iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

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「iM@S KAKU-tail Party DSX」 3rd night - D
 草加P 夏龍P アシスP AWP
 

 AWPパートのイメージは素晴らしいですね。場面の想像力もいいし、色合いも美しい。
 AWP1

 「しっとり系」は意外と難しいというか、飽きさせずに見せるのは難しいと思いますが、この作品はほぼダレだません。「ほぼ」と書いたのは8:07からのシークエンスが初見の時は一瞬もたれたんですが、見直してみると、結構早いタイミングで画面が切り替わっており、なぜそう感じたのかよく思い出せませんね。まあ、こういうことはよくあります。

 しかし、最近和風の作品に心動くことが増えました。なんなんでしょうねw 何回も何回も書いてますが、自分は別に日本文化が特別好きだというわけではない…はずなんですがねw
 それと皆さん「ネタがネタが」と言いますが、今回、特に記事で触れていない人も含めて、ガチがかなりいいと思います。泣けるとか、心が揺さぶられるとかいう意味ではなく、雰囲気の点で優れた作品が多いのではないでしょうか。
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「iM@S KAKU-tail Party DSX」 2nd night - E
 彩都P asaP ぐうりんだいP さくやP
 

 彩都Pのパートは面白いですね。ノベマス形式から入ってPVに行って、またノベマスに戻ってきます。特にPVに移行する部分の演出が神です。これはコメで皆さん注目してますね。
 最近、PVとノベルが互いに互いを取り入れる傾向が顕著なのは、注目すべきことでしょう。

 しかし、2:13からの二人の表情選択が、架空戦記民の自分には最も印象的でした。特に2:15の二人ですね。
 真顔1

 このような「真顔で笑いを取る」というのはお笑いの基本のようで、TVの漫才などでもよく見ます。
 世界IDOL大戦?も、第1話で同じ顔を使ってますが、やはりギャグシーンでした。
 真顔2
 このシーンでは春香は何度もこの表情を繰り返すのですが、ギャグシーンの間中、春香が真面目な顔をしているのが自分にはとてもおかしく、同シリーズのギャグシーンの中でもとても好きなシーンです。

 春香のこの表情は、ギャグシーンに使われてるようなことが多い気すらしますねw

「iM@S KAKU-tail Party DSX」 2nd night - C
 やっつけP もけP 紅井郵P moguP
 

 紅井郵Pのパートを推します。
 嫌な言い方ですが、微妙な「粗さ」が、逆に心地よい感じです。
 それがまた、計算された「粗さ」でないように見えるのがいいと思います。

アイマスSP 嘘DLC ユキホマエガミ
 きむわいぷ氏
 

 なぜかSPの改造動画は荒れませんねw まあ、それだけ箱の方が神聖視されているということでもあり、複雑な気持ちではあります。
 私も、箱の方の改造動画には、どうしても抵抗を感じます。立場としては「動画を見ないで立ち去る」なんですが、「これはやらないでほしい」という気持ちと、「しかし、声に出して『やるな』とは言えない」という気持ちとがぶつかり合う感じです。

 さて、この動画投稿者の方は、SPの色んな改造をやってきた方で、今回は雪歩の前髪を全キャラに付けてみたようなんですが、楽しいですねw アイマスのキャラはもともと抽象性が高いというか、顔を構成するパーツがそれほど尖っていないので、雪歩の前髪は大抵のキャラに合います。合わないキャラの方が少ないくらいですねw

 これは誰でも作れる動画ではありませんが、個人的には、箱の改造動画を見る時のような罪悪感がほとんどないので、面白い分野だと思いました。
 いや、きむわいぷ氏は2009年の8月からやってるんですけどねw 今さらのように思い知ったということです。

ヘモグロビン化学式・Lat式ミク・ホメ春香 “HELLO!!” KAKURE-tailDSX
 マスターボールP
 

 Lat式ミクかわいいですね。

 しかし、気になるのはやはりホメ春香ですw
 ののワさんが春香を抽象化したような、春香の哀しさや愛らしさをどこか残した存在であるのに対して、自分にとってホメ春香は、春香ではありません。ホメの向こうに、春香はいないように感じます。
 最近、ホメ春香が可愛く見えることが増えましたし、そう見せる作品も増え、コメも初期より随分ホメに対して好意的です。私自身、このような流れは大変嬉しく、またガンプラPやコロP、ソラユニPといった「ホメ春香使い」たちが築きあげてきたホメのイメージの上にこれがあるのだと思い、温かいものを感じることがあります。
 が、「ホメ春香の向こうに、一体誰がいるのだろう?」と考え始めた時に・・・ホメの存在は、あるいはあの、時には可愛さすら感じさせるようになった独特の「仮面」は・・・再び、とても不気味なものに思えてくるのです。
 ホメの向こうにいるのは、一体誰なのでしょう? あるいは、ホメとは、一体誰なのでしょうか?
 私には、「ホメはホメだ」と言い切れない何かがあります。
 つまり、ホメという外面の向こうに、ホメという内面が感じられないということです。
 それはMMDのモデルという「人形」であれば当然のことなのですが…。

