iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

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アイマスの王、王の中の王
 「宝野ハルカ」は何度見てもすごいです。
 今まで自分はわかむらP、慈風P、えこPが三大Pでした。が、比較してしまって申し訳ないんですが、この作品はこの三者が束になっても適わない何かがあります。もちろん、この作品も、彼ら頂点Pたちが作り上げてきた「インフレ」があってこそ誕生したものでしょうから、RidgerPが一人で成し遂げた偉業ではないでしょう。しかし、RidgerPは今、バラヒアの指輪と共に栄光の玉座の上に輝いて見えます。民は彼を望み、そして王は帰還したのです。これからの全てのガチ系PVは、この作品に挑むことを宿命付けられるでしょう。そしてこの作品は、それに耐えうる神の牙城となりうるはずです。
 ニコマスはこれまで、何度も「限界」を見せては、それを自身で打ち破ってきました。その繰り返しこそが、ニコマスの歴史でした。そして今姿を現したこの新たなる「限界」を前に、ニコマスはどこへ行くのでしょうか。彼が何人目の「最後のシ者」なのかは分かりませんが、彼は殺されねばなりません。彼が最後の預言者になった時、ニコマスの歴史は終わるからです。その宿命を果たすのは誰でしょうか。父を殺し、あらたなる父となるべき人間は・・・。

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 空間に関するコメントが多いですが、空間同士の対比も素晴らしいですね。「阿修羅姫」の密室感と、「嵐が丘」の開放感など、シーン同士の関係にもメリハリがあるわけです。
 「阿修羅姫」では、キャラの移動を多用することで、逆に空間の狭さ、息苦しさが際立っています。3:13あたりからの、春香が障子に沿って歩き、同じく障子に沿って歩く千早が大きく手前に移動してくるあたりなんか、実にいいですね。部屋が狭いからこそ、その中で自由に動くキャラたちに抑制された躍動感があります。4:13、わずかに開いていた障子が完全に開くシーンでは、息苦しさがわずかに軽減されますが、そこに奥行きはなく、空間は閉じたまま終わります。
 逆に「嵐が丘」では、キャラはほとんど移動しません。ではどうやって開放感を出すのかというと、カメラワークと、あとはキャラ同士を思いっきり離した配置なんですね。さらには館が生えてくるという背景そのものの変化も押し出します。でもキャラは動かない。ここではあくまで「キャラ=静」であり、「背景=動」なんですね。背景とキャラが主従の関係になっているわけです。何を見せるのか、それがしっかりしています。一つ一つの発見、すべてがため息ですねw まさに神の御業です。

 あとは「赤と黒」がすごいんですが、どうすごいのかまだよく分かりませんw 自分がどこに感動しているのかよく分からないw RdigerPの過去作品も見ないといけませんね。

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 それにしても「王の帰還」という言葉はいいですね。この表現がとても好きになってしまいましたw いとしいさかなPみたいに指輪に詳しい人が、「愚民が語るニコニコ削除戦争の歴史」のノリでネタ動画化してくれないでしょうかw 意外とRidgerPの来歴とかについて知らない人も多いと思いますし。自分も本格的にニコマスを見始めたのは08年からなんで、よく知りませんでした。
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