iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

能とノベマス ?「型」の完成?
トラックバックのテストを兼ねて、一視聴者の視点からですが、腰痛Pの記事について語ります。

ただし、とてつもなく長い上に自分用の備忘録のようなものですから、誰も読む必要はありません(キッパリ)。
皆さん、こんな駄文なんか読んでないで、自分の時間を大切にしましょうw
 私は昔、能(仮面を付けて舞うアレ)を習っていたのですが、そこでよく、「能はすでに完成してしまった芸術なのだから、何も新しいことをする必要はない。決められた型を守り、その中で演じることを極めるべきだ」といったような言葉を聞きました。人間国宝の三川泉さんだったかも、同じことをどこかで書いていたように思います。

 まあ、能は六百年以上の伝統のある芸能ですから、そう言えるんだろうと思うかもしれません。しかし、現在行われている能というのは、室町時代に世阿弥が大成したものとは、随分違っているといいます。

 たとえば、現在の能は一曲が一時間?一時間三十分、長いものでは三時間近くかかりますが、室町初期の能は、一曲が四十五分前後だろうと言われています。
 それから現在「能」というと、とにかく遅くて眠いという印象がありますが、「申楽(さるがく)」という能の別名が示すとおり、初期の頃は随分飛んだり跳ねたりが激しいものだったようです。

 要するに昔の能のほうが、大衆にとっては分かりやすいものでした。だから庶民の間で話題になり、人気が出て、ついには将軍・足利義満の目にとまるまで行ったわけですね。
 しかし当時の能楽師の身分はとても低く、農民以下の「河原乞食」などと呼ばれていました。そこで世阿弥は、能を大衆受けを狙ったキャッチーなものから、作中に伊勢物語や源氏物語を取り入れた、公家好みの芸術性の高いものに変えて行きました。
 これが、能の一つ目の変革です。

 この世阿弥の改革は上手くいき、豊臣秀吉の能狂いなどもあって、やがて能は「武家のたしなみ」として、江戸時代には「武家式楽」にまで上り詰めます。要するに、能楽師は「国家公務員」になったのです。「河原乞食」から、すさまじい出世だといえます。
 しかし江戸時代は、芸術としての能にとっては、暗黒時代になってしまいました。理由は二つほどあります。

 一つは、国家推奨の芸術となってしまったおかげで、「男らしくない」「武士の精神に反する」などの政治的理由から、過去の名曲に対する大幅な改変が相次いだのです。改変される前の曲は、ほとんどが現存していませんので、この罪は大きいと思います(もちろん、当時は現在と比べて書物が貴重であり、また、能の習得は口伝が基本であったということもあります)。
 そしてこれによって、ドロドロしたリアルな男女関係の描写などが削除され、能は禁欲的な方向へと向かいます。要するに、昼ドラ的な要素が削られ、誤解を恐れずにぶっちゃけて言えば、この頃から、能は我々大衆にとって、面白くなくなったのです。
 一方で、そのような大衆的要素は、芸術的価値が低いとみなされ、軽んじられていた狂言のほうに残されました。現在でも定期的に狂言ブームが起こるのは、狂言が能と比べて、「能が熱かった時代=室町時代」の原型を、比較的とどめているからだと思います。