【カクテル支援】きつねPも吹っ切れた!?【解せぬ】
 かわはぎP
 

 なんか知らんが面白いw

アイマス返せなかった デッドエンド 【終】
 無免許P
 

 なるほど、こういうことなら、前回は抽象的なまま終わらせる必要があったわけですなw

 終わらない夢、偽りの別れ、仮初の愛…。
 ここにはアイドルマスターの、いや、虚構世界の哀しさのほとんど全てがあります。
 かなり重く、場合によっては視聴者に対しても攻撃的になりうるテーマなんですが、無免許Pは抽象的にやる…と思うので、多分大丈夫でしょう。
 どっちの方向に行くかはまだ先を見てみないと分からないので、突っ込んだコメントは今回は控えます。

一言雑記
 ウチの流派では、よく「能は謡が9割」みたいなことを聞きますが、それはMADを見てても思います。自分の処女作もそうなんですが、要するに、まず歌が、あるいは音楽があって、それに映像が付く気がします。
 バーナード・ショーは「ワーグナーのオペラの一番いい鑑賞法は、舞台に背を向けて音楽だけ聞くことだ」と言ったそうで、「総合芸術」とは言っても、音楽だけで作品として成り立つことが、ほとんど前提条件になってるように思います。
 そんなことを考えると、視覚的な要素ってなんなんだろうな、と思いますねw 視覚というのは情報量が多く、異性を選ぶ時に顔より声を重視する人はほとんどいません。しかし、なぜこれほどまでに、総合芸術において音楽が重要なのか? ちょっと面白いなと思ってます。

アイドルマスター 律子+ 『Girls, Be Ambitious.』
 ayakanP(仮名)
 

 …なんかもう、ホント、私も上手い言葉をひねり出す技術が落ちましたねw とにかく律子の表情を活き活きと捉えてる…以上のことは分かりませんw
 似たようなPVは多いと思うんですが、何か頭一つ抜けてるとも思います。しかし、その理由がよく分からないw 律子のアップを効果的に使うことで、魅力を全面に押し出してる…という、何か言ってるようで何も言ってないような言葉しか出てきませんw
 精進しますw

アイドルマスタ→ リブルでラブルな亜美真美GO!GO!
 ぐっさんP
 

 これもまた、なんてことのない作品に見えますが…いいですね。画質が高くても、あんまり効果が出てないように思える作品もありますが、ここでは、画質が高いことがとてもいい効果につながってます。
 しかし…「良さ」が言葉で表現しにくい作品ではありますw
 「かわいい」で終わらせたいんですが…何かこう、言えることないかなーと、ついつい探してしまいますねw

アイドルマスター 「IevanPolkka feat. Ami&Mami Futami」 亜美真美
 ヤマネコP
 

 シンプル…に見えて、結構面倒なこともやってるんでしょうか?
 しかし、この背景に、影に、ちょっと小洒落た上下の帯で…全く「不足」がないですね。むしろ「豪華」に見えるくらいです。
 私は哀れな小羊Pみたいな「物量戦」も好きですが、こういうサラッとしたセンスが光る作品も大好きです。

【アイマス×半熟】半熟英雄(ヒロイン) 第4話 その3 前編
 ランプキンP
 

 めちゃくちゃ面白いんですが…まーほんとギャグ系は書くことなくて困りますw 「面白かった」で、終わり!w もちろん、その純粋さというか抽象性が、ギャグ系の強みでもあります。シリアスだと、どうしても思想的なものが入りやすいですからね。
 ランプキンPは、既存のim@s架空戦記のキャラ造形を、非常に丁寧に、かつ内容を汲んで受け継いでいる作者です。だから「口調が正しい」とかいうレベルでなく、im@s架空戦記の歴史の中で培われてきた「活きたキャラ」が使える人だと言えるでしょう。決してはみ出ることなく、また決して控えすぎません。その意味では、教科書的であり、優等生的であり、また職人的なキャラ造形をする人です。「空気が読める人」と言ってもいいでしょう。伝統を変革するタイプではなく、既存のim@s架空戦記のフレームの中で、どこまでやれるかが面白いタイプの架空戦記Pなのかもしれません。
 また、この動画の貴音は腰痛Pの「あねぴよ」の貴音に近いものがあり、二人の感性の近さ、あるいは目指すものの近さを感じさせます。まあ、あの立ち絵を使う場合、貴音はこういうキャラがベストなのかもしれませんが…。しかしその一方で、文字送りの関係もあるのか、やはり腰痛Pよりは一歩引いた雰囲気があるように思います。この「奥ゆかしさ」が、ランプキンPの個性だと自分は思ってます。その「奥ゆかしさ」は、天然のものではないようにも感じるんですが…。

