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Emblem For you! 第24話 突然の暗闇とあふれ出す感情(中)1?2
 ソシアルP
 

 腰痛Pが高く評価するのも分かる、ソシアルPのE4U。自分は元ネタのゲームに馴染めなかったので、この架空戦記のいいファンには決してなれないんですが(たまに無知からくる的外れなコメを書いて恥をかいたり・・・)、すっとぼけたギャグを飛ばしつつ、シリアスな裏のかき合いも上手い、そしてかっこいいなあと思ってると、また唐突にギャグに入るw そんなとらえどころのなさが付き合ってて楽しいPです。しかしそういう構成を天然でやってるかというと、全て計算済みのようなところもあって、そこがまたいいんですね。また知的な展開・構成ではあるんですが、ケントゥリオPとか糸冬Pみたいに「知性」や「教養」の領域までは行かず、あくまでゲームのシナリオというか、良くも悪くも「よく練られたおとぎ話」で終わってるわけです。それは批判しているのではなく、ソシアルPもそれ以上する必要はないと思ってるんだろうし、それでいいのです。

 

 太宰治の作品なんかは、今では「純文学」のカテゴリに入るんでしょうが、当の本人は随筆の中で、「純文学」について、まるで他人事のように書いています。彼にとって自分の小説は、「純文学」ではなかったんですね。まあ、彼一流の照れ隠しなのかもしれませんがw
 彼は「『晩年』について」という文章の中で、次のように書いています。

 私の小説を、読んだところで、あなたの生活が、ちっとも楽になりません。ちっとも偉くなりません。なんにもなりません。だから、私は、あまり、おすすめできません。
 (中略)
 やさしくて、かなしくて、おかしくて、気高くて、他に何が要るのでしょう。
 あのね、読んで面白くない小説はね、それは、下手な小説なのです。こわいことなんかない。面白くない小説は、きっぱり拒否したほうがいいのです。


 彼自身の作品が「教養小説」になってしまった今では、この言葉を額面通り受け取るわけには行きませんが、しかし、どんどん小説というものが「教養」になっていく世の中での、彼なりの抵抗の言葉なのだと思います。面白いだけの小説で、何が悪いのか。その言葉に耳を貸さずに「教養」への道をひた走った小説は、推理小説を軽蔑しつつ、気がつけば権威だけの生ける屍になっていた。面白くなくてもいい。価値があればいい。しかしその「価値」とは何なのか。大衆を侮蔑し、一部の知識人たちだけが有り難がる「価値」は、本当に意味のあるものなのか。それは「反大衆」という名の、「反体制」をネガポジ反転しただけの、空虚な排他感情に過ぎなかったのではないのか。
 人が、人を喜ばせるために何かを作る。その軌跡が文化なのであって、知識人に認定されなければ文化とは呼べないなどという馬鹿な話はありません。
 ただ、これは最近糸冬Pのブログのコメント欄でも読んだ意見ですが、文化とか芸術とかいう名が付いてしまうことで、「これは文化的な漫画とは呼べない」「アニメのルールを破った」などと誰かが騒ぎ出して作品や作者に対する「異端審問」が始まることは、文化衰退の第一歩でもあるわけです。だから、文化だとか芸術だとか、そういう権威を声高に叫ばなくても、何にも意識せずにただ作品を楽しめる状態が一番幸福であるわけです。まあ、いつかその権威化ということは、二次創作やオタク文化にも起こるでしょうが、少しでも「その時」の到来を(力づくでなく)遅らせることは、大事なことかなと思います。
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