iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

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西洋的現実主義とITW
 「アイマス・トータルウォー第十八話その一」は数々の批判・中傷どこ吹く風の「平常運転」でしたw 相変わらず視聴者をピリピリさせてくれますw しかしこんなにハードな架空戦記も貴重ですね。アイマスは原作ゲーム自体が明るい雰囲気のものであり、シリアスな素材も少なく、基本的に重い展開には馴染みにくいため、ケントゥリオPにはアンチが付きやすいのかもしれません。「俺のアイマスでこんなことやるな」というわけですね。実際、この物語をアイマスキャラでやる理由はあるのかと聞かれると、情けないことに擁護派の自分にも「そのほうが多くの人に見てもらえる」くらいしか思いつきません。「じゃあアイマスでやるな」と言われそうですが、私はアイマスキャラが出ているからこそこの動画を見始めたし、一方で「アイマスキャラでやる意味が薄い」などという批判をねじ伏せるほど、この作品には魅力があると思います。
 この作品では、キャラクターがアイドルを目指しているとか、プロデューサーと微妙な関係があるとか、そういった原作のテーマはことごとく棄却され、残っているのはバラバラに切断されたキャラクターの「個性」だけです。が、それがどうした? だからなんなのか? 日本人は細部にこだわりすぎるあまり全体を見失いやすいのですが、まさにこの作品こそは、細部を捨てて全体を取った西洋的現実主義で作られていると言えそうです。「美は細部に宿る」とは日本人が好きな言葉ですが、細部の美を取って全体の美を犠牲にしていては本末転倒です。「ここの文章が上手い」「この立ち絵が素晴らしい」・・・そんなことより、その「作品」は面白いのか? それが全てだと思うからです。

 日本の漫画やアニメ、ゲーム、そしてim@s架空戦記では、よく「目の前の人を救うか、それを見捨てて全体を救うか」という二者択一が提示され、「目の前にいる人も救えないのに、全体は救えない」などと言って目の前の人間を救い、そしてその後で全体も救うというパターンがよく出てきます。けれども実際はそう甘くないように思います。阪神大震災ではかすり傷の人も重傷者も同じような優先順位で診察したため、緊急に手当てを受ければ助かった重傷者たちが大量に死にました。軽傷者のほうが元気なので、「早く助けてくれ」という主張は強いんですね。それで軽傷者ばかり診ているうちに、苦しくて何も言えない重傷者たちがどんどん死んでいったわけです。一方で海外には災害の際、負傷者の治療の優先順位を決める専門のスタッフがいます(今は日本にもいます)。そのスタッフは負傷者たちに、怪我の度合いに応じて色の付いたタグを付けていくのですが、その中には黒いタグがあり、これは「今の状況、設備、人員ではどうやっても助からないので治療はしない」ということを意味しています。要するに「見捨てろ」ということです。非常に息苦しい制度ですね。しかし無駄な努力をしないことで、別の誰かが助かる可能性もある。M7.3の阪神大震災では6434人の死者が出たのに対して、M6.9のサンフランシスコ地震(ロマ・プリータ地震)では死者は63人でした。100倍の差はこの制度に直接由来するものではありませんが、阪神大震災を契機にこの制度(トリアージといいます)が導入されたことを見ていると、日本人というのは実際に大きな被害に合わないと、「全体を見る」「犠牲者を最小にする」ということが分からないのかなと思います。前述のような「目の前の人を助ける」というのも、お話の中でやっている分には私も楽しいし、熱いし、感動するんですが、その正義感を現実世界にまで持ち込むのはまずいんではないでしょうか。
 ・・・ということを、今回の動画の前半部、やよいと軍医のくだりで考えてましたw 長くなってすいません。

 また、前回のことがあったので、私はキャラの言葉の端々に怯えてました。軍医の「遅い!」の後には、「あと三分早ければ・・・」という言葉が来るんじゃないかと思いました。やよいが連れ込まれた際には、もちろん下世話な想像が頭をよぎりました。「@Minefield 第二話」のあずささんよりよっぽど手前で終わってるのに、なぜかケントゥリオPがやると、嫌ーな汗をかきそうになってしまいますw そしてプロデウス隊長の「あの二人組みなら・・・」の後にも、やはり「死んだよ」の一言が来そうで怖かったw 残り時間も短かったし、最悪、それで「続く」になるんじゃないかとの妄想も脳裏をかすめました。
 しかし、それらの恐れ(期待?)は次々と裏切られ、最後は二人の百人隊長の前向きな言葉で引きとなりました。でも自分はなぜか、二人の隊長の千早に対する評価が甘いんじゃないかと思ってしまいましたね。もっとキツくていいんじゃないかと。多くの人の命(自軍の、ですが)を奪った千早の過ちに対して、恨み節の一つでもあっていいんじゃないかと。それでこそ人間なんじゃないかと。そして次の瞬間、こうも思いました。「あれ、なんか俺、ハードで苦しい展開ばっかり望んでるんじゃね?」と。どうやら前回の重い展開は、苦しい一方で何か快感に似たものがあって、自分の中に、もっと悲劇的な感情のぶつかり合いを見たいとか、重ーい空気の中で無力感を味わいたいとか、そういう欲望のようなものが生まれてしまったのかもしれません。人はそれを、マゾヒズムと呼ぶかもしれませんが・・・w

 こんなわけで、表面的には静かで、作者曰く「地味な」回でしたが、自分的には心臓に悪い「いつものケントゥリオP」でしたw いや、でも貴重ですよ。im@s架空戦記で唯一、悲劇を描ける人かもしれません。これからの展開の妄想は尽きないんですが、あんまり読者が「予想」すると、作者がそれを回避しようとして話を捻じ曲げたり、いい影響がないと思うんで、やめときますw

 では、長文失礼しました。
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>「美は細部に宿る」
これは日本語特有の不完全な表現で、
実際は「美は細部にまで宿る」ではないかと思うのです。
別の言い方をするとホテルマンが靴、鞄、時計をチェックするがごとく
細部で確認しようとする行為のようなものから
”細部”だけに焦点が当てられているように見えますが、
日本語の表現的には”美の主体”があるのは当然であるとして
省略しているのではないのかなと。
れぽうp | URL | 2009/10/25/Sun 14:32 [編集]
 いや、そういう風に肯定的に見たいんですが、実際は細かいところだけを取り上げて賞賛し、「やっぱり美は細部に宿るものだ」と言う人が多いので、そういう人たちに対する反感から、自分は言葉そのものに対しても反感を持つようになったというだけです。その文脈では、「美は細部にしか宿りえない」という意味になってしまいますからね。もちろん、評論というものがそもそも細部を褒める・けなすことによってしか成り立ちにくいので、その意味でこの言葉は不幸な位置に立たされているのかもしれません。
 一方で、「本当の意味」がれぽうpさんのおっしゃるようなものであってほしいとは思ってます。が、これだけ「誤用」が多いと、定義論争も不毛になりそうだし、またこの言葉を支持することは、一般的な使われ方を支持することにもなりそうなので、自分は避けてます。自分の見解はこんな感じでしょうか。
gase2 | URL | 2009/10/25/Sun 21:46 [編集]
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