iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

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小鳥さんにrelationsを踊ってもらった。
 投稿者不明
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 著作権ネタです。長いですw たぶん新記録ですw
 えー、こんなことばっかり書いてますが、あれです。読まなくていいですw
 ***

 著作権法の難しさの典型です。
 同一性保持権の侵害を指摘するコメがありましたが、同権利の侵害が成り立つのは、変更や改変が著作者の意に反して行われた時です。

第二十条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。


 ということで、困ったことに、わずかながら合法の可能性があります。全てはバンナムがなんというかです。バンナムが「別にいいよ」と思えば合法ですし、たとえ今日はそう思っても、明日「やっぱりこれ消してくれ」と思ったら、その瞬間から違法になるのです。著作権法とは、真に面倒な法律であるわけです。
 ただ、よく考えてみれば、これはあらゆる私法上の権利と同じです。たとえば同じ部屋をシェアして住んでいる友人が、もう一方のパソコンを勝手に使うようになり、三ヶ月以上いつもパソコンの前にかじりついて、本来の持ち主に使わせないとします。これは相手に対して威圧などの強迫を行っていないなら、特に刑法の犯罪には該当しないと思います(刑法には詳しくないので、該当したらすいません)。しかしこのような行為は、本来の持ち主の所有権を侵害してパソコンを占有していますので、不法行為です。ニコ動の言葉でいう「違法」です。しかし持ち主が「ま、いっか」と思えば、違法は違法ですが、別に何の問題も生じません。パソコンを勝手に独り占めするのをやめさせたいとか、使用料を払わせたいと思ったら、自分から話し合いを持ちかけるか、裁判で法的な権利を主張するしかありません。こういう風に、権利を侵害されるのが嫌だったら、自分で権利を主張しなさい、というのが私的自治の原則です。権利を主張しないうちは、法律は何にもあなたを助けません、干渉しません、という民法の原則です。なぜなら本人が「別にいいよ」と思ってるようなことにまで国家が干渉してきて、「あなたは被害者ですね。だからこの友人には制裁を加えます。彼が何よりも大事にしている思い出の絵を売っぱらって、なんと100万円の慰謝料を取ることができました。さあ、どうですか、嬉しいでしょう。国はいつでも弱者の味方です」というようなことは迷惑だからやめてくれ、という理由からです。
 しかしここに問題が生まれます。たとえば持ち主がいない時、一時間くらいなら、別にパソコンを使わせてもらってもいいじゃない、という時もあるでしょう。それで持ち主が後で「ふざけんな! 訴えてやる!」と言って訴えても、特にこれといった利益を受けているわけでもなく、大した被害も相手にないので、損害賠償や不当利得返還がたとえ成立したとしても、大した額にはならない。というわけで、その行為が相手の所有権を侵害し、所有者がお金を払って買ったパソコンにただ乗りする行為であると知りつつも、「ま、ちょっとくらいならいいか」と思って親しい人のパソコンを「借りる」人は沢山います。しかも多くの所有者が、そのような状況の下では、親しい人に「ふざけんな! ただ乗りすんな! 違法行為だ! 金を払え!」などと言うことはないので、それが一日とか一週間とか一ヶ月くらいなら、黙認することもあるわけです。場合によっては「もうこのパソコンはこいつにやろう。こいつには結構世話になってきたし」などと言って、所有権を放棄する場合すらあるかもしれない。こうして、様々な所有権や財産権などの私法上の権利は、日々「侵害」を受けつつも、あるものは違法になり、またあるものは合法になっているわけです。
