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非アイマス 政治 : 法と道徳の峻別
 非アイマスです。
 最近、政治家やその支持者が「法令に違反してない」という言葉を繰り返すので、一言。
 ***

 「法と道徳の峻別」という言葉があります。「法律と道徳は別物だから、一緒にするな」という考え方です。法と道徳を混同したものとしては、禁酒法なんかが典型ですね。禁酒法のように「酒を飲むのは悪いことだ」という道徳に対して、法による強制力を与えてしまうと、ロクなことにならないわけです。「酒を飲みすぎてはならない」というのは、法ではなく、道徳によって戒めるべきだということですね。その方が世の中も上手く行くわけです。
 しかし、「人を殺してはならない」「物を盗んではならない」というのも、これも一種の道徳でしょう。そうすると、結局法というのは全て道徳を強制するものであって、全ては程度の問題になりそうです。これをゲオルグ・イェリネックという法学者は「法は倫理の最小限」と言いました。道徳や倫理にも色々あるけれども、「ここまでは流石に法的な保護や禁止がないと駄目だろう」という部分だけ、法律で定めていると見る説です。なのでいくら道徳と言っても、「挨拶はきちんとしましょう」みたいなものまで法律で強制してはいかん、法律で強制するのは最小限にしましょうということになっています。

 なので、自分は「法令違反はしてない」という言葉があまり好きではありません。「法律違反じゃない、だからいいじゃないか」という意味で使う人が多いからです。これは法と倫理を混同してます。法は倫理の最小限にすぎないのに、ただ法にだけ違反してないからと言って、「お前らが文句を言うのはおかしい」というのは、これは開き直りです。「酒をいくら飲んだっていいじゃないか。法律で禁止されてるわけでもないだろう」というのは、確かにその通りなんですが、しかしいくら法律違反でないからと言って、それを不快に思う人もいるし、その不快感を表明するのもまた「表現の自由」でしょう。それを「法律違反はしてないのに、文句を言われる筋合いはない!」と言って怒るのもまた表現の自由ですが、しかしそれは、別に法的な議論でも何でもありません。要するに、「酒を飲みすぎるのは悪いことだ」という考え方も、「法令に違反してない人間は批判してはいけない」という考え方も、どちらも同じ倫理に属することがらであって、これは「価値観の違い」でしかないのです。それをいかにも「お前の批判は反法律的だ」といって威圧するのは、私にはあまりフェアに見えません。
 合法的な行為なのに批判する人たちが怪しからんから、合法的な行為を批判することを法律で禁止すればいいんじゃね? という人もいるかもしれませんが、その「合法かどうか」を定めているのは人間が作った法律なんですから、その法律自体が間違っている時は、法律を批判しなければいけません。「あの男のやっていることは法律によって合法とされているが、許されない暴挙だ。違法にすべきだ!」と。しかし、そういった主張をすること自体が違法行為にされてしまったらどうでしょう。ひとたび悪法が制定されれば、それを批判することが許されないので、そもそも誰もその法律に対する不満を口に出来ず、反対運動も出来ず、よって永遠に悪法を民主主義的な手続きを経て改正することができないのです。だから、言論や表現の自由は厳格に保証されるべきなんですね。
 ゆえに、たとえば弁護士が裁判の引き伸ばしをするのは、確かに正当な権利かもしれませんが、それを批判することもまた、正当な権利でしょう。「法律によって認められた合法的な行為」を、「こんなものが法律によって免責されるなんておかしいじゃないか」と言って批判するのも、一つの言論です。それを「法律に歯向かうのか」と言って糾弾することこそ、「ナチスのニュルンベルク法だろうが、治安維持法だろうが、法は法だから従え」といった考え方につながっていくのです。相手が「こんなものが法律によって許されるのはおかしいじゃないか」と言うなら、「なぜこれが法律によって許されるのか」を説明するのが対話的な議論というものです。「法律だから」「罪刑法定主義だから」などという説明は、むしろ法に対する不信感を増大させ、反対者の主張を先鋭化させます。場合によっては「こんな腐った悪人どもをのさばらせる口実になるだけなら、罪刑法定主義なんていらないんじゃないのか」という考え方にもつながるでしょう。そのような主張を法律家は嘲笑うでしょうが、もしそのような主張が台頭するとしたら、それは大衆の無知ではなく、法律家の怠慢が原因です。「聖書にそう書いてある(条文にそう書いてある)」とか、「教会で正統とされている(法律家の間では通説だ)」とかいった説明を繰り返しているようでは、やがて「宗教改革」が起きるでしょう。なぜ法律で正当な権利として認められているのか、なぜこれが許されるのか、それを議論しないといけません。

 法律はあくまで倫理の最小限です。これを逆に「倫理の最高規範」だと考えている人が多いようです。法律は聖典ではありません。法律でどうかということも重要ですが、そもそも倫理的にどうなのかということもやっぱり重要です。倫理を蹂躙するために、法を盾にしてはいけないのです。「法栄えて倫理滅ぶ」にならないよう、ゆめゆめ気を付けなければいけません。
 「法令違反ではない」「法的に認められた正当な権利だから」「罪刑法定主義だから」などと言うとき、その理由を上手く説明できないなら、昔の神学者が「聖書に書いてあるから」「三位一体が通説だから」「ニケーア公会議で決まったから」というのと何にも変わりません。昨今の法律絡みのニュースを見る時は、是非、法と道徳の二つを混同せずに、自分の良心や、常識に照らして、素直に考えてみて下さい。法律論をぶつのはそれからです。
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