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【アイマス×FM1】 『@ Minefield』 mission-18(A part)
 テンダスP
 

 ニコマス二十選の〆切りがあと一週間長かったら、PVを一つ外して、テンダスPのこのシリーズを二十選に入れたことでしょう。それくらい、二十選に入れようか最後まで迷った作品です。だからこの動画を見始めてすぐに「しまった!」と思って顔をしかめました。今期の二十選に入れなかったことを、激しく後悔したのです。完全に自分の判断ミスでした。
 テンダスPを二十選に入れなかった理由はいくつかあって、その一つは、やはり「二十選」という風に単品を選ぶ形になると、シリーズ全体で面白い架空戦記の単独の回を推すことが難しかったからです。ヨーゼフPのトロピコなども、一番面白いのが最新作の第8回後編である上に、この回の興奮は、それまでのタメがあっての興奮であるわけですから、この第8回後編から見始めてしまうと、この作品を好きになる人にとっては「ネタバレ」になってしまうわけです。しかしながらトロピコは第1回が下半期に始まっていたので第1回を「ここから見てね」という形で推せたのですが、@MFのmission-00は上半期なので、そうするわけにもいかなかった。そのうえケントゥリオPのアイマス・トータルウォーなどは第十七回その五という殊更に目立つ回があったのでそれを推したのですが、@MFにはそのような目立つ回も特に見当たらない。かといって一通り見直して「これだ」という回を選ぶには時間が足らないし、各回の細かい内容もあまり覚えていなかったので、結局推すに推せなかったのです。
 二つ目の理由は、まだ成長の余地がありそうだということでした。彼の作品には、19世紀末のヨーロッパのインテリ大学生が書いたような、独特の退廃した雰囲気があり、それがフロントミッションの世界観とベストマッチだったので、他の多くの素晴らしい架空戦記Pたちと同様、初投稿であるmisson-00から文も構成も上手かった。しかし、例えばmission-16前編冒頭の会話のように、彼の「若さ」が卑屈な方向に行くと、その青臭さが自分のようなすれっからしの人間には、読んでいて鼻につくこともありましたw これがあくまで物語を展開する上での「布石」だとしても、以前アイマス・トータルウォーについてのエントリでも書きましたが、完結するまでの時間や、我々読者の立場の不安定さを考えると、読んでいてどうしても辛い。一方で、この「若さ」がいい感じに結実すると、mission-17後編の2:03からのように、韻を踏んで歌うような芝居がかった台詞(特に3:22のオルソン)と、90年代のRPGのイベントシーンにおけるドット絵キャラの動きを思わせるような、やや大げさな立ち絵の動かし方とが、かつてのSFC全盛期、毎日のようにコントローラーにかじりついていた、遠い日の熱い記憶を現代に呼び覚ますのです。
 しかしPVが多めになって架空が絞り込まれてしまった結果、二十選候補にはもはや評価の固まりつつあるPたちの名前がずらりと並んでしまい、この「青い」部分のあるテンダスPの処遇に困ってしまいました。確かに将来性で言えば、彼を推す理由は十分すぎるほどあります。しかし他の作品が「もう既に面白い」ものであるのに対して、この作品は候補作の中で最も強く「作者の成長への期待」を感じさせるものでした。要するに、自分にとっては、まだまだ物足りない部分があったということです。自分としても、こういう「傲慢な視聴者」ではありたくないわけで、テンダスPには失礼な話なのですが、事実として感じてしまう以上、この作品を推すのは、自分にとって「青田買い」になってしまうわけです。それは「応援してます!」「これからも頑張ってください!」というメッセージにはなる。実はテンダスPはこのブログをたびたびご覧になってくださっているので、それが本人に届いて、やる気が増幅され、実際に作品が(自分にとって)いい方向に進んでくれる可能性はある。けれども、それでいいのか。
 何回も書いて申し訳ないんですが、自分にとって他の作品は「もう十分面白い」なのに対して、あえて文章上の対比を考えて誇張して書くと、自分にとっては「まだ十分面白くない」のが@MFなのです。それでも二十選に入れて「応援」するのか。それは将来テンダスPが、私が考えているような「成長」を遂げ、この架空戦記が素晴らしい終わり方をした時に、「やっぱり俺はテンダスPを信じてた」と言えるという強みがあります。しかし、しかし、その「信じてた」とはどういうことなのか。作者が自由に作ったものを上げ、読者が好きなものを自由に選んで見る。面白くなかったら立ち去って、面白かったら賞賛する。そういう暗黙のルールというか文化の中で成り立つニコ動で、読者からの「信頼」とは何なのか。それは「俺たちに少しでもいいものを見せるために、作者は努力してくれるはずだ。いや、そうすべきだ」という、一種の「権利」の主張なのではないか。「信頼」などという綺麗な言葉で飾ってみても、仮面の下には「要求」の二文字が刻まれているのではないか。そしてその「要求」の正当性を成り立たせているのは、読者が作品を視聴したり賞賛したりすることは、「作者の努力」を求める見返りとして十分であるという、衆愚的な傲慢にすぎないのではないのか。そんなことを考えてしまったわけです。
 もちろん、作品を適当に褒めておいて「もう十分に面白い」として扱うことも可能なんでしょうが、もう半年くらいこのブログをやってきて思ったことは、自分の正直な感想をねじ曲げてお世辞を書くくらいなら、何も書くなということです。このことについて語りだすといくら時間が合っても足りないのでやめますが、このまま無理に@MFを持ち上げて「列聖」するよりも、次の上半期で必ず面白くなるだろうから、その時まで待とう。それが二十選においての結論になりました。

