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特集『伊織立志伝・幻戦記』 前編
 この記事では、伊織立志伝・幻戦記についてまとめてみました。今回は前編になります。

 まず自分で語る前に言っておくべきことがあります。それは、「立志伝・幻戦記」については、既に糸冬Pがブログで詳細に語っているということです。糸冬Pは理論派なうえに割とタブーっぽいことについても語ってしまう、架空戦記Pには珍しいタイプなので、過去ログを見れば、実は大抵のことは書いてあります。
 なので、自分の言うことは、その補足程度のものであり、この作品について深く考えてみたい人は、直接過去ログを漁ってみることをオススメします。おそらく皆さんが一番興味あるのは第十七回についての記事だと思うので、それを読んでしまえば、良くも悪くも、我々が語るべきことはあまり残りません。それでもまだ語り足りない、色んな人の意見を読んでみたいという方は、以下の私のまとめをご覧ください。
 なお、既に視聴が終わった方のための文章ですので、基本ネタバレ全開です。ご了承ください。
 ***

 伊織立志伝・幻戦記の基本構造はシンプルで、伊織が世界の常識の違いによってピンチに陥るたびに、長政の一存によって救われるという図式になっています。そのため長政のイケメンっぷりが目立つわけですが、それに報いるために伊織が持ち込む未来の技術がまた半端なく、長政の恩すら霞むようなオーパーツっぷりが笑いを誘います。この二人の恩と技術の応酬が立志伝の基本構造であり、面白さの根幹をなしているわけです。そこに我々は、「御恩と奉公」という我が国の古典的な道徳の成立と、「奉公」の側の圧倒っぷりを見て、スカッとするのかもしれませんね。

 それから話の内容においては、基本的にアイドルが伊織一人しか登場しないというプロットも特異なものです。アイドルが全員登場しない架空戦記は他にもありますが、これほどアイマス分の薄い作品もないでしょう。この「1%のアイマス分」が物語にどのような影響を与えたか、自分はちょっと分析しきれなかったのですが、有名な「第十七回における一部読者の激怒」には密接に関わっていると思います。このことは後編で触れます。
 また、伊織一人しか登場しないのだから、伊織の内面を掘り下げるのかというと、そうでもありません。むしろ伊織に関しては少年漫画における「成長」のような成長はあまりなく、最初から一人のキャラとして確立しているように思います。作者の意図としては成長を描こうとしているようにもとれるのですが、一方でそれほどたくましくなったわけでもない。この作品においては、伊織の役割はどちらかというと、戦国時代の武将・英傑たちの魅力を映し出すになっているのではないかと自分は思っています。

 演出面では、Pの技術的な問題によるのか、それとも意図したものなのか判然としないような独特な演出が目立ちます。
 まず、長回しです。これはPも自覚しているようで、立志伝第二回のマイリスコメにもありますが、第二回ではワンシーンが12分を超えました。
 しかし、より特徴的なのは第一回後編だと思います。最初は8分超のシーンなのですが、お市がちょっと出てきた後は、長政と伊織の会話だけで5分以上持たせます。これは第二回の評定のシーンでは大勢の人間が登場していたことと比べると対照的です。これだけの長時間を二人だけで持たせるには、相当の文章力も必要ですが、色々小技も必要なはずで、ここでは立志伝らしい特徴がいくつか出てきます。
 一つは擬音語です。伊織が長政に本を投げつける時の「ブンッ!」や、お市が食器を置く時の「コトリ」など、糸冬Pは効果音だけでなく、文章でも音を表現します。これがなかなか効果的で、他にも合戦での「ワアア」「ザッ」「ドシュッ」などが典型でしょうか。時に状況を、時に場面の転換を、わずか3?4文字で表現する、いかにも日本語らしい手法です。第一回後編では、自分はお市の「コトリ」が好きです。この場面は8分の長回しですが、お市が引き取る時にこの擬音語とSEが鳴ることで、場面に一つの区切りを付けています。これによって緩急が生まれ、シーンが平坦になることを防いでいるわけですね。
 もう一つはモノローグの多用です。伊織が一人でつぶやくところが多く、基本的には状況説明なのですが、それを状況説明と感じさせない手腕が見事です。単純なミクロの文章力だけではない、マクロな視点の存在、構成力を感じさせます。
 あと、これは癖のレベルかもしれませんが、台詞一つ一つが、そもそも長いです。キャラクターの台詞が一行で終わることはほとんどなく、たいてい2ページ分くらいあります。自分なんかはラノベを書く時、短い台詞の応酬なんかが好きだったりしたので、これも一つの特徴といえますね。
 そしてこれらの小技を使いながら長回しを成立させているわけですが、その長回しはただ長いだけではなく、ちゃんと意味のあるものになっています。特に第一回後編では、ゆったりとしたBGMを8分流し続けた後、急激に緊迫感のあBGMに切り替わるため、視聴者のテンションの上がり方が半端ないことになっています。どこまで意図的だったのかは分かりませんが、12分の動画を8分と4分のわずか2シーンに分け、前半のタメを効かした上で後半怒涛の展開に持ち込み、伊織の乱入と同時に「つづく」で次回に引く・・・という手法には、他の架空戦記では類をみない構造的な感動があります。