 このシリーズは全体的に文字送りが遅く、テンポが早めの作品が好きな私にはとっつきにくかったんですが、今回は今までの中で一番面白かったですね。と言っても、このちんまりしたキャラがピョコピョコ動く作品でテンポが早すぎても良くない気がするので、この文字送りの速度が、作品の雰囲気を作る上で重要なポジションを占めているのかもしれません。

【アイマス】あいます@とれーど!第四話【れつとれ】
 サザエP
 

 0:53の渾身のボケにやられてしまった…。
 み、見事だ…w

アイドルマスター EPISODE 0 トレーラー
 motaP
 

 「小鳥さんの過去」もまた、『隣に…』における「別れの内容」と同じで、抽象的なままであるのが基本的には最も美しく、それを具体的に描くのは憚られると同時に、とても勇気のいる行為です。
 この作品でも「小鳥さんの過去」を周囲の設定から描いて行きますが、トレーラーですから、当然「最後の一撃」までは行きません。しかし、こういう作品を見る度に、小鳥さんの過去を濃密に描いてほしい、という思いがある一方で、何か「細かいことはやらないでくれ」という思いが胸をかすめます。「3A07」の時はあんまりそんなこと思いませんでしたから、これは単純に、私があずささんより小鳥さんの方が好きなだけかもしれませんけどw
 要するに、こういう抽象的な設定に関しては、個々人の胸の中に、個々人の設定が、やはり抽象的ながらもあるわけです。それを打ち破るほどのものが――この言葉は嫌いなんですが――「求められている」とも言えるでしょう。

 「小鳥さんがなぜアイドルをやめたのか?」…この問いに答えるのは難題です。以前、「春香はプレイヤーの鏡像」という主旨のエントリを書きましたけれども、小鳥さんもまた、プレイヤーの鏡像の一人です。そう考えれば、彼女がアイドルをやめた理由がなんであれば納得出来るかというのは…。
 いや、それが語られない方が、潔いのではないかとも思いますけれども。

【アイドルマスター】フル・バースト・トリガー 第01話「護る者」
 ボン太くんP
 

 こういう作品が出る度に、「ノベマスももっと進化しようぜ」という意見をよく見るんですが…。
 これ、本当に「ノベマスが進化したもの」でしょうか?

 そういう所から疑っていくべきだと思います。

アイドルマスターDS ぶれいく! ランクD 01
 SevenSlotP
 

 ほんわかと楽しい回でした。この微妙に引いたような、「笑わせてやろう」という風にがっついてこない感じが、この「ぶれいく!」の持ち味ではないかと自分は思ってます。明るい色調の画面も顕在です。
 また、いつもは最初に持ってくる人物紹介が真ん中に来るなど、構成もちょっとひねってきて、マンネリに陥りそうなところを上手く抜けてると思います。

ののワさん雑感
 コロPの「ののHKワールドレポート」は何度か見直してるんですが、春香や春閣下についてはまだとっかかりがあるとして、この「ののワさん」という存在が一体何なのか、ということは難しい問題です。
 「春香さん」と同じく「ののワさん」と呼ばれていることからしても、春香との同一性は確保されているように思います。つまり、ののワさんは春香の一種だということです。これは当たり前のことですが、ののワさんは春香を元に生み出された別のキャラではなく、あくまで春香の変形であり、ののワさんの向こう側には常に春香がいる、あるいは春香を抽象化したものがののワさんである、ということは議論の重要な出発点になりうると思います。これは、たとえばやよクリを「やよい」だと思って見ている人が少ないことと対比されるでしょう。
 そんなことを考えると、ニコマスにおけるののワさんというのは、どこか悲しみというか、ドーム成功EDの春香と同じものが内側に宿っているように見えます。コロP以外ではガンプラPもそういう物が出せる人ですし、カコPの「さよならののワ…?ゴミ捨て場から見る夢は」なども、一見良い話に見えますが、ののワさんを春香の象徴として見ると、捨てられたののワさんを拾いに来るのが春香自身であるということは、示唆的なものがあります。
 ののワさんについては非常に難しいのでまだ分からないことだらけですが、ニコマスにおけるののワさんの表現や受容のされ方というのは、「春香」というアイドルマスターで一番特異な存在を考える手掛かりになるのではないかなと思っています。

