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アイドルマスター 09年シラカワPランキング
 シラカワP
 

 シラカワPと言えば、爽快Pとか、sabishiroPみたいに、PVに関しては「ストイック」のイメージが付きまとうわけですが、実は昔からこの「シラカワPランキング」なるものを自分で作り続けており、結構お茶目なところのある人です。まあ、爽快Pもよく歌うし、sabishiroPも今投稿者プロフィールを見てきたら、二十選に中野TRFネタを選んであって、激しく吹いてしまったわけですがw 自分も二十選にPacPの北斗ネタ作品を入れたので、ちょっと嬉しかったですねw
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 動画はまずのっけから、小鳥さんの扱い方が上手いw 話の流れも結構上手いw この人は架空戦記も出来そうですねw

 3位の「桜川」は、重すぎて、確か1回しか見てません。1回途中まで見て、「うわ、俺こういうの駄目だわ」と思って視聴を中止し、一度本格的にシラカワPの作品全体に興味を持ったときに勇気を持って見直したら、多少の抵抗を感じつつも、最後まで見てしまって、「やっぱりすごいな」と思いました。でもそれは純粋な物語的感動というよりは、こんなこと聞いたら本人は悲しむかもしれませんが、シラカワP本人の技に対するものだったように思います。特にそれまで、彼の動画にはしっかりとした構造(この言葉はいかめしくて本当は好きじゃないのですが)みたいなものがあったのが、この動画では完全に消えてて、見てて動揺しましたね。「型が消えちゃった・・・」っていうw ベートーベンの第五を作ってた人が、マーラーの第九を作っちゃった、みたいな・・・って言っても誰も分かりませんよねw でも、そんな感じでした。今までゴシック式の教会みたいな作風だったのが、流れる水のような作風になったように思えたからです。それくらい、想いとか、記憶とか、時間とか、そういうものが滔々と流れていく。もちろん、それが散漫にならないのはちゃんとした全体の構図が見えてるからだろうし、今見直せばそういうことも分かるのかもしれませんが、これはこの動画と同じく「隣に・・・」以来の「悲劇のあずさ」の流れをくむ「3A07」と同じで、何せ凄まじい気合が作品にこもってるので、見る方も骨が折れるんですw まあ、二十選の感想を書き終わったら見直したいと思います。