 他には、アイドルの立ち絵の表情をほとんどいじらないのも特徴的です。タニシPておくれPなど、表情をころころと丁寧に差し替えていくことで効果を狙うPは数多いのですが、立志伝・幻戦記における糸冬Pのように、顔の表情をほぼ変えないことで効果が上がっているPも珍しいです。アイドルが明るい台詞を言っている時も、ほとんど表情は暗いままで、これもわざとなのか偶然の産物なのかは分かりませんが、一種独特の統一感を生みだしています。なぜなら、アイドル以外の武将の立ち絵は表情が一つしかないため、おそらくアイドルの表情を少なく抑えることで、武将たちの立ち絵との親和性が保たれているものと思われます。この辺が、他の架空戦記とは一線を画する「雰囲気」の秘密なのかもしれませんね。

 *

 文章力については、もう散々言われてるんで、自分が好きな部分だけ。

 まず立志伝第二回、伊織が長々と未来について語った後で、宮部継潤の一言。
 「…殿。これは、いかなる仕儀でございましょうや…」
 渋すぎですw 普通、こういう場の転換には「とにかく?」「とりあえず?」などの台詞を使うのですが、ここでこの言葉。神が舞い降りたとしか思えないw

 次は幻戦記第二回。雪歩と伊織が対立する場面です。
 伊織は「自分たちは役に立てなければ放り出されて死ぬだけ」というのですが、それだけが伊織の戦う理由でないことは明らかです。長政やお市は損得だけで伊織を養っているわけではないし、伊織もそれは分かっているわけです。むしろそういう長政たちの私欲を超えた恩に対して報いたいという気持ちがあるからこそ、伊織は歴史の変革に取り組んでいるわけですが、しかし、自分に向けられる好意に甘えたくないがために、それを口に出すことができない。結果、先述のような言葉になってしまうわけです。
 一方で雪歩は「この時代の歴史を勝手に作り変えてはいけない」というのですが、これまたそれだけが不満の理由ではなく、生き生きとして時代の変革に取り組む伊織を、時代に馴染めない者としての立場から、嫉妬しているとも言えるでしょう。
 この二人の台詞は、互いに本心を言っていないにも関わらず、読者は二人の本心を薄々分かっており、その本心と台詞との差が微妙な「嫌な空気」を発生させているという意味で、技巧的な上手さがあります。生半可な文章書きには書けません。

 それから、Pの文章の特徴として、「リアル」を挙げる人が多いですが、自分はどちらかというと「らしさ」だと思ってます。ちょっと記事を忘れてしまったのですが、糸冬Pはブログにおいて、「本当にリアルを追求したら、伊織と当時の人たちの間で言葉が通じるわけがない」と言っていた記憶があります。本当の意味での「リアル」を追求したら、そもそも物語にならないわけです。
 一方、たとえば下間頼廉が顕如上人のことを「ご門跡様」と言いますが、なんともカッコイイですね。実際に話し言葉でもそう言っていたかは別として、いかにも「それっぽい」わけです。これが「らしさ」なんではないかなと自分は思いますね。実際にどうだったかではなく、我々が当時をどう思っているかに忠実なわけです。だから、その我々が考える当時と、実際の当時との間の隙間を埋めるべく、解説コメや通常コメで、「当時どうだったか」が盛んに議論されるのだと思います。

 ※たとえば能では、「?様」と相手を呼ぶことがほとんどありません。また、本人のいないところでは、「頼光(らいこう)」「頼朝(よりとも)」などと、主君を下の名前で呼び捨てにしていてびっくりします。演劇だから特殊な言葉遣いをしているのかもしれませんが、台詞回しも、いわゆる大河ドラマなどで使われている「時代劇言葉」とは全然違います。一人称で「わし」は出てきませんし、「?じゃ」なんて狂言の中でしか聞きません。

