことで一杯にしてる人は、そりゃ「霊が見える」ことがあってもおかしくないですよw 実際、昔一時的にこれが酷かった時期に、「誰もいない空間に、ある特定の人物が『いる』ように感じる」という体験があって、その時は空間が歪んでるような感覚すらあったので、これがもう一歩進めば幻覚を見てもおかしくないなと思った次第です。

 あと、「ウソをつかなければ表現出来ないこともある」というのは芥川龍之介も言ってることですが、それを一番感じるのがこの「怖い話」ですね。2chのまとめサイトなんか読んでると、どんなによく出来た話でも、最後に「作ってみました。どうでしょう?」と書かれると、色んな意味でぶち壊しになってしまう。たとえウソでも、「怖い話」に限っては、最後まで嘘をつき通してほしいと思うことが多いです。まあ、内容によっては、強硬に「真実性」を主張することが人倫にもとる場合もあるので、いつどんな時でも成り立つこととは思えませんが、そう思うことが多いということですね。

 しかし、この「学校であった怖い話」というのは、SFCなのによく出来たゲームですね。この実況動画も、うp主の冷静かつ正論なツッコミと、コメントによる茶化しがあるから見れるわけですが、一人でこのゲームをやって、ただひたすら怖くなるというのは、自分から金を払ってまでやりたいことではないと思いましたw 一体、私は「怖い話」に何を求めているんでしょうねw この「怖い話」というのは、民話でも古くからあるはずですから、「怖い話」を求める人間の心理には、なにか根深いものがあるのでしょう。

【ゆかいじゃのう2010】 ぱぁふぇくとすたぁ・ぱぁふぇくとすたいる
 遠心力P
 

 すごすぎて口開けながら見てたらヨダレ垂れましたw
 イントロでは定番の回転寿司で、「一発ネタなんだろうなあ」と思わせておいて!
 これですよ。素晴らしいですね。
 そして誰もが思う「これだけの労力があるんなら…」という素朴な疑問に、2:02からちゃんと(1秒くらい?)応えますw 見る方がどう思って見てるか、つかんでる証拠ですね。
 しかし、全部アニメ絵調で手描きだったら、「トレスだろ」とか「ちょっとここで作画崩壊気味だなあ」とかなんとか、下らないことを思われてしまうわけですが、基本がアレなので、ちょっとガチを挟むと感動出来ますねw また、これだけ描くのも当然大変ですが、全部ガチで描いた時の労力はもっと酷いことになると思うので、これはいいスタイルだと思いました。

【バーガーバーガー2×im@s】りっちゃんがあのお店を再興するようです
 あいうえおP
 

 腰痛Pのブログから。
 テンポなども当然素晴らしいんですが、ドナルドやマグロなどのニコ動の定番ネタがアイマスの世界に持ち込まれた時に覚える「異物が侵入してきた」感じが全くありません。どのネタも、アイマスの世界によく馴染んでます。BGMは定番のものばかりですが、使い方が上手いので、少しも古臭さを感じさせません。また、律子の可愛さが出てる立ち絵選択もいい。ほんと、完成度の高い動画です。
 これは連載中の卓M@sもチェックしなければいけませんね。
Copyright © 白雅雪blog. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。