【ホメ春香】劣化・増殖【MMD】
 suezue氏
 

 もはや曼荼羅ですなw
 たまに可愛く見えるのがまた腹立たしいw

アイマス借りてきた ハッピーエンド 【終】
 無免許P
 

 これもまた終わってしまいました。
 今回は余韻が残ってる状態で、あえて感情に任せて書ききってしまおうと思います。今は今の感情を記録しておきましょう。

 この作品も「美希は時のかなたへ」と同様、万歳三唱で完走を祝うことは出来ませんでした。やはり、最後まで抽象的なまま終わってしまったのは残念だったといえます。何か円の周りをぐるぐる回ってるのに、いつまで経っても中心に辿り着けないようなもどかしさがありました。自分としては、堂々と説明してほしかったですね。それは一気に話が陳腐になってしまう危険性があるので、やったらやったでまた私は文句を言ってたかもしれませんがw しかし、これは見終わった今の、無責任かつ正直な感想です。
 一方で、スタッフロールが流れた後の、この放心したような感じは、素晴らしいアニメや映画、ゲームが終わった直後と似た「あの感覚」でした。これは狙ったでしょう。そして、成功してます。じーんと来る、切ないような、無力なような、そんな感覚ですね。これは商業作品によくあるタイプの感動なので、以前このブログで、この作品が「作品を通じた視聴者のコミュニケーションを目的としてない」と書いたのは、やはり合ってたと勝手に思ってますw

 この作品は抽象的なので、色んな人が、色んなことを言えると思います。なので、自分の意見は、あんまり一般的でないと思われるものを一つだけ書いておきます。
 それは、天海春香は「他者」ではないのではないか、ということです。
 と言っても、「他者を描けてない」というのは芥川賞作家なんかが世俗の作品をこき下ろす常套句になってますが、私は「俺は他者を描けてる」とかいう作家は偽物だと思ってるので、そういう意味ではありません。なんというか、アイドルって何だ、という話ですね。
 春香はドーム成功ED後にああなるわけですが、私は、あそこで振られたのは、むしろプレイヤーだと思ってます。アイドルがプレイヤーを振るわけにはいかないので、プロデューサーが春香を振る形になってますが、それによって、プレイヤーはゲーム世界から拒絶されることになります。だから、プロデューサーから拒絶される春香の悲しみは、実はそのイベントによって二次元の世界から拒絶された、画面の前のプレイヤーの悲しみと合わせ鏡になっているのではないか、ということです。「どうあってもプロデューサーと結ばれない存在」である春香が、「どうあっても二次元キャラと結ばれることが出来ない存在」であるプレイヤーと、だまし絵のように重なり合っているように思えるわけですね。だから「ドーム成功EDの春香の悲しみ」に涙する時、私は常に、あの春香の儚い笑顔の向こうに、二次元の世界から拒絶され、悄然と佇む自分の姿があるのではないかと思ってしまうことがあります。
 それはこのタイプのゲームではよく起こる現象ではありますが、「春閣下」などのキャラを見ていると、ニコマスではこの側面――拒絶された彼女(あるいは私)が特に強調されているように思います。春閣下という存在は、ある意味でニコマスや二次創作を体現する存在であり、書き出すと底なしなのでやめたいのですが、この作品の最後の春香はパンゴシなので、少しだけ触れざるを得ません。
 たとえば愚民というのは、実は春閣下を支配しているのではないか、と感じることがあります。奴隷の首には鎖がつながれており、その一端は主人が握っていますから、奴隷は一見、「主人から逃げられない」ように見えます。しかし、奴隷は主人の命に従い続けることで、「この奴隷を手放したくない」と主人に思わせることが出来れば、主人はその鎖の一端を手放すことが出来なくなります。すると、ある鎖の一端には、決して自分からは外せない首輪を付けられた奴隷がいて、また一方には、決して自分からは手放せない鎖を持った主人がいることになります。…さて、鎖に「繋がれている」のは、一体どちらなのでしょうか?
 この意味で、奴隷と主人の支配の関係は容易に逆転するのであり、春閣下に木偶人形のように従う愚民たちは、実は春閣下を支配しようとしているのかもしれません。またゲームというものも、プレイヤーが自由に操作出来る媒体でありながら、さながらプレイヤーがゲームに支配されているかのような不気味さが良くクローズアップされます。それはゲームというものの一面でしかありませんが、しかし、支配という行為の隷属性がよく表れている現象だとも言えます。
 さて、この作品の春香はパンゴシです。すると、どうしてもそこには「支配」のニュアンスが(私にとっては)付きまといます。実際、このカセットは、今までプレイヤーに対してそうしてきたのかもしれない。しかしながら、彼女はこの鎖の一端を捨てたわけです。それは一見、この作品でいう「俺(中の人)」が解放されているように見えますが、解放されたのは、実は春香たちの方なのかもしれない。
 そして、先ほども言いましたが、悲しみを背負った春香は常に、我々アイマスと相対する者たちの鏡像なのです。世界を破壊し、鎖の一端を捨て、浄化された光の中に消えて行く春香は、我々で言えば――。
 しかし、我々がそれを出来ないからこそ、彼女が代わりにやってくれたのでしょう。
 そして、我々がそれを悔やむからこそ、彼女はもう一度現れました。

Happy end...
Happy start...?

 これは…幸せなのでしょうか?
 春香は我々の主人なのでしょうか、それとも、奴隷なのでしょうか?
 あるいは――「鎖」なのでしょうか?