 *

 さて、前編の最後に一つだけ。幻戦記における雪歩の役割についてです。
 幻戦記での雪歩は、基本的に損な役割であり、コメでも「雪歩の立場を改善してあげて」との声が漏れました。視聴者の立場から見ると自分も全く同じ事を思ったのですが、視点を変えて作者の立場から見ると、いたし方ない部分も見えてきます。
 まず、伊織が八面六臂の大活躍である以上、太陽に対する月、陽に対する陰が必要だったのでしょう。最初から最後までアイドルたちの大活躍では、確実に読んでいて疲れます。そして「ひあういごう」の六文字に仏罰を防ぐ効果があると、雪歩が町で耳にするシーンがありますが、あれも伊織の活躍を庶民の視点から見るから面白いわけです。前線に対する銃後が必要なんですね。
 私は立志伝のほうが全体の構成では優れていると思いますが、世界の広さという点では幻戦記の勝ちだと思っています。雪歩の登場によって二つの視点から当時を俯瞰することができるため、世界に奥行きが生まれ、また、非日常と日常をそれぞれ伊織、雪歩が別々に担当することで、物語が長期の連載に耐えうる立体的な構造になっています。立志伝のように伊織一人では、幻戦記の長さを持たせることは不可能だったでしょう。もちろん、その分立志伝には結晶化した構造の美しさがあるのですが・・・。とにかく、雪歩の扱いに関する議論をする時は、以上の点に留意すべきかと思います。

 ***

 文が長すぎてエディタが異様に重くなってきたので、前編はここまでとしますw
 また後編でお会いしましょう!
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T_U
というわけでw
続きを期待しているこちらのエントリにコメントを残してみんとす。

僕はいまだにim@s架空戦記では立志伝・幻戦記が一番好きだったりするのですが、その理由として一番大きいのはリアリティのレベルがきちんと一貫していることなのです。

本文中でも「らしさ」として語られているこれですが、本当にリアルならそれで良いってものでもないですよね?
物語が要求するリアリティのレベルがあってそれをきちんとはずさずに語り続けるのって(いろいろな創作物をみていると)意外と難しい。クロスオーバーものの二次創作となるとさらに難しい、と僕は考えています。
シリアスな作品でアイマスキャラができそうもないこと(戦ったりとか、指揮をしたりとか、そのほかキャライメージにない行動)をしてしまうとなんというかさめてしまうんですよね……。もちろんそういったことができる過程をきちんと見せてくれれば大丈夫なんですけれど、そこまで気を使った作品はあまりない。気を使った上で成功している作品となるとさらに少ない。

アイマス二次創作にそんなもんもとめんな、ってのはありだと思うんですが、なまじジャンルの黎明期に立志伝・幻戦記のような作品があるおかげ(せいw)で無駄に目が肥えてしまったというかww。

じゃあ、幻戦記17回はどうなんだっていう問題もあるのですが、あれ、ギャグっぽく振っているのが多少気にはなりますが、僕にとっては「きちんとタイムトラベルありの世界観を説明してくれてありがとう!これでますますリアリティレベルがあがったよ!」という受け止め方だったんです。

ギャグっぽかったりほかの作品のキャラっぽかったりするのは糸冬pのテレかなぁ、なんて思うのですが、これを完全に真顔でやってくれれば視聴者の反発ももう少し少なかったかもしれません。
イタいことってエクスキューズを入れると余計にイタくみえるというか。

ええっと、結論が見えないままどんどんグダグダになってきたのでww終わります(ぇ。
後編(あるいは20選の該当する部分?)お待ちしております。
| URL | 2010/02/10/Wed 22:42 [編集]
 あ、こんにちは。いやいや、ほんとどうしましょうw 職場にUSBメモリでデータ持ち込んで、暇な時に人目を忍んで書いてるんですが、中々二十選が終わらなくて・・・。