 「違法かどうかは法律が決める。しかしそれを許すかどうかは権利者が決めろ」これが私法上の権利です。しかしたとえば、こんな例はどうでしょう。10年前、長期間に渡ってパソコンを無断使用された人が、その時は「ま、いっか」と思っていたのですが、10年以上経ってから「やっぱりあの時の使用料、払ってくれ」と言い出すのです。しかし、この主張は認められません。私法上の違法性は、権利者が「いいよ」と思うかどうかという、大変曖昧なものの上になりたっています。ですからどこかで、「これは権利者が認めたものとみなそう」としないと、忘れた頃に大金を請求されたり、最悪の場合には、権利者がいかにも使ってよさそうな顔をしながら、実はいつか金を取ってやろうと考えており、思いっきり料金がかさんだところで、損害賠償や不当利得返還を求めることも(理屈では)できます。そういったことを防ぐために、一定の期間がすぎても何にも言われないようであれば、それは「権利者が認めたこととみなそう」というルールが、法的安定性を維持するために定められているのです。

 よく著作物に関して「泥棒は厳しく取り締まられているのに・・・」と言われます。確かにファイル交換ソフトなどで大量のソフトをタダで交換し合うのは、これは明らかに違法です。が、困ったことに著作権は私法上の権利なので、著作者が「別にいいよ」と言わないとも限らないし、実際そういう人までいるわけです。これはこの動画についても同じで、ものすごく怒られそうだけど、ひょっとしたら大目に見てくれるかも、という希望もあるわけです。なので、違法か合法かは、このブログで何度も言ってきたように、動画を見ただけでは分かりません。あらゆる私法上の権利と同じように、著作者であるバンナムが、なんと言うか。それが全てです。
 では実際に動画をアップロードするまで、違法か合法か、我々には分からないのでしょうか。実は分かります。それはJASRACなども主張するように、事前に許諾を得ればいいのです。ここでいわゆる「コンプライアンス派」は喝采することでしょう。ほら見たことか。事前に許諾を得ればいいだけなんだ。それをしないからダメなんだ。こいつらはみんな、法律を無視する悪い奴らだ。
 でも、それも本当でしょうか。たとえ許諾を得ることが出来たとしても、アップロードした次の日に、著作者が「あ、やっぱりこれ、バンナムの作品のことバカにしてるわ」とか、「これ、やっぱり作品の売り上げ落とすかもな。消させよう」と思ったら、その時点で違法になります。これを防ぐためには、「この動画がアイマスの売り上げを落とすことになっても、弊社は動画の削除を依頼しません」とか、「この動画のアップロードがバンナムの意志に反することになっても、弊社は(ry」とか、そんな条項を作って契約する必要があるわけです。これは困ったことです。そんな契約、誰も結んでくれるわけがないからです。ということは、実は許諾を受けていようがなかろうが、やっぱり著作者がダメだと言えば、その時は消されることは何にも変わらないのです。だったら、別に無断で上げて、著作者がダメだと言ったら消せばいいと、そういう考え方になってしまうわけです。少なくとも、著作者に見つかるまではネット上に存在させることができる。
 これが先程の例のように、パソコンの無断使用だったらそんなに困りません。不法行為で3年、不当利得で10年の時効を迎えれば、もう相手は権利を主張できなくなるからです。しかし著作権の保護期間は50年なので、箱○版の素材を使ったMADは2057年まで、著作者であるバンナムがいつでも違法にできる状態が続きます。2056年まで削除されなかった動画でも、突然削除され、損害賠償ということも(理論的には)ありうるわけです。土地などは、たとえ他人の物であっても、20年間平穏に占有し続ければ、占有し続けた人の物になります。これはその人がヤクザでもいいんです。