 この解釈は少し残酷なのでここら辺で止めておきますが、一つだけ言えることは、この作品はアイマスという作品と我々との関わりについて、極めて客観的で冷酷な問いかけをしてくるということです。ついにニコマスにも、こういった作品が来たかという感じです。再生数が低いのはそのせいかもしれません。
 しかし、私はこの問いかけに対して、決して耳を閉ざしてはならないと思っています。

 冒頭でも書いた通り、決して諸手を上げて迎えられるフィナーレではなく、自分には「これで良かったのだろうか…」という気持ちがどうしても残ってしまう作品でしたが、一方で、絶妙な間の取り方や、見慣れた立ち絵に研ぎ澄まされた美しさを吹き込む緻密な画面作り、静謐さを漂わせる抑制されたBGM選択など、この作品には技術的にも出色の物がありました。この内容でこの再生数はニコマスの現状を考えても腹が立つくらいですが、私のニコマス生活を彩る、思い出深い作品になってくれたことは事実です。同じ想いの人が、この世に少なくとも数百人はいることをもって、せめてもの慰めにする他はありません。

 ***

 まだ余韻が残っています。
 気持ちのいい余韻です。

 アイドルにとっての、ゲームキャラにとっての死とは、「忘れられること」でしょう。
 かのカセットからは、アイマスのデータは消えてしまいました。
 しかし、プレイヤーは春香のことを忘れなかったでしょう。お決まりの台詞ですね。「心の中で生き続ける」という奴です。
 では、アイドルたちにとって、我々プレイヤーの「死」とは、一体何なのでしょうか。

 この作品が語ろうとしたこと、描こうとしたことは、とても深くて、重要なことです。
 いずれ人々がこの作品を見直す日が、きっと来るでしょう。
 それが1年後か10年後か100年後かは分かりませんが、私がリアルタイムの読者の一人であったことだけは、どうやら自慢出来そうです。

【iM@S架空ドラマシリーズ】美希は時のかなたへ・第八話(終)
 糸冬P
 

 終わってしまいましたね。
 前半の丁寧さと比べて、後半の駆け足な感じは、自分には残念でしたね。これは原作があることもあって、なかなか面倒な話です。糸冬Pは幻戦記で「話をぶっ壊した」ことになってますが、アイマスの人物を「汚す」と思われるようなことはしたことがなく、むしろ原作をとても大切に扱う人です。後半はそれが足かせになってるのかなと思って、少し惜しい気がしてました。
 一方で、やはり前半の丁寧な雰囲気作りや、緻密なキャラ造形には出色のものがあり、文章の上手さに惚れてるだけで、ご飯三杯はいけるという感じでしたw 第一話で醸し出される「夜の雰囲気」などに、自分は思いっきり興奮してしまったものです。背景が夜なだけでなく、動画全体から「夜の雰囲気」を感じるというのが珍しかったので、こりゃタダモノじゃないぞと思ったわけですね。
 各キャラの描写も、ニコマスの最大公約数をしっかり捉えているばかりか、むしろその「ニコマスの最大公約数」なるものを描き出そうとするかのような求道的な姿勢も感動モノでした。いや、本人がそうやってたかどうかは分かりませんがw 何か一歩引いた、ほとんど学究的ともいえる視点から台詞を割り出してるようなところがあり、他のノベマスP、架空戦記Pのいい意味で感覚的な文章とも一線を画してました。
 ただ、それら私が楽しんでいた部分が、一般的には作品の枝葉末節であることは否めないでしょう。主役であるはずの元康も、最後まで幽霊のように掴みどころがない部分がありました。しかし、これは鑑賞の対象の問題でもあります。私が満足出来たのは、私が鑑賞していたのが、作品ではなく、作者だったからかもしれません。作者に興味がなかったら、ここまで文章の「味」を満喫出来たかは、ちょっと自信がありません。

 糸冬Pのブログによると、今後、作者本人による作品の振り返り等があるようです。
 本人もあまり作品には満足出来ていないようですが、しかし、刀は研がれました。あるいは、研がれていました。それが振るわれる最高の場所が糸冬Pに与えられることを、望むばかりです。

【アイドルマスター】 美希の天下創世53 【信長の野望】
 別所就治P
 

 この作品は、お決まりのネタをやるにしても、微かに、匂わせる程度にやりますね。視聴者が気付くギリギリまで表現を薄めます。それがまたいいですね。

アイドルマスター「仮面ハルカーBLACK RX」
 炎のP
 

 炎のPというと、ぱるぷんてPのように軽めのMADを多く作ってるような印象がありましたが、ぱるぷんてP同様、何か最近はものすごいレベルが上がって来ました。ただ、技術的にすごいこともやってるんですが、炎のPの場合、あまりそれを感じさせません。面白さとかの方がまず先に来てしまって、「すげー」という気持ちはあんまり表に出てこないんですね。これは損な部分だとも言えるし、才能だとも言えます。
 静止画でネタをやるのは、リズモアPの「ずっキュンFever☆純愛えんじぇるLover!!(BB風)」なんかも思い出すところです。改変した静止画を上手く使う動画は、私の経験では、大抵当たりですねw