 リアリティのレベルそのものではなくて、リアリティの振れ幅で見てるんですか。それは慧眼ですね。考えてみたこともなかったですw あんまり不意打ちなんで、ちょっと今は上手い答えが見つかりません。しかし、それは重要な視点だと思いますよ。たとえばシリアスとギャグの落差が売りである作品もあるわけですが、やはりそのダブルスタンダードには自覚的であってほしいですね。都合のいい時だけ騎兵隊が来て、他は「リアル」というのは、それを無意識でやられると辛いことが多いです。もちろん、そこに作者の「ごめんね。どうしても助けたかったんだ」というメッセージを感じると、それも含めて感動してしまうことが多いんですが、たとえば「人を『天才』と呼んで特別視する奴は、努力したくないだけだ」とか言ってるのが、青い長髪の超美形だったりすると、「努力でも超えられないものがあるだろーがよ!」と愚痴の一つも出そうになりますw
 そこに至る過程はどうなったんだという話ですね。多くのRPGがこの点、努力という過程を「俺も昔はこんなことがあった・・・」のような「昔話」として片付けてしまうのが、プレステ以降のRPGのシナリオに対する私の不満でした。しかし『巨人の星』のような「苦悩を超えて歓喜へ」タイプの作品に人々が疲れていたのも事実です。その点、iM@S架空戦記では、ほとんど全てのシーンが「現在」の出来事として描かれ、思い出話や、過去の設定の吐露で片付けてしまわず、今現在、視聴者の見ている前で、キャラが悩み、また色々なものを乗り越えていくのがいいですね。幻戦記でもそれは同じなんですが、汗臭い「努力」でなく、それが異文化への戸惑いの克服であったり、現代文明の持ち込みであったり、頭脳を使ったものであるところが秀逸です。私は『ジョジョの奇妙な冒険』の魅力は、腕力で勝つのではなく、頭脳で勝つものが多いところだと思います。それと似たようなものを感じますね。

 アイマスのキャラを大事にする方は多いですね。私はニコマスから入ったし、正直に告白すると原作よりニコマスのほうが好きなので(すいません)、「アイマスキャラが架空世界で力を持つ理由」みたいなものは、ほとんど気にしません。T_Uさんなんかからすると、あくまで彼女たちは「アイマスのキャラ」であり、それはアイドル候補生として日々練習に励んでる女の子たちなんだから、その設定と架空戦記中における設定の溝を埋めてくれと思うのかもしれませんが、自分みたいな人間にとって、アイマスのキャラはもっと抽象的な存在になってしまっていると思います。きっと、仮面みたいなものなんでしょうね。ただそれが具体的にどういう機能を果たしているのかは、深く考えたことがないんで、正直よく分かりません。多分、批評家のロラン・バルトが言うところの「表徴(しるし)」なんでしょうが、記号論みたいなものはネットで盛んに語られているので、あまり深入りはしたくないですね。浅学がばれるのと、あまり議論のある分野には立ち入りたくないのでw 「最強の競走は、競争しないことである」というのが、競争社会の鉄則ですw
 ただ、いとしいさかなPの「The Idol of the Rings」のように、アイドルたちがあくまで超人的な力も何も持たないただの民間人であることを活かした作品には、独特の格調が生まれやすいというのが厳然たる事実だと思います。立志伝もこの系統でしょう。これだとキャラの向こうにアイマスの設定が強く残るので、世界観が二重底になって深みが生まれるんでしょうね。そこがアイドルを原作から分離した抽象的な「キャラ」としてしか扱わない架空戦記や、あくまでアイマスの世界の中でオリジナルシナリオをやるというノベマスとは違うところです。でも、繰り返しますが、私はアイマス原作がどっか行っちゃってる作品も好きですw すいませんw

 立志伝・幻戦記は、ほんと罪深い作品です。散々いい夢見させておいて、あれですからねw 私は第十七回を最初に見た時は混乱してしまって、何が何やら全く分かりませんでしたw ただの商業作品だったら、「わけの分からん作品」ということで、そこで放り出してたかもしれません。でも、ものすごい怒りのコメが流れていくのを見てて、「こういう風に怒るのも違うんじゃないか?」と思ったわけです。逆に冷静になったんですねw だからそういうコメを書くのも、やっぱり意味があることだと思います。無菌室状態より、こっちのほうがいいですねw
 まあ、幻戦記に問題があったとすれば、それは作品のレベルの高さが、商業作品的なレベルの高さだったのかなと思います。だからだんだん、視聴者が「お客さん」になってったんでしょうね。「ニコ動の動画が、商業作品のレベルに達するのではないか」という期待と矜持もあったでしょう。ただそれはニコ動の動画が、商業作品の方向に「進化」すべきだという視点があるので、自分はあまり好きではありません。その点を二十選では批判的に書いたので、ちょっと一部の人には受けが悪いかも、という心配があります。でも、iM@S架空戦記もそういう方向でやろうと思えば出来るんだということを証明してしまった、あるいは証明する寸前まで行ったのが幻戦記です。だから歴史的な意義で「閣下三国志」などと並ぶのは間違いありません。
 あと照れというのは、多分そうでしょうねw なんか視聴者が一定方向でまとまろうとすると、逆に行きたい人なんですよw それは立志伝・幻戦記を生んだ源泉でもあるので、もう放っておきましょうw

 ではw
gase2 | URL | 2010/02/11/Thu 00:46 [編集]
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