iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

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語るべきは人か、物か
 「幻戦記」のまとめ記事を書いてるんですが、何回書いても何回書いても、全部消してしまいます。気に食わないんですね。自分のこの作品に対する想いとか、架空戦記史上における役割とか、そういうものと比べて、文章の中身がしょぼすぎるんです。あんまり行き詰まったんで、今度はシラカワPについて書いてみたんですが、今度はスラスラ書ける。この違いはなんだろう? と思ったら、分かりました。
 幻戦記では作品そのものについて書こうとしてたんですが、シラカワPについては、Pという人物について書いてたんですね。これは自分にとって衝撃でした。

 太宰治の死と共に文学は滅びたと私は思ってますが、その原因の一つが、読者が作品よりも作者を求めたところにあります。面白い作品を読み、作品について語るのではなく、誰もが「偉大な作家」を求め、偉大な作家について語ることを欲したのです。作品は二次的な物として軽んじられて、作家の私小説や日記や書簡を通して、その作家がどんな人物であるのかを語ることが、批評の中心になってしまったわけです。誰もが芥川賞受賞作家やそのプロフィールに注目しても、受賞作は誰も読まないという現代における現実を考えてみれば、ことの悲惨さが分かると思います。

 だから私は、常に作者でなく作品を語ろうとしてきたんですが、どうも潜在意識レベルでは、作者について語ろうとしてるっぽいですね。特に架空戦記のような文学的なジャンルでは、作者について語らないと(自分には)厳しいようです。所詮、自分はその程度の男なのかと思うと、ちょっと情けなくなりましたw
 まあ、作品を通して人を語ってるのか、人を通して作品を語ってるのかは、ヤヌス的な部分があるので仕方ないとも言えるのですが、他のブロガーの皆さんは割りとドライに作品だけを語ってるので、自分の技量不足かなあとも思いますね。
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