 ちょっと今頭がボーッとしてるので、あんまり上手いことは書けませんが、これは本当にいい作品です。

【BMS】アイドルマスターで『DRAGONLADY』【再現風MAD】
 爽快P
 

 すごいの来ました。もう5回くらい見てます。
 この動画には(今のところ)付いてませんが、私は「みんなで楽しくなる動画」というタグが苦手です。どうもこう、「見てる側を楽しくしよう」という気持ちが強すぎて、見てて押し付けがましく感じることがたまにあります。しかし、この動画にはどこか引いたようなところがあって、そういう部分を感じさせません。
 また、比較動画を見てて思うのは、忠実な再現でもなく、オリジナルでもなく、なんというか、「アレンジ」なんだなあということです。猫役の千早が猫耳メイドなのは定番ですが、一方でメガネは敢えて再現しない。うさぎ役の伊織はなぜかナースで、カッパ役の律子はこれまたなぜかハッピです。パンダ役の春香ものぼりをしょっており、それらの点が若干動画の雰囲気をカオスにしてるんですが、やはり「カオスにしてやろう」というような感じもあまりなく、その点が物足りない人は物足りないかもしれませんが、自分はいいバランスだと思ってます。
 貴音と響の立ち絵を持ってくる辺りもいいセンスです。PVにこういう素材がスッと持ち込まれてるのも魅力ですね。

一言雑記
 今日は朝から、仕事で車の運転中も、家に帰って来てからも、ずーっと能の5分くらいの部分(「松風」ロンギ)を延々繰り返し謡ってたので、なんか頭が変になってきましたw まあ、こういう単調な練習が大事だとは思ってますw

2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : アイドルマスター サクラ大戦 「御旗のもとに」全面改訂版
<注意>
 このエントリは特殊な形式に則って書かれていますので、
 「注意事項」のエントリに目を通した上で、以下の文章にお進みください。

 ぴっかりP
 

 えこPの「ロケットガール」以来、「いかにアイドルたちをゲーム中のステージから解放するか」というテーマが、ニコマスPVの大きなテーマの一つだったように思う。それは七夕革命を経て一つの大きな流れを形成するが、同じくえこPの「私は忍者」「魔法をかけて」に代表される「ステージ上でどれだけ面白いことをするか」について、ぴっかりPは一つの新しい形を示した。といっても、実はぴっかりPはデビューから約一年半に渡って、「サクラ大戦の曲を使ったステージ系PV」だけを無骨に作り続けてきた、まさに職人中の職人なのである。サクラ大戦のイメージをアイマスで再現するため、彼が燃やし続けたその執念はすさまじく、この「御旗のもとに 全面改訂版」に至って、「ステージ系PVは過去の形式」という素人の私の中にこびりついていた最後の邪念が消し飛んだ。「ステージ上に5人いたらいいな」「あのキャラが3Dで踊ってくれたらいいな」などなど、誰もが一度は思い浮かべる「夢」を、彼はステージ上に詰め込み、そして、花開かせてくれたのである。
 しかし彼の場合、まず技術があって、それを披露するのではない。見せたい絵があって、そのために技術を使うのだ。だからこの作品において、我々はそこに使われている技術に驚くのではなく、その実現された画像に驚くのだ。この思想は五人が見せるダンスのフォーメーションにおいて最も真価を発揮する。これまでも四人以上が一つの画面上で踊る動画はあったが、そのほとんどは、同時に同じダンスを踊るものであり、「沢山の人間が踊っている」という壮観で視聴者を圧倒することを狙うものが多かった。これはayakanP(仮名)の「娘々サービスメドレー」や、まんまPの「スーパーアイドルマスターOG ORIGINAL GENERATIONS」などの名作でも同様である。
 しかし、ぴっかりPがこの作品で強く強調するのは、2:17からの一連のシークエンスに見られる「ダンスをずらすことによって生まれる面白さ」である。これはけまり部Pも得意とする技であって、けっしてぴっかりPの専売特許ではないが、この作品では彼なりの独特な使い方をしており、その効果は抜群だ。まず2:20では一定間隔で動きをずらすことによって、伝言ゲームのように同じ所作が連鎖していく面白さがある。そしてその後のダンスでは、五人が同じ動きをするのだが、若干センターの美希の動きが、他の四人に先行している。このことによって、あたかも実際のステージで「四人がセンターの美希の動きを見ながら動いている」かのようなタイムラグが生ずるのだ。この「ずれ」が生じることによって、驚くべきことに、五人の動きが、全く同じタイミングで動くよりも美しく見えるのである。2:27からの、穏やかな風にたなびくかのような、五人のやさしい手の動きはどうだろう。これが人間の感性というものなのかもしれない。北朝鮮のマスゲームのような、人間性を抹殺することで得られた機械的な動きの集合に我々はさしたる美を感じないが、オーケストラのバイオリンのように、少しずつ異なった、しかしどれも磨きあげられた音の束には、比類ない美しさを感じる。その「人間的美しさ」のかけらを、ぴっかりPはステージ系MADにも持ち込んでくれたのかもしれない。

