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ドット絵の「無表情」
 読み返してみると熱くなりすぎて途中から議論がずれてるので格納しますw
 オウガ風ドット絵の泰斗であるにぎりがくさいPのエントリで、

 >ドット打ちで何より難しいのは、感情の表現。
 >表情の変化には限界があるので、振りで伝えねばならぬのです。
 >
 >吹き出しに頼るのは邪道!(よく使うけど)

 とありました。
 自分は能の面白さを伝える時に、よく昔のRPGのドット絵を引き合いにだします。一番分かりやすいのは、FF5の戦闘終了時でしょうか。ファンファーレと共に、ドットで描かれたキャラたちが、両手を上げて喜びます。あれって、何だか独特の可愛さがありますよね。で、その可愛さの正体はなんだろう? と考える時、自分の出す答えは、「キャラが無表情だから」です。もちろんキャラが表情を作っても可愛いんですが、キャラが無表情であることで、独特の雰囲気が出ると思うんですね。
 そして、その「可愛さ」を最大限利用してるのが、まさに能であるわけです。顔の表情を変えられないからこそ、身振り手振りで表情や感情を伝えるさまが、「面白い」というわけですね。顔の表情という最も簡単な感情の表現手段を封じたうえで、どこまで感情が表現できるのかということでもあります。

 他には、会話中の向き変更があります。RPGのイベントシーンなんかで、誰かが喋ってる時、他のキャラがそちらに向かって向きを変えますよね。あれも能でよくある動きです。能で会話のシーンをよく見てると、会話の相手が変わるたびに、ちょこちょこと役者が向きを変えて向き合っています。しかもそれを大真面目に真顔でやるもんだから、自分なんかはRPGのドット絵が動いているようで噴出しそうになることもあります。

 そんなこんなで、顔の表情がいじれない能と、顔の表情をいじるのが難しいドット絵というのは結構似ている部分が多くて、私は「日本人のやることは、600年前から変わらないんだな」と一人悦に入ることがあります。素晴らしいドット絵が能に通じるものを見せた時、道を極めた者どうしが、時空を超えて握手しているようで見事なんですね。
 ゲームや二次創作は「文化」とは呼べないとかいって嘲笑する連中がいますが、本当の文化って、そんなもんですよ。能だって600年前は新興芸術でした。「河原乞食」とか呼ばれて蔑まれていたわけです。あくまでもゲームやニコマスが文化でないというのなら、文化というモノ自体、守るに値するものではないでしょう。
 今この瞬間、熱意を持って作る人がいて、それを見て感動する人がいる。それでいいじゃないですか。それが文化でなくてなんなんでしょうか。著作権侵害だとかなんだとか、くだらない議論も関係ありません。今ここにある感動を、瞳を逸らさずに、受け止めてほしいと思います。

 以上です。
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