 二つ目は、能楽師が「国家公務員」になってしまったことです。要するに、能の演技も、お役所仕事になってしまったのです。
 東京都下水道局が、職員のために作らせた二万枚のワッペンが「内規違反である」との理由で、3400万円をかけて全て作り直させたというニュースがありましたが、あれと同じです。ほとんどの公務員にとっては、法律や前例が全て。能もまた、自由に声と体で想いを表現するものから、「決められた型通り、間違えずに最後まで演ずる」だけの芸能になってしまいました。
 「伝統芸能って型を守るだけなんでしょ?」と思うかもしれませんが、違います。これは私のような能やクラシック音楽を愛好する人間が誤解されやすいことの一つですが、ここで大書しておきます。つまらない作品や演技は、能やクラシックのファンでも眠いのです。
 そして、能は遅く、重くなっていきます。その理由には諸説ありますが、一説によると、「才能がなくても演じられるように」だといいます。能楽の家に生まれたからといって、誰でもアクロバティックな舞踊ができるような身体能力を持っているとは限りません。ですから動作は遅くなり、すばやい動きは削られていったのです。どんなに才能がなくても、努力すれば演じられるように。
 そして能は、ますます退屈になっていくのです。
 実際、江戸時代は約270年続きますが、この間、名人や達人と呼ばれる能楽師が出たという記録は、一つもありません。武家のたしなみということで能を鑑賞せざるをえない大名や武士たちも、能が演じられている間、眠気をこらえるのが大変だったそうです。今も昔も、何にも変わってませんねw

 こういった問題から、江戸時代の270年間、能はその進化を実質的に停止・・・というより、退化してしまいました。
 だって、能楽師は公務員なんですから、客が眠かろうが、退屈だろうが、少しも困りません。ただ決められた通り、舞って、謡えば、それで生活していけるのです。能が進化するわけがありません。
 しかし、そうやって特権の上にあぐらをかいていた能楽師たちは、やがて大変な危機に直面します。大政奉還が起こったのです。

 江戸幕府が倒れ、明治になったことで、能楽師たちはもはや国家公務員ではなくなりました。彼らは、路頭に迷うことになります。なぜなら彼らは、歌って踊ることしか出来ないうえに、その「能」とかいう芸能が、ちっとも面白くないんですから! これは大変な危機です。
 そこで彼ら能楽師のうち若い者は、パトロンとなってくれる人を見つけるために、それこそ血のにじむような特訓を重ねました。食っていこうにも、頼るべきものが能しかないのですから、文字通り必死です。そして死ぬ気で訓練を重ねた結果、明治時代には、「名人」「達人」と呼ばれるようなシテ(能の主役を演じる役者)が続出することになります。
 明治から昭和初期にかけての名人たちの演技は、今でも音声や動画で確認することが出来ますが、現在の能楽師ではおよびもつかないほどレベルの高い境地にいます。
 その後、ゆるやかに能は衰退して、現在に至るのです。

 ***

 このように見渡してみると、冒頭の言葉、「能はすでに完成した芸術」というのは、なんとも怪しい言葉です。能の歴史は600年、というといかにも600年間、能は研ぎ澄まされ続けてきたように聞こえますが、実際は能の暗黒時代、江戸時代に改変された曲をそのまま使っている時点で、「完成した芸術」というのには無理があるでしょう。
 このような考え方から、現代の能には常に、「昔と同じことばっかりやってちゃダメだ。新しいことをやろう!」という動きがあります。腰痛Pの記事でいうところの、dbdbPの考え方ですね。「今までのやり方にのっかってるのは怠慢だ!」というわけです。
 しかし奇妙なことに、能はクラシック音楽とのコラボだとか、エヴァンゲリオンを能にしてみるとか、散々「新しいこと」をやってはいるのですが、どれ一つとして定着しないのです。
 それは要するに、江戸時代に改変された曲や型が、今のところ一番優れているということなのではないでしょうか?

 現在のノベマスの主流は、おそらくストレート一門の「立ち絵+会話ウィンドウ」でしょう。陽一Pのようなノベルゲータイプはむしろ周辺的です。
 では「立ち絵+会話ウィンドウ」が完成形なのか? 最終形なのか? それ以上の形はないのでしょうか?
 dbdbPから、「もっとみんな努力せんかい!」という喝が飛んできそうですねw

 では、ここから私の意見を披露します。

 江戸時代の能を思い出してみましょう。江戸時代に、能は遅くなりました。なぜか? 誰にでも習得できるようにです。
 室町時代のアクロバティックな能では、才能のある一部の人間にしか演じられない。だから、能は遅いのです。
 ・・・では、このことを逆から見たらどうでしょう?