 これらの建物の各部材には、どこにも規格にはまったものはありませんのや。千個もある斗にしても、並んだ柱にしても同じものは一本もありませんのや。よく見ましたら、それぞれが不揃いなのがわかりまっせ。どれもみんな職人が精魂を込めて造ったものです。それがあの自然のなかに美しく建ってまっしゃろ。不揃いながら調和が取れてますのや。すべてを規格品で、みんな同じものが並んでもこの美しさはできませんで。不揃いやからいいんです。
 人間も同じです。自然には一つとして同じものがないんですから、それを調和させていくのがわれわれの知恵です。

 西岡常一(宮大工)1908-1995

 そしてこの動画最大の見せ場、3:07からのシークエンスがやってくる。五人が踊るのは同じ「目が逢う瞬間」のダンスなのだが、他の四人に対して、センターの美希だけ、踊っている箇所が全く違う。そして美希だけが後方へ下がり、「立つ勇姿?♪」の歌に合わせて四人が二度胸をこするような動作をした後に両腕を前に出すのだが、美希も二度頬を撫でるような動作をした後、片腕を前に出すのである! これはもう奇跡だ。同じ曲のダンスの中からあるタイミングで非常によく似た動きを三回連続でする箇所を探し出し、それを四人と一人に割り振る。その結果、四人が同じ動きで一種の「バックダンサー」を形成しつつも、センターである美希は「よく似ているが別の動き」で他の四人に「合わせた」後、一人列を離れ、後方の闇へと消えていくのである。
 先程「ずれ」の美しさについて書いたが、これはもう「ずれ」どころではない「独立」の動きだ。3:07から3:19までの間、美希は他の四人とは全く別個の、独立した存在として振る舞う。普通に考えれば、それは美希に他の四人とは全く異なるダンスをさせればいいだけだ。しかしそれでは、ただダンスが違うだけで、美希が一人で「孤立」しているにすぎない。この動画のすごいところは、美希を他の四人から「独立」させつつ、3:10からの三回の動きでは他の四人に違う動きで「シンクロ」させたことだ。時に「独立」で動き、時に他の四人に「合わせる」。それが出来るということは、要するに、生きているということだ。この美希は生きている! だからこそこのシークエンスから得られる感動はあたたかく、そこには血の通ったぬくもりがあるのだ。嗚呼、ぴっかりP万歳! 人間万歳!
 だが我々は、やがて恐ろしい現実にも気付く。3:07から3:19までの一連のシークエンスにおいて、美希と四人の二種類のダンスは、一度も編集されていない。長回しなのだ。なんのことはない。美希は死んでいた。「合わせた」わけでもなんでもなかった。美希は、3Dのポリゴンで描かれた、二次元の「映像」だった。美希は死んでいた。美希は死んでいる。動画の中で、生き生きと、踊り、歌う、この美希は――そう、死んでいるのである。

 「キャラ」は、一種の記号にすぎない。映像に過ぎない。あるいは、概念に過ぎない。しかし、我々「オタク」と呼ばれる化外の民は、それが命を持った存在であるかのように、愛する。自分が抱きしめたいと願う相手が、命を持った存在ではないと知りながら。この相反する感情の相克が、この動画のステージ上では見事に表現されている(ぴっかりPがそれを表現しようとした、という意味ではない)。愛しているが死んでいるのか、死んでいるから愛しているのか。その忌むべき歪んだ愛情にも美しい側面があるとすれば、それはこの動画の中にある。死んでいるが、生きている。それが「キャラ」というものだ。生きているが、死んでいる。それが二次元というものだ!
 ああしかし、二次元とは、なんと儚くも、美しい夢なのだろうか。永遠にこの夢の中にいたいと思うことは一度や二度ではないが、しかし、それは人間としての死以外を意味しない。この動画のもつ温かさと、同時に持つ切なさ。その切なさの方を噛みしめて、我々は、未来へと向かって進んで行くべきだ。
 さあ、行くと決まったら、歌おうじゃないか。丁度いい歌がある。曲の始まりは、そう、確かこうだった――。

