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pixiv 非アイマス : 実体ラブプラス
 神山道郎氏

 pixivから。

 私は、ドラえもんと鉄腕アトムは対極にあるように思います。
 私から見て鉄腕アトムの物語というのは、悪い奴は強い力を持っているが、アトムはそれより強い力を持っているから大丈夫だ、という主旨に見えます。だからアトムより強い奴が出てきたらどうなるのかという問いには非常に弱いのですが、手塚治虫氏は、アニメ版の最終回でアトムを相討ちで死なせることを強硬に主張し、実際そうさせました。たとえ勝てなくても、命を犠牲にすれば相討ちくらいには持ち込めるはずだ、ということなのかもしれません。それはどちらかというと、現実がそうだというよりは、むしろそうあってほしいという悲痛な願望であり、戦争世代の心の叫びであるようにも思えます。
 一方でドラえもんというのは、悪い奴は、正義の味方が暴力を振るわなくても倒せます。ジャイアンやのび太はドラえもんの道具を手にいれることで、さまざまな悪さを企んだり、楽をしようとするのですが、大抵の場合、彼らはその邪心ゆえに自滅します。
 たとえば「おいかけテレビ」は、タッチした人をテレビに映してくれる、三脚の付いたビデオカメラ型の道具です。のび太はこれを使ってテレビ出演を果たしますが、やがてどこまで行っても追いかけてくるテレビから逃げ回るのび太の映像だけが、町中に放送されることになります。しかもどのチャンネルにしても、のび太の姿しか映らない。それを見ていたスネオは、「自分ならもっといい番組を流せるのに」と思い、隙を見てこのカメラにタッチ。仮装をしたり、歌を歌ったりして「番組」を提供します。また特上の寿司を注文しておいて、テレビで宣伝することで「タダにしろ」などと言います。しかしやがてそんな下らない番組は町の誰も見ていないことが判明。怒ったスネオはカメラを捨てようとしますが、カメラはどこまで行っても付いてきます。ついにはカメラに向かって「助けてくれ」と叫んだスネオの下にドラえもんとのび太が駆けつけますが、トイレ中のスネオまで中継しようとするカメラを見て、ドラえもんは「もうちょっと見てようか」と言って微笑むわけです。
 道具そのものが欠陥商品だというのはその通りなのですが、現代のマスコミと芸能人、視聴者の関係などを思い浮かべると、実に示唆的な話ではないでしょうか。しかもスネオは正義の味方に懲らしめられるのではなく、自分が利用しようとした道具の力で自滅するのです。これは「悪は悪であるがゆえに滅びる」という、一種の性善説です。鉄腕アトムの性悪説とは対照的です。
 戦後の漫画のほとんどが、鉄腕アトムの後を追いかけたように思います。ドラゴンボールとか、ジョジョの奇妙な冒険とか、とにかく最後には、正義の味方が悪い奴より強くなって勝つわけです。それが漫画の王道であり、主流でした。RPGの多くもそうでしょう。一方で、ドラえもん的な性善説は、主にギャグ漫画のほうに受け継がれて、長い間傍流でした。
 しかし、冷戦の終結後、ソ連という帝国が自壊したことで、ドラえもん的な性善説が見直されてきているように思います。昨今のシリアス系作品の没落は、私は「シリアス」の没落ではなくて、性悪説の没落だと思っています。とにかく悪い奴に負けないように、より強い力を身に付ける。それは「悪い奴」が誰だか分からなくなり、目の前で力を身に付けている人間が「悪い奴」ではないという証拠がどこにもない現代においては、当然のことだとも思います。

 この作品の、典型的な「のび太の自滅」を見ていて、ふとそんなことを考えてしまいました。
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