 2位の「星に願いを」に関しては、二十選に入れようか迷いましたが、割と初期で外しました。それはこの動画に感動しなかったからではなくて、自分が受けた感動に100%の肯定が出来なかったからです。なんでかというと、私はこの動画で1:27からのシラカワP作品の追想に一番感動してしまって、「俺が感動してるのは、雪歩とかアイマスとかニコマスとかじゃなくて、シラカワP本人の歴史と成長なんじゃないか・・・?」と思ってしまったからです。あまりにもシラカワP本人の「偉大さ」に心が向かってしまうがゆえに、理性のブレーキが掛かったんですね。もちろん、それはシラカワPが「俺ってこんな作品が作れるんだよ。凄いでしょ」と思ってるとか表現してるとかいう意味ではありません。
 太宰治なんかは、初期はマイナーな作家だったんですが、「斜陽」で一躍有名作家になってしまいました。そんな彼が有名になってからよく怒ってたのが、「作家じゃなくて作品を見ろ」ということです。当時もいわゆる「芸術家崇拝」があって、それは小説で特に顕著でした。ほとんどの人が、小説という作品なんかは放り出して、アイドルのゴシップを追いかけるように、書簡や、随筆ばかりを読んでいました。興味の対象が作品ではなくて、作家だったんですね。今でも「三島由紀夫は偉大な小説家」と思ってる人は沢山いますが、彼の作品の名を挙げて褒める人はあまりいません。そもそも、作品を読んでいる人がほとんどいません。ただ名前や「○○賞受賞」などという肩書きだけを有り難がって、小説や随筆の一節を「名言」として引用することが、一般人にとって「芸術家」の全てであるわけです。テレビでも、芸能人が芸を見せて視聴者を楽しませることが減って、芸能人そのものを楽しもうという番組が増えてます。それは視聴者が見たいものが――あるいはテレビが見せたいものが――芸ではなく、芸能人だからでしょう。
 しかし、それは一種のメタ的視点であって、行き過ぎたメタはやっぱり堕落だと思います。作家は作品を売ってるんであって、私生活を売ってるわけじゃない、という太宰の主張はもっともです。まあ、そういう太宰治本人が、最も私生活を作品にして切り売りしてる作家だったような気もしますがw でも、彼の場合、まだ作品そのものは面白いんです。それが彼の次の世代の作家になっていくと、「芸術作品は、必ずしも面白い必要はない」と言い出すんですね。これについては二十選の感想文(後半)で論じるので、ここでは簡単にしか触れませんが、これをやるとどうなるかというと、「芸術であれば、作品はつまらなくてもいい」ということになるので、作家は皆、「面白い作品」ではなく、「皆から芸術として認めてもらえる作品」を作るようになります。だって、どんなにつまらなくても、「芸術」だったら許されるし、褒められるんですから。こうして、選挙が上手い政治家ばかりが議員になるように、「芸術っぽい作品を作れる人」ばかりが小説家になっていくわけです。そしてそんな人たちが芥川賞なんかを受賞して脚光を浴びても、一般人には作品が全く面白くないので、その結果として作家だけが注目されることになります。あるいは、彼ら「芸術家」志望の人々は、それを無意識に狙っているのかもしれません。
 ですから私は常々、あくまで作品を楽しもう、個人崇拝はやめようと気を付けて来ました。私は庭上げPや糸冬Pのことは尊敬していますが、やっぱり作品そのものや、作品の中ににじみ出る彼ら独特の味が好きなのであって、彼ら本人は二の次です。架空戦記Pたちのブログをチェックするのも、あくまで、作品を楽しむためのスパイスにすぎません。
 でも私にとってシラカワP作品は、どうしてもP本人に興味や敬意が行ってしまうものなのです。それがなぜなのかはよく分かりませんが、一つだけ言えることは、私自身が、その感動の方向性に納得できないということです。こんな理由で二十選から外すのは、「俺たち男が煩悩に悩むのは、お前たち女が誘惑してるからだ」という思想と根っこが一緒なんじゃないかという気もするのですが、私には、彼の作品で感動した後に必ず来る、なんとも言えない罪悪感を伴なう後味の悪さを、「シラカワP作品が駄目だからだ」と言って責任をなすりつけないことで精一杯です。いや、作品がすごいことは分かるんです。だから感動もするし、時には涙腺が破壊される。でも自分の場合、その感動に必ず「ここから先へ行っては駄目だ」という留保が付く。そんな複雑な思いがあるので、二十選から外しました。
 多分、シラカワP作品は「一次創作と同質な感動を志向してる」とか「作者が偉大でありたいと思ってる」とかいう皮相な批判では到底及ばないような、ある種の(私にとっての)危険性を孕んでいる気がします。いつか、是非それに迫りたいですね。と言っても、私が自分で「あーなるほど」と納得して終わりなんですがw ま、「考察」とか「分析」なんてそんなもんですw

 1位の「空想メロウ」は、しかし、そういうことをあまり感じないんですね。感動の質量そのものは、むしろ「桜川」なんかより全然軽いんですが、ほとんど作者を感じずに見ることが出来るので、私の視聴回数も一番多いです。これもがっつり語りたいところですが、眠いのと、また今回も量を書きすぎてしまったのでこの辺でw

 あとシラカワPの声、イケメンボイスすぎてワロタwww いや、彼はこんな作風ですから、アキバ系のオタクが「愛」を注ぎこんで作ってると言われても信じたと思いますw ちょっとイメージ変わりましたねw

 では。
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