 立ていざ立ち上がれ 涙拭き
 イバラの道さえ 突き進む――

アイドルマスターPV 美希 「手紙」 feat.真
 keykeiP
 

 カクテルの時も触れましたが、本当に好きな作品です。
 音楽はちょっと和風っぽいところがあるくらいで、決して純和風ではないんですが、これにシックな純和風の映像を付けて来ます。大胆ですね。「赤と黒」というと誰もが「春閣下」と連想しますが、これを見てると、赤と黒というのは、日本的な美にも通じるものがあるようです。能の装束でも、赤と黒の取り合わせは、たまに見ますしね。
 色々深く見てみたいところですが、一つだけ見直しててすごいと思ったところを。それは0:13あたりの、美希が前に歩いて行くところを、横から収めたシーンです。以前から私は、「アイマスの歩くモーションは体重が後ろに倒れてて不自然だ」と言ってます。まあ、あれで歩いてる人は実際たまにいるんですが、それでもやっぱり、一般的な歩行の動作ではありません。で、この動画でもその上半身が後ろに倒れたモーションをそのまま使ってるんですが、これが不自然じゃない! なんでかというと、ご覧の通り、画面が斜めに傾いてるからですね。美希の背中の方に画面が傾いてるので、人間の「物は下に向かって落ちる」という先入観に影響されるのか、上半身が後ろに傾いてることが気にならない。これはすごいことだと思いました。
 「このモーション、あんまり好きじゃないなあ」というのは、たまにありますが、上手い作者さんというのは、これを時に大胆に、時に思いもよらない方法で使ってきます。どんなに要らないように見える物でも、何がしかの使い道がある。普通、「個性」というのは「この人にはこんないいところがあるから、そこを見ましょう」という意味で使われますが、ここでは違います。あの歩きのモーションは、明らかに不自然でしょう。失敗作だとも言えます。言えますが、だからこそ、このカットで映えるわけです。もし「自然に」歩いていたら、このカットは生まれなかったでしょう。雑草だって、状況次第では、花より美しいこともあるわけです。それをこの作品は感じさせてくれます。
 おそらく、この角度は感覚で出したんだと思います。私みたいに、理屈で考えてないでしょう。しかし、こうすることで、自分にとってはダメダメな素材が、生まれ変わりました。脱帽です。この作品は何回でも見直して、色々考えてみたい動画です。

Emblem For you! 第27話 未知なる道へ、常なき永遠へ(1)
 ソシアルP
 

 色々伏線の多い作品ではありましたが、その中でもかなり気になるものが、チラッと出てきましたね。戦マスなんかを思い出しました。
 多くの商業作品が、広げた話をまとめる時につまづきます。ここが一番難しいと思うんですが、なんとか頑張ってほしいと思うばかりです。
 このタイプの世界構造の作品が、一つでも多く美しい終幕を迎えることを、常に祈ってます。

アイドルマスター shiny smile (覚えてていいよmix) 【IM@SHUP】
 マジかP
 

 いいマッシュアップです。
 ぐり?んPOZAKIPなど、マッシュアップというのは、フルをそのままではMADにしにくい…という時に素材にしやすいので、今後のMADのためにとちょっと聴き始めました。いや、著作権法的には、マッシュアップの方が権利侵害が激しいんですけどねw まあ、ニコ動のユーザー的には、フルよりはマシということになってるので。
 この動画もいいですよ。まあ、一般的なマッシュアップよりは軽く聞こえるんですが、一方で聴き心地がよく、違和感と調和の対決を楽しむというよりは、ほとんどこういう曲になっちゃってますw でも、それがいいですね。

動画の見た目と見栄えが良くな…る…小手先芸の…説明動画 vol.1
 TiltP
 

 分かりやすい! しかもvol.1って書いてある! これはメッチャ期待出来そうですなあ。
 ノベマスなどの紙芝居が、見れば大体何やるのか分かる(真似しやすい)のに対して、PVの方は見ただけでは分からなかったり、技術の蓄積が個人単位だったり、市販の書籍等での勉強が必要だったりするので、嬉しい限りです。

アイドルマスター 魔法少女やよいちゃん
 remyP
 

 ボカロのニラP、伝説のニラストレーター両氏の合作を、さらにアイマス用にアレンジしたものです。
 「やよいさん」というやよいのキャラ付けは、架空戦記ではよく見るんですが、PVではあんまり見ないので、なかなか新鮮でした。
 曲はテンポがゆったり目で、ほんわか進んでくところが、何か現代のアニメソングと少し違う感じで、そこがまた独特な良さがあります。トボけた歌詞もいい味出してます。
 MADの方は画像の改変が素晴らしいんですが、やはり一番気になるのは、酷い歌詞と無改変の笑顔がシンクロするところでしょう。やってることは、私が何度も引用するじゃんPの「樹海の糸」と同じ、「アイマス素材の笑顔を改変しないまま、その笑顔の意味だけを変える」というものですが、同じ方法論でここまで方向性の違うものが出てくるんだから、なんとも面白いなと思って見てました。
 まあ、こんなことを言うと「やっぱり公式素材の良さを活かしたものが(ry」という主張として取られそうですが、やはり改変があるからこそ、この表情が活きるようにも思います。リズモアPの「ずっキュンFever☆純愛えんじぇるLover!!(BB風)」もそうですが、自分は改変系をかなり推します。やはりどうしても…。
 いや、この先はまだやめときましょうw 自分でマトモなのが作れるようになってから言いますw
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