 別のたとえを出します。
 
 太平洋戦争の初期、ゼロ戦の性能は圧倒的であり、「ゼロファイター」の名で敵パイロットから恐れられました。
 しかし開戦から一年も経つとその優位は徐々に揺らぎ、やがてF6Fヘルキャットなどの敵戦闘機に圧倒されるようになります。
 その原因としては、ゼロ戦が職人達の「名人芸」によって作られた工芸品のような構造をしていたため、大量生産に向かず、また、拡張性に乏しかったことなどが指摘されています。
 一方でF6Fヘルキャットは、2000馬力の強力なエンジンに分厚い装甲を載せていた上、機体の構造はシンプルで、大量生産が容易でした。

 私には、「立ち絵+ウィンドウ」のスタイルが、F6Fヘルキャットに見えます。
 誰にでも簡単に扱えて、動画的な才能がなくても、それなりに「見える」作品を作ることが可能。そして文章にこだわれば、いくらでも面白くすることができる。だから、次々作品が出てくる。
 対するゼロ戦は、JA.PやフリージアP、あるいはしかばねP&哀川翔Pの「765?封鎖された渋谷で?」などでしょうか。
 素晴らしい技術とスタイルを持っているのだけれども、誰にでも出来るわけではない。場合によっては、その人にしかできない。そのため、作品はたまにしか出ないし、誰もその作風を引き継げない。引き継ぐ意味もない。

 能も、室町時代の能はとても面白かったそうです。文献によれば、「膝を叩き、腹を抱えて笑ってしまう」ほど面白かったそうで、今の能とは全然違うものだったであろうことは明らかです。
 けれども、アクロバティックで、役者の才能に依存するような芸能だったら、「能楽師の家に生まれた者が、能を継がなければならない」という中世から近代にかけての「家制度」という制約の中で、能は600年も持たなかったと思います。
 一見退化に見える江戸期の停滞こそ、能が生き延びる上で必要だった変化なのではないでしょうか。能は江戸期を経て、ゼロ戦からF6Fに生まれ変わったのです。
 そしてつまらなくなった。つまらなくなったけれども、能は生き延び、それが明治期の黄金時代へと続いていくのです。

 思うに、ノベマスのスタイルの問題は、優劣の問題ではありません。技術という数直線の上に、作品やスタイルを並べてしまってはいけないと思うのです。
 ゼロ戦から見れば、強力なエンジンに分厚い装甲で迫るグラマンF6Fは、「卑怯」に見えたかもしれません。しかし勝ったのはF6Fです。
 ノベマスが衰退すれば、動画技術に粋を凝らしたようなノベマスは、滅びるでしょう。しかし、誰にでも作れる「ウィンドウ+立ち絵」のスタイルは、ゲームに、動画に、そして次の時代のメディアの中へでも、残っていくと思います。
 そしてやがて来る冬の時代をも乗り越え、いつの日か、またひと花咲かせてくれるのではないでしょうか。明治期に、能がまた、昔日の栄光を取り戻したのと同じように。

 能も「ウィンドウ+立ち絵」も、一つの完成した形だといえます。しかし、それはスタイルの優劣の問題で「完成」しているのではありません。「最高」でも「最強」でもありません。ただ、才能のない一般大衆の作品を世の中に送り出すためのシステムとして、完成しているという意味なのです。

 いつか、私も紙芝居でデビューするつもりです。
 才能がないのは、分かってますからね。



 以上で、筆を置こうと思います。

 もしこの文章を読んでくれた人が、この地球上に、私以外に一人でもいたのなら。
 最上級の敬意と感謝を。

■7/4追記 本文をちょっと修正しました。
■7/4追記 まるで「立ち絵+ウィンドウ」は「才能のない人間が使うスタイル」といった誤解を招くような話の流れになっていますが、実際は、才能のない人間からある人間まで、誰もが気軽に使え、かつ奥の深いスタイルだと思います。この点は今から文を修正してもうまく入りきらないので、またいつか、別論で上手く語れるようにします。
スポンサーサイト