 が、冒頭で書いたように、今回の最新作を見て、思ったわけです。やっぱり青田買い、しときゃよかった・・・w いや、いつか伸びるとは思ってました。しかし、それが上半期一発目の動画とはw 完全にやられましたね。ま、清々しい負け方ですよw 結局私のブログの二十選に選ばれるかどうかなんて関係なく、テンダスPは羽ばたいてくれたわけです。こんなに気持ちいいことはありません。
 けれども、実際にその成長を目の当たりにしてから思うことは、「ちゃんと『この人は伸びる』ってデカデカと書いておけばよかった・・・」ということですw やっぱりブログで「これは伸びるぞ!」って書いて、伸びたら最高じゃないですかw だいたい賢いってことは、未来が見えるってことでしょう。歴史も科学も何もかもが、そのために存在しているわけです。理系の学問が尊ばれるのは、数式やシミュレーションで、実際にやらなくても、結果がどうなるか予想できることです。つまり、未来が分かるんですね。当たり前すぎて気付きにくいことですけど。逆が文系で、過去の整理ばっかりやってるけど、未来のことは全然分からないw それは当然と言えば当然で、私が「テンダスPは伸びる!」と叫んだら、なんかテンダスPが逆に醒めちゃって、「もう動画作るのやめた」となる可能性もあるわけです。文系が扱う対象は物でなく人間なので、予言がその人の耳に入ることで、未来が変わってしまうんですね。だから予言してもちっとも当たらず、役に立たないと言われるわけです。
 しかし、この動画は素晴らしいですね。特に前半の律子とブンヤのやり取りがいい。まず台詞の流れが今までで抜群に滑らかです。この律子とブンヤの組み合わせは当たりですね。このブログでも書いたと思いますが、キャラ単品の面白さには限界が見えやすく、キャラ同士の関係の面白さには限界が見えにくい。律子とドゥーチェ春閣下とチヒャーリン天海提督と宇垣中将クイントゥスと千早美希と別所就治春香とアカガネP、そして伊織と浅井長政・・・私も中学校の頃は、「キャラの設定」を考えてはノートに書きとめるのがとても楽しかった記憶がありますが、実際には、作中で他のキャラクターとの掛け合い、関わり合いの中でこそ魅力的なキャラが生まれるわけで、真っ白な空間に一人たたずむ「魅力的なキャラ」などありえないということです。キャラ同士の複雑な関係の中でノードとなっているものが「キャラ」なのではなく、そのキャラと他のキャラとが結ばれたリンク、すなわち関係を含む、ノードとリンクの総体こそが「キャラ」というものなのでしょう。
 というわけで、どこか自分の頭脳に溺れがちな律子と、そういう危うさがない代わりにジャーナリストっぽくがっついてくるブンヤの関係もいいのですが、律子の「…このエビフライ、要ります?」や、ブンヤの「…タバコ、吸っても?」などの会話表現も心憎いですね。説明っぽくなりやすい場面だからこその挿入だと思いますが、いかにもハードボイルドな雰囲気作りに一役買っています。これは明らかにゲームの文法ではなくて、どちらかというと小説の技法なんですが、そういう活字っぽい効果を出したくてやってると思います。
 2:44、BGMがフェードアウトして、「俺がブンヤでなければね」の一言で雰囲気を一変させるのは、読んでて気持ちいいですねw 作者の「どや!」という顔が見えそうな気もしますが、私は大好きですよ、ちゃんと効果が出てればw そして効果が出てるからこそカッコイイんです。これは書いてる方としては危険な賭けなんで、失敗する事もあり、実際にこういう、読者に特定の感情を持たせたいということを文章自体が告白しているような台詞というのは、「現代小説」の作者は避けたがります。こういうのは露骨で「みっともない」ということなんでしょうね。ま、どっちがみっともないかは私には明らかなんですが、ここに書くのはやめておきましょうw
 3:20あたりからも台詞と音楽をシンクロさせますが、3:48では音楽が一気にトップギアに入り、「ここから盛り上げてくぞ!」と動画自身が高らかに宣言してますw ここまで大っぴらにやられると、むしろ爽快ですw もうどうにでもしてくれと言いたくなります。ここからのブンヤの台詞回しもいいんですが、4:23で酒場の喧騒を大胆に挿入します。先程のエビフライやタバコの台詞もそうなんですが、流れのある台詞の中に、あまり意味のない「異物」を挿入していくことによって、気持ちの高まりが一本調子になるのを防いでいます。そして極めつけが、5:19の「←ニンニク臭」。ここまで裸にふんどし一丁で、「作者が視聴者にどう思われるか」なんてものは放り出して、汗だくになりながら物語を煽って盛り上げていた作者が、急に恥ずかしい顔をして、頭を掻きながら照れ笑いをしてみせる。これだから、架空戦記はやめられないんですよw 要するに、コミュニケーションなんですね。芸術とかなんだとかいうものも重要なんでしょうが、ニコマス作品の良さはそこに集約されます。すごい技術も、シナリオも、あらゆるものは、互いに気持ちを通じ合うための、コミュニケーションの手段にすぎないんです。
 OP後のオルソンの白々しさも良かったんですが、アイドル同士の会話は、冒頭の律子とブンヤほどの関係の濃密さはないですね。まあ、これは仕方がないことです。先程挙げた架空戦記の「名物コンビ」でも、アイドルの相方は、大抵史実キャラかオリキャラです。例外は世界IDOL大戦の春閣下とチヒャーリンですが、この二人を「原作キャラ」と呼ぶことにはいささか問題がありそうですw アイドル同士の関係だとノベマスPたちが専門家なんですが、これは話すと長くなるのでまた今度w

 いやー、しかしすごかったw まーたとんでもない長さを書いてしまいましたw まあ、作品というより、作品から思いつくことを中心に書いてるんですけどね。それが今回はとてつもなく多かったw
 さあ、これからのテンダスPの躍進に期待しましょう!
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