20年以上も誰がそこを使ってるか分からないくらいロクな管理もせずに放ったらかしておいて、そのうち土地の上にビルが建ってから、ふらっと現れた所有権者が「あ、ここ、俺の土地だから。ビルも全部ぶっ壊して立ち退いて。あと不当利得も返還してね。俺の土地勝手に使って儲けたんだから」というのは許されないということです。そしてこれに比べると、著作権というのは、そのいつでも権利者がぶらりと登場して権利を主張してよい期間が、50年間(自然人の著作物では、著作者の死後50年が過ぎるまで!)と、無茶苦茶に長いことが分かります。ただ、これはネット時代のデジタル著作物は、不動産や動産などの有形物と比べて遥かに侵害の把握が困難なので、短すぎるのも問題だと分かると思います。
 こんな風に、著作権侵害の疑いのある著作物というのは、違法なのか、合法なのかは権利者次第だし、そもそも権利者が「動画の公開を許可しない」と言っても、実は無断で公開しても合法な動画である可能性もあります。たとえば著作者に許可を求めて、OKが出たとしても、数日経ってから「やっぱり許可を取り消します」と言われる可能性もあり、一方で作者がNGを出したとしても、裁判所で戦えば合法の可能性もあるのです。ましてや「著作者が権利侵害を主張する可能性のあるものは全て控えよう」となると、裁判所で合法の判決が出るものまで全て事前に「自粛」することになります。これでは違法でないものまで「ヤバそうであれば」違法扱いされることになるし、誰もその「ヤバそうな動画」を実際に投稿してみなければ、裁判所での判決が出ないので、永遠に「違法っぽいからやめたほうがいい」とされてしまう可能性もあるのです。
 こうやって違法なのか、合法なのかのグダグダが永遠に続くわけですから、結局はアメリカの企業がやっているように、違法覚悟でビジネスを始め、向こうが和解交渉をしてきたら応じ、値段が高すぎるとか、自分のやってることは著作権侵害ではないと思うなら、法廷で戦う。その結果負けるのなら、潔く金を払うか、ビジネスをたたむという方法がベストに思えるわけです。事前の契約をしないのは、まず実際にビジネスをやってみないと、どれくらい相手の著作権を侵害するのか、どれくらい儲かって、どれくらい著作権者に払えばいいかが分からないからです。何にもしないうちから憶測で契約してしまうと、莫大な損失になる可能性もあるし、侵害される側の企業としても、ビジネスの規模を過小に見積もって少ない金額で契約を結ぶのが嫌なので、まず様子を見るわけです。そして事業の規模が広がり、儲かりそうなら、多額の損害賠償で訴えるわけですね。
 これらは純粋に双方がビジネスだから上手く行くわけで、金銭的なもの以外では絶対にやってはいけません。たとえば「どこまでが『強姦』なのか分からないから、色んな方法で女性を襲って、裁判で試してみればいい。有罪になったら、損害賠償を支払えばいい」というのは、明らかに許されない行動です。なぜなら性犯罪や肉体の損傷などの非金銭的な被害は、金銭的な賠償や補償によっては、十分に治癒されないからです。息子を殺されて100兆円もらっても心の傷は癒えませんが、著作権の侵害で10億円くらいの被害を受けても、30億円くらいの賠償を受け取れれば、厄介ごとに巻き込まれたとはいえ、それほど問題とはいえないでしょう。人によっては、儲けたと思うこともありそうです。
 しかし、ニコ動での状況は少し特殊です。アメリカのRIAAや日本のJASRACなどの著作権管理団体は、「侵害」そのものを減らすことを念頭においているからです。なぜなら彼らは「こういう使い方ならいいよ」という風に、権利者の側に留保されている許可の権利を一切使用しないので、著作権侵害であれば全て金銭を要求するからです。ここで私的自治の原則が歪んでいます。もしニコ動で使われているあらゆる作品の音楽使用一つ一つについて、歌手や作曲家が許諾の有無を判断するなら、「こういう作品になら使用を許諾してもいいかな」という事由が生まれる可能性があります。が、実際にそんな許諾を一つ一つ判断することは不可能なので、それをJASRACに丸投げします。