コメントの投稿

 管理者にだけ表示を許可する

はじめまして。
某ブログでコチラが紹介されてましたので参りました。

目から鱗の意見でございました。
能というものへの見方が変わったのと同時に、
ノベマス自体への見方も変わりました。

素晴らしいエントリだと思います。
tenten | URL | 2009/07/03/Fri 22:47 [編集]
 tentenさん、大変ありがとうございます。このブログは自分の備忘録みたいなもので、あまり読む人のことを真剣に考えていないところがあるのですが、みなさんの考えを深めるのに役に立ったのなら、本当に作者冥利に尽きますw

 あと、大変長いエントリですが、これでも後半の部分はかなり急いで書いたので、多少結論を急ぎすぎてしまいました。それでも評価していただけたということは、自分の言いたいこと自体は伝わってくれたようですね。でも逆に言えば、こんな長い文を真面目に読解していただけたということで、恐縮の極みでもあります。

 あと、コメントいただいて初めて、4拍手ももらっていることに気付きましたw 
 書き終わるだけで満足して放置してたのに・・・。これも感謝感謝です。

 ***

 あと、ちょっと今アクセス解析の調子が悪いので、よかったら、この記事を紹介してくださったブログを教えていただけないでしょうか?
 もう一度、ここを見ることがあったら、是非お願いします。

 では。励みになるコメント、ありがとうございました!
gase2 | URL | 2009/07/04/Sat 13:01 [編集]
どもども

自分は賢い文章は書けませんで
長文を破綻無く書ける人を尊敬しておりますです

紹介されてたのはこちらのブログさんでございます
http://d.hatena.ne.jp/hunirakunira2/20090705/1246224722
tenten | URL | 2009/07/05/Sun 01:14 [編集]
tentenさんありがとうございます! っていうか、この記事の内容が紹介されてたわけではないんですねw それでよくもまあこの無名ブロガーの長文を読み、しかも作者の意図まで見抜いてくれるとは・・・。あらためて感謝感謝です。

では!
gase2 | URL | 2009/07/05/Sun 01:58 [編集]
通りすがりの名無しPです。

これは思いがけず素晴らしい記事に出会えたと思いました。
今まで「ノベマス=立ち絵+ウィンドウ」が当たり前だと思っていたので、自分の視野は狭かったんだなーと見直させられました。

まだ話の中身を整理しきれていませんが、とても参考になったし、わかりやすかったです。
それでは。
無名P | URL | 2009/07/07/Tue 21:21 [編集]
 名無しPさん、ありがとうございます。

 この記事はほんの備忘録のつもりで、自分の頭を整理するためだけに書いたので、反響があって嬉しいやら恥ずかしいやらです。
 今自分で冷静に読むと、結構突っ込みどころや論理の破綻、そして何よりも説明不足が見受けられるので、一から書き直したいくらいなのですが、色々忙しいのと、この超長文が少しでも役に立つなら置いておこう、と思ってそのままにしています。
 結論としては、「ウィンドウ+立ち絵」って、初心者にも扱いやすくて、特に演出とかを入れなくてもかなりのレベルまで極めることのできるいいスタイルだよね、っていう当たり前のことなのですが、自分が詳しい能の観点から見ることで、ちょっと新鮮に受け取ってもらえたのかなと思っています。
 でも、自分でもそういう風に受け取ってもらえるということが、皆さんのコメやリンクではじめて分かったので、とても感謝しています。

 では。よいニコマスライフを!
gase2 | URL | 2009/07/07/Tue 21:47 [編集]
トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 白雅雪blog. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。