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意味の否定
 「バトル・ののワイアル」というのが上がってますね。これは面白い。いわゆる「カオス」に分類されそうな作風なんですが、コメにもある通り、徹頭徹尾「意味がない」。全く意味がない映像が延々流れるんですが、それが面白い。現代芸術とかって何なのかなと考えてしまいますね。
 ここのところ「まっくら森の歌【手描き】」について考えてました。コメに「最後の部分が蛇足」という批判があって、自分は天邪鬼なので、「なら最後の部分も含めた『解釈』を俺がやってやろう」と思って頑張ってたのですが、あんまり(自分の解釈が)面白くないかなと思ってやめました。自分でもあまり面白いものだとは思いませんでしたし。
 しかし、「まっくら森」なんかは、解釈ができるわけですね。断片的で統一性に欠けるイメージの連続からは、むしろ「解釈してくれ」「妄想して広げてくれ」という作者の声も聞こえてきそうです。実際、自分もそうしたくなって途中までやったわけです。
 けれども、「バトル・ののワイアル」にはそれがありません。作品は最初から壊れてて、「本来の姿」を持っていません。だから「直す」ことはできないし、その必要もない。そこには解釈とか妄想の余地はほとんどなくて、ただ壊れている姿が美しいわけです。
 一方で、自分が現代美術なんかによく抱く不満は、「意味ありげなもの」を作る人が多いことです。意味はないのに、あたかもあるように見せる。それがあまりにも露骨な場合が多いので、不満なんですね。「馬鹿には分からない作品」を作り続けている彼らは、いつか、「王様は裸じゃないか」と言われてしまいそうな気がしています。
 「バトル・ののワイアル」の好感度の高さは、おそらく、意味がないものを作っておいて、意味があると主張しないことにありそうです。しかしそれだけでは、ランダムに表示される絵を並べただけの動画との区別が付きませんから、もう一つ付け加えるとすると、まず、この作者は視聴者が動画に意味を求めたがることを分かっている。分かった上で、なんだか意味のありそうなものを作り、しかし、実はそれには意味がないのだと自分で否定してみせる。
 思うに、この作品は「前衛芸術」に並ぶものに思えますが、「意味のありそうなもの」の意味を否定しているという意味では、実は全く正反対の代物なのではないかという気がします。素っ裸で出てきて、「俺は裸だ」と言う。多くの人たちから見れば、それは当たり前のことですが、裸でありながら「馬鹿には見えない服」を着ていると主張する多くの「プロの芸術家」がいるように感じてしまう私のような人間からすると、これは痛烈な批判であり、思わず顔がほころんでしまうのです。

 同じ作者さん(獣道を逆走P)の作品では、「[NoNoWire09] Go Mynci [アイドルマスター]」も面白いです。暗黒太極拳を思い出すような、真っ黒の背景で春香と雪歩が踊るだけなんですが、なぜかいいです。最近は私も贅沢になってきて、キャラが普通に踊ってるだけの動画は数秒見て次に行ったりしてしまうんですが、この動画はなぜか見入ります。ごく少量に抑えられた演出も、それが決して滅茶苦茶いいわけではないんですが、動画が単調になるのを最小限抑えており、成功していると思います。

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 今日は以上でしょうか。
 ではまた。
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