するとJASRACには「心温まる作品だから許可する」というインセンティブもないし、そんな権限もないので、あらゆる作品を形式的な侵害だけで根こそぎ取り締まるのです。こうしてJASRACが憎まれるわけですが、著作者としては「JASRACの判断で、良質な二次創作には許諾を出してくれ」「許諾を与えても良さそうな作品や利用者がいたら、連絡してくれ」などという契約を結ぶ人はいないでしょうし、そうしたい人がいたとしても、アーティストは死ぬほど大量にいるので、コストの観点からも、JASRACはそんな面倒なことはしたくない。だから統一した画一的な契約を結ぶのです。こうして著作者と管理団体が妥協した結果、その皺寄せを利用者が被っているわけです。そしてJASRACなどの管理団体や企業の法務部が取る「形式的に侵害していればすべて取り締まる」という態度が、一部の人に「著作権を形式的に侵害しているものは、全て金を払って当然なんだ。それをしない奴は全員、金を払わないフリーライダーだ」という思想を生み、二次創作が攻撃される。それも半分事実だし、法的にはJASRACの行為には何の問題もないんですが、ここでは私法上の権利である著作権の行使について、本来の権利者である著作者(クリエイター自身)の個々の二次創作作品に対する許諾の意志(著作者として、この作品には許諾をすべきかどうか?)が反映されておらず、「著作物の利用は大量にありすぎるので、いちいち許諾を判断するのは面倒くさい」という理由で、「全部禁止」とされてしまっていることに問題があるのです。この点を理解せずに、先述のように「侵害=金を払え」というのが法的に正当であるだけでなく、倫理的にも正当であるというのはおかしいのです。
 ただし、これも「無断コピーを友人に無料で配布する」などの「まず権利者に許されない行為」「明らかに経済的損失を権利者に与える行為」と、今回の動画のような「経済的損失が明らかでない行為」「損害が倫理的なもので、事前に判断が難しい場合(要するに著作者次第)」では異なるし、さらには架空戦記やPVのような、もはや一つの作品として成り立ってしまい、そこに作品としての感動が生じており、しかもそれが原作へのファンからの愛情をも表現している場合には、「著作者も同じクリエイターなら、許してくれるのではないか」という期待が生じてしまうため、全く状況は変わってきます。だから、著作権はややこしいのですw あまつさえその架空戦記やPVは、JASRAC管轄下の音楽や、ハリウッド映画の動画を使っていたり、アイマス以外の小説やゲームの二次創作にもなっていたりで、これら全ての権利者の許諾を得るのは大変だし、高額の金銭を要求される可能性もあります。さらにこのような動画を作りたい人たちは、別にお金を儲けようと思っていなし、実際ニコマス作品でお金を儲けることも難しいし、儲かったとしても雀の涙なので、お金を払うことなど出来ないのです。
 これらのことを勘案すると、本来ニコ動に作品をUPする人たちは、多数の著作権を侵害し、凄まじい金銭的・法的なリスクを抱えており、そのうえ金銭的な見返りは全くないので、合理的に考えれば作品をUPするのを思いとどまるはずなのですが、実際には「俺の作品を皆に見てもらいたい」「アイマスの楽しさを分かち合いたい」といった非金銭的かつ精神的な欲求が満たされるリターンが(うp主たちの脳内では)過大に評価されてしまっており、「ええーい、もういいや、適当にアップロードしちゃえ」となってしまうようです。しかもボーカロイドのように宣伝になってしまったり、東方シリーズのZUN氏のように「別にいいよ」とほぼ明示の許可を与えたり、バンナムのように黙認に近い行動を取る著作者が実際にいるので、彼らうp主が違法か合法かのグレーゾーンに踏み込んだ結果、彼らが作品をうpし始める以前よりも、うっすらと白い部分が増えてきてしまったわけです。
 こういったことを考えると、「アイマスへの愛」やらなんやらを強く叫ぶ人がいるのも分かります。著作権の正当性が労働に対する金銭的報酬を請求する権利にあるのに対して、この権利者側の著作権の行使を思いとどまらせているものは、ニコマスPの投稿する動画が、アイマス原作へのファンからの愛情表現であることにあります。つまりゲームの購入者が作品に対する愛情を表現した作品を、金銭的報酬を求めずに発表するという非金銭的かつ精神的な行為を、賃金の要求という人格的ではあるが金銭的な行為をもって禁止することの正当性が、法的にはあっても、倫理的には少し弱くなってしまうからです。動画視聴者のアイマス関連商品の購買可能性というものも指摘されているので、ひょっとしたら、動画を取り締まることがゲームや関連商品の売り上げを落とす可能性もある。すべては憶測でしかありませんが、そんなこんなで、動画が消しにくくなってきたという理由もあるでしょう。

 これらは全て、事前に著作者に許諾を求め、その結果を遵守していたら起こらなかったことです。だからこそ、法は事前の許諾を試みないことを罰しないのですが、これは大変な誤解を生みやすい制度です。先程の例と似てしまいますが、たとえばこういう人がいます。「じゃあまずは激安で海賊版を売りまくり、著作者にバレたらお金を払えばいい。だって著作者が見逃してくれる可能性もあるからだ。そういうことだろ?」というわけです。実はこの考え方は、私法上は半分合ってます。刑法を無視すると、理屈上はそうです。問題は違法性の認識、著作権者に与える損害の認識、実際に与えた損害、そして補償と賠償の意志、その資力などです。こういった海賊行為が強く問題になるのは、まず海賊行為が完全に違法であり、著作権者の経済的利益を明確に侵害すると理解してやっていること、実際に損害が出ること、いざバレても補償や賠償を行う意志がなく、その資力もないこと、などです。
 が、これほど分かりやすい違法行為ですら、著作物の場合は簡単には行きません。たとえばヴィトンのバッグを考えてみましょう。ルイ・ヴィトンにとっては、あるバッグが一つ10万円で10万個売れるのと、一つ1万円で100万個売れるのとでは、儲けは一緒です。ではどちらがいいでしょう? 皆に広く行き渡る1万円で100万個のほうが一見良さそうですが、それではルイ・ヴィトンが好きな人たちが困ります。安い値段で街行くみんなが持っているようなバッグなんて、別に欲しくはないからです。それよりルイ・ヴィトンには、あまり人が持っていない、でも頑張って無理すれば買える、そんなブランドであってほしいと思うわけです。そこでルイ・ヴィトンも顧客の要望に応え、たとえ儲けは一緒でも、値段を高くして、その代わり一定の限られた人だけが買える商品にするわけです。そうすることで、安値をウリにする競合商品とは離れたところで、安定した利益を出せる。これがブランド商法というものです。
 著作物の場合も、DVDが1000円で100万人が見たアニメと、DVDが1万円で10万人が見たアニメとでは、実は儲けは変わりません。なので、企業は儲けが同じであれば、できれば熾烈な値下げ合戦に巻き込まれたくないので、ブランド化を望み、値段の高い方を選ぶ場合が多い。しかし、これは多くの著作物の利用者が感じる、「いい作品だ。もっと多くの人に読んでほしい」という感情と、相容れないわけです。著作物の場合(特に芸術性の高いものの場合)、「より多くの人と同じ感動を分かち合いたい」という感情を持つのが普通の人間であって、「いい作品だ。しかし俺たち少数の人間だけがこの感動を知っていて、世の中の連中は知らない。いい気味だ」と思う人は、あまりいないわけです。これが著作物の特殊なところです。ルイ・ヴィトンのバッグのように、通常の「物」は、同じものを他人が持ってないから価値がある。しまむらの服は安くてそこそこですが、街ですれ違った人が同じ服を着ていたら、いやーな気がするわけですw
 もちろん携帯電話のように、より多くの人が所持していればいるほど価値が高まる商品もあります。こういうのを「ネットワーク外部性」と言うんですが、著作物も似たような性質があります。たとえば「美少女戦士セーラームーン」は日本人が日本人のために作った典型のような作品ですが、アニメ版が外国で人気を得た結果、我々はセーラムーンのコスプレをする外国人や、世界のアニメファンの熱いラブコールを読んで、鼻たかだかになるわけです。このように、一般的に著作物というのは、広まれば広まるほど価値があり、だからこそ著作物は、同じ儲けであれば、単価が安くて大量に売れるほうを選ぶべきです。そのほうが、その作品を世の中に広めたい作者や読者にとっても幸福でしょう。しかし、著作権はある種の独占権であり、それを持つ人が、他の一切の人間を排除して、単独でその作品を売ることができます。要するに、競争が起こらないのです。だから少しでも安くしよう、多くの人に売ろう、という気持ちが起こりにくい。その作品を読むには、その著作権者から買う以外に方法はないので、たとえもっと安くした方が作品が売れるとしても、値段を下げる気が起こらないのです(!)。買いたければ俺から買え、この値段で嫌なら買うな、俺が儲かるかどうかなんて、お前には知ったことじゃないだろう、安くすればもっと売れるなんて余計なお世話、俺は今の金額で満足だ、より沢山の人に売らなければいけない義務はない・・・というわけです(!!)。
 今時こんな商売を出来る業界が残っているなんていうのが不思議なことですが、競争があればこれは変わってきます。たとえばナムコがアイマスを作って、セガとバンダイにアイマスを売る権利を与えます。するとセガとバンダイは、二人ともブランド戦略を取ることはできません。作品の内容は同じなので、安い方が必ず売れます。なので相手よりも値段を上にする理由はないので、どんどん値段は下がって、利益が最大になるところで止まります。両社が暗黙のカルテルを結んで値段を高止まりさせた場合には、新規参入があればいいでしょう。たとえば今度はスクエニが権利をもらって、アイマスを売り出すわけです。スクエニはセガとバンダイが値段を高止まりさせていることなんてどうでもいいので、二社より安い値段で売れば、三社の中で一番儲かるわけです。これで最も安く、一番多くの人に著作物が行き渡り、それで会社が一番儲かるところで値段が決まります(ナッシュ均衡に陥らなければ)。これが市場原理です。
 ただ、実際にこのような市場原理、競争原理を著作権法に持ち込むのは至難の業であり、問題が山積みです。たとえばアイマス販売に参入する企業が増えすぎると、今度は差別化が起こります。たとえばセガはパーフェクトサン、バンダイはミッシングムーン、スクエニはワンダリングスターの特別ドラマCDをそれぞれ特典として付けた限定版を売り出すかもしれません。すると三社の限定版はそれぞれ「世界で一つ」なので、値段は上げ放題。そうなると熱烈なファンは、三社にばらけた特典全てを購入することになります。これは三社だったらまだいいでしょうが、新規参入がどんどん増えて、十社くらいがアイマスを差別化しつつ売るようになると、熱烈なファンの人たちは、ナムコ一社に搾取されていたほうがマシだったと感じるかもしれません。

 このように、著作物とは「世界に一つ」のものであり、それゆえ食料などのような代替財がありません。コンビニのアンパンが一個1000円に値上がりしたら、その隣のサンドイッチを190円で買えばいいだけです。しかしアイマスが一本10万円に値上がりしたら、それがとても面白いことが分かっていても、著作権の保護期間が消える2057年になるまで、我々は10万円払う以外にないわけです。他のゲームが5000円や6000円でも、「アイマスが買えないなら、東方で我慢すれば?」というわけにはいかないのです。
 あるアンパンが1000円になったら、そのアンパンと似たような味のアンパンを100円で売れば、そっちのほうがバカ売れするので、1000円のアンパンは、やがて適正な値段に戻ります。しかしアイマスが10万円になったとしても、アイマスに似たようなゲームを作って1万円で売れば、そっちのほうがバカ売れ・・・というわけにはいきません。なぜかというと、アイマスに似せすぎると、著作権侵害で違法になるからです。あまりに似すぎていると、損害賠償どころか、差止請求もありえます。バンナムは「そのゲームはアイマスのパクリなので売るな。店頭に出回ったものは全て回収せよ」と、裁判所を通じて命令できるのです。当然、他の会社はこんなことは嫌なので、ゲームの内容がアイマスに似ないようにするしかありません。アレンジを加え、アイマスとは違うゲームにして、独創性を与えるのです。こうすることで、アイマスとは異なる全く新しい面白いゲームが出来て、そっちの方が売れれば一件落着・・・と思えるかもしれませんが、違います。それはもう、アイマスとは違う、全く別の面白いゲームなので、そういうゲームが出来てしまうと、かえってアイマスの価値は今まで通りなのです。全然違うゲームなんですから、「あのゲームは面白い。しかしアイマスとは違うゲームだ。やっぱりアイマスもやってみたい」ということになるだけなのです。だから「アイマスに似たゲームではなく、アイマスがしたいんだ!」と思ったら、10万円出すしかない。
 一応、これを回避する裏技があるにはあって、たとえアイマスとそっくりなゲームでも、アイマスに似せたのではなく、偶然似てしまったのなら、実は著作権侵害にはなりません。だからそういうゲームが出てくれればアイマスの独占を崩せるわけですが、春香やら千早やら、そういうキャラからモデリング、歌の歌詞からメロディーまで全く同じものが出来るわけもなく、これはアイマスの値段を下げさせるための解決策にはなりえません。
 こうして、著作権者は自分の著作物をコピーしたり、真似したりすることを禁じることによって、自分の「世界で一つ」という価値を保ち、価格競争を防いでいます。模倣の禁止自体は倫理的にも理解出来ることですが、これが著作物の販売の独占権と結びついた時、このような価格の高止まりを許してしまうということは知っておいてください。ちなみに、著作権法は、独占禁止法の適用除外を受けています。法律自ら、著作権の独占性を認めているわけですね。しかしその弊害についてあまり考察されないのは、奇妙なことだと思います。

 話が随分戻りますが、海賊行為の問題も、これで少しは視点が違うと思います。まず著作物の値段は、市場原理にさらされていません。もちろん、正確には競合商品はあります。ただしそれは「こんな値段でCD買うくらいなら、レストランで食事する」とかいった、どの商品でも起こる、他の業界との間接的な競合です。そのため市場原理で決まるその他の商品よりも、著作物はどうしても割高になります。そしてそれが「高すぎる」と思う人たちによって、海賊行為が起きます。大量にコピーしてもっと安い値段で路地裏で売れば儲かるとか、場合によってはネットの海賊のように、タダでばら撒くわけです。それは独占に対する義憤とか、単純に金持ちはムカつくとか、みんなが騒いでるから尻馬に乗って旨い汁をすすりたいとか、理由はさまざまです。中には欧州の海賊党のように、一本筋の通ったことを言い出す人々もいるかもしれない。しかし海賊業者たちはコンテンツを自分で作ってないので、原価がほとんど複製費しかなく、彼らの付ける値段は当然、安すぎるのです。ネットの海賊に至ってはタダで仕入れてタダで流しています。これでは著作権者は商売上がったりだし、さすがにこういう行為を「反体制」などといって持て囃すほど、日本人は攻撃的ではない。よし取り締まれ、ということになるのですが、問題は、肝心の著作権者の付ける値段が、市場原理に則った価格でないことです。皆が市場原理に則った値段で物を売り、買っているのに、著作権者だけは独占的な権利を法律によって与えられ、他の人間から買えないことをいいことに、市場原理を排除した値段で作品を売っておきながら、その独占権を侵害されると、財産権の侵害といって法的な措置を取る。
 これは法的には何の問題もないことなのですが、なぜこのような法律に怒る人がいるのかというと、それは著作権者だけが独占的な販売権を持つことに、正当性を感じないからです。JASRACなどは違法ダウンロード者のことを「泥棒」と表現して攻撃していますが、海賊たちが「自分たちは泥棒と違う」と言い張るとしたら、それは次のようなものです。皆が市場原理に則った結果、最大限に値段と品質を努力したものを売っているのに、著作権者という連中だけが、「ズル」をして特権を持ち、高値で作品を売りつけている。だから奴らの利益は不正なもので、そういう「ズル」をする連中のものはどんどん盗み出し、皆で分け合えばいい。むしろ奴らが不当な利益を貪るのを阻止するのが「正義」だ。なぜなら彼らの権利は正当ではないにも関わらず、法律で認められてしまっており、大衆は愚かなのでこれを疑わず、警察や検察、裁判官、そして政治家といった権力者の全てが、著作権者の味方だからだ・・・。
 たとえこれらの主張が正しかったとしても、法による救済を待たずに、著作権侵害によって著作権者たちの「不当利得」を相殺しようという行為は、いわゆる「自力救済」にあたり、法が当然に禁じているものです。たとえ相手が確定判決を受けた死刑囚であったとしても、遺族がその死刑囚を殺害することは、殺人罪になるわけです。法による救済を、勝手に一般人が執行してはいけないのです。
 この状況を変えるために民主主義国家で取るべき行動は、民主主義的な手続きを経て、法律を改正することでしょう。しかし、先述したように、違法を覚悟で動画を投稿し続けることにより、世の中が変わってしまうこともあります。ただ、それは望む方向にとは限りません。ニコ動には大量のうp主たちが違法を覚悟で動画を投稿しましたが、その結果、ネット上の著作権侵害が厳格に取り締まられ、日本のインターネット社会が世界から大きく立ち遅れるような異常事態になる可能性も、もちろんあったわけです。ヨーロッパの過激な海賊主義者たち、ファイル共有ソフトのユーザーたちが複製と配布をし続けることで、かえって著作権が強化され、インターネットが衰退していく可能性も考えられます。「違法を覚悟で行動」「法的リスクをとって行動」は様々な問題を抱えており、100%の悪とは言えないのですが、非民主主義的な行為である以上、100%の善であろうはずがありません。そしてこれも繰り返しですが、金銭的な損害とそれ以外を混同し、「この車は衝突時に爆発する可能性が高いが、その代わり安くて、燃費がいい。沢山売れるだろうからお金が集まるので、人が死んだら、そこからお金を払ってあげればいい。よし、リスクをとってこの自動車を発売してみよう」ということではいけないのです。が、このたとえと著作権の問題との間にどれほどの差異があるのかというと、決定的なものは、おそらくないでしょう。関東と関西は違いますが、その境界はありません。「やっていい法的リスクを伴なう行動」と「やってはいけない法的リスクを伴なう行動」に、明確な境界はないのです。そして著作権法のような複雑な法律では、「その行動をやっていいかどうか」は、裁判所の判決を受けるなど、事後的にしか分からないこともあるわけです。ある私法上違法の疑いがある行為をやっていいかどうか、それは民法のような私法が抱える永遠のジレンマです。


 死ぬほど長くなってしまいました。おそらくこのブログの新記録でしょうw 著作権というのは、このように語って行けば語って行くほど泥沼にはまる魔物です。この文章も、同一性保持権について書くつもりが、全然違ってきてしまいました。
 もう少ししたらまた知的財産法について勉強を再開するので、もっと整理された論点で、ニコマス好きの皆さんの興味に沿ったこと、動画の法律的な問題を考える上で役に立つことを書けたらなと思います。

 えー、なんかこればっかり書いてますが、読んでくださった方、どうもありがとうございますw ニコマスにあんまり関連付けられなくてすいませんでした。
 では、以上です。
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