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【ドット絵舞台劇】アイドルマスター×三谷幸喜『ラヂオの時間』 第5幕
 爽快P にぎりがくさいP
 

 三回見てしまいました。と言っても、一回目はシナリオをどう評価していいか迷いました。何度も「カット!」を繰り返すのが、少し止まりすぎかなと思ったんですね。いや、このもどかしさがあるからこそ、後半の「野良猫狩り」にカットが入らないところで「え、カットしないの!?」って思えるんですw それは分かるんですが、一回目はどうしても最初のイライラが気になりました。だからこそ見直したんですが、二回目以降はすんなり楽しめましたね。
 これは能に似てますね。能も後半、最後の5分ぐらいは、ものすごく派手になる曲が多いんです。だから習い始めの頃は、「最初から最後までこんな感じでやればいいのに」と思ってました。でも何回も歌って覚えてから能の曲を見たり聴いたりすると、最初のほうの「タメ」があるから、後半が輝くわけです。
 ある曲(山姥)を聴いてた時、カセットテープで延々お経みたいなことやってるんで、ほとんど寝ながら聴いてたんです。ところがこの曲、最後の3分だけ加速するんですね。それがもう、スラッシュメタルか何かかと思うくらいメチャクチャ飛ばしまくってて、「これが本当の能なんだ! 能は遅くて眠いだけじゃない! こんなにカッコイイのもあるんだ!」と、とても興奮したのを覚えています。が、その最後の部分(キリと言います)だけをダイジェストで舞う出し物で、地頭(じがしら。コーラスのリーダー。全員がその人に合わせて歌う)をやった時、カセットテープで聴いた感覚でやったら、舞の人が全然間に合わなくて、苦労してるんですね。「でもそんなこと言ったって、昭和の大名人がそう歌ってたんだから」と思ってそれをやり続けたら、本番で舞の人がスピードに付いていけずにグダグダになってしまい、先生に加速しすぎだと怒られました。それでも「室町時代の能は速かったんだ。今の能は遅いから人気が出ないんだ。昭和の名人だって速く歌ってるじゃないか」などと不服に思いながら、家に帰った後テープを聞き直してみると、やっぱり自分のイメージ通り、昔の名人は速く歌ってるわけです。だから「やっぱり俺が正しいじゃないか」と思ったんですが、ふと思いついて自分の歌を録音し、時間を測ってテープと比べてみました。すると驚いたことに、名人の謡は、ものすごく速く聞こえるんですが、実は時間的なスピード自体は大してないんです。私の謡は、時間的な速度は、ずーっと早いんですが、どうにも崩壊してるというか、焦って歌ってるようにしか聞こえない。それで気が付いたわけですが、名人の謡は、遅い前半との落差や、あるいは声のピッチを上げるなどの方法で、速く「聞こえる」ように歌ってるだけで、実際に速く歌ってるわけじゃないんですね。そして遅い前半というのは、ある意味で、その後半を「聞かせる」ためにわざと遅く歌ってるわけです。だから、最後の最後、頭がぶっ飛びそうになるほどのスピード感と加速感、そして快感がある。最後の加速するところだけ切り取って、1時間それを続けても、同じ感動は得られないわけです。
 爽快Pのラヂオの作風を見てると、そういう手法とすごいダブりますね。こういう風に、後半でこうなるから前半でこうして・・・というのは、普通架空戦記では、ここまで明確にやらないことが多いと思います。PVのように、一つの動画を一つの作品とみなす考え方で作ってるのかもしれません。他にも彼の特徴的な点として立ち絵の使い方があって、今回は特に見当たりませんでしたが、今までいくつか、絵の置き方が上手いというか、絵が止まってることが美しい演出がいくつかありました。「第三幕」1:22からの春香や、「第四幕」3:20からの雪歩がそれですね。これも同じような技を使う人はいますが、ここまで効果的にやる人は寡聞にして知りません。だから、彼の作風には能っぽいところがあるんですねw PVから来たPなのに、紙芝居型の架空戦記以上に、「静」の快感がある作品を作ります。しかし、その「静」の快感というのは、この作品ではどんどんキャラが動いてるからこそのものです。
 先日、拍手コメで「美希の天下創世」が静的な架空戦記の極北なら、動的な架空戦記にはどんなものがありますか、と聞いてくださった方がいて、思いっきり考え込んだことがありますw それはいつか単品のエントリでまとめたいことなのですが、簡単に説明しておくと、たとえば宇垣Pの「天海提督の決断」は全編紙芝居の架空戦記で、動画が全くと言っていいほどありませんが、「静」の感動のある作品だとは思いません。あくまで最終回に向けて加速していくシナリオの展開が素晴らしい作品なのであって、画面が止まってることが感動と直接結びついてるかというと、そうは言えないでしょう。間接的なものだと思います。
 一方で、ちょっと前にも書きましたが、「静」に感動する時、私の場合、たいていそれは動いてるものが止まってることに対する感動です。絵画なんかも、本来動いてるはずのものが止まってるわけです。世界は動いてるわけですが、絵画の中では止まってる。でも、その絵画は、「生き生き」してたり、「今にも動き出しそう」だったりするわけです。要するに、止まってるはずなのに動いてる。その動と静という二つの矛盾が両立しているところに、私は感動することが多いです。
 ラヂオではキャラがグリグリ動くんですが、その一方で、立ち尽くしてる時のドット絵キャラの存在感なんかがいいですね。本当は、ドラマの役者であれば、身体が揺れたり、なにか仕草をしたりするわけです。しかし、RPGのイベントシーンやこの「ラヂオの時間」では、まるで能のように、自分が「モブ」の時、キャラは悄然と静止している。静止しているのに、視聴者には、まるでキャラの心の動きや、体の揺れといった「命」のようなものが感じられる。そこに絵画的な面白さ、すなわち「動いてるものが止まってて、止まってるはずなのに動いてる」という面白さがあるわけです。それがこの動画やRPGのイベントシーンにおける、「静」の面白さです。
 また、だからこそ、「モブ」として静止しているはずのキャラが、たとえば頭を掻いたりするような、何か「仕草」をすると、視聴者の視線は直ちにそこに集中するわけです。「あ、動いた!」っていうw TVドラマでは当たり前のように人間が動き続けているので、ちょっとやそっと人間が動いても視聴者は感動しないわけですが、RPGのイベントシーンなんかで培われた独特のキャラ操作術は、そのように普段キャラを止めておき(というか技術上の制約から止めておくしかなかった)、視聴者に「キャラは止まってるもんだ」という「静」のイメージを与えておいて、いざという時に動かし、その落差で「動」の感動を増幅する。これが「動」の面白さです。
 さらにすごいことに、このラヂオでは、往年の名作RPGのように、この静と動の感動を両立させます。つまり、止まってる時には「静」の感動があり、そこでキャラは止まってるもんだと思わせておいて、動いた時には「動」の感動がある。しかしキャラが動いてるもんだと思ってたら、また止まってしまう。でも、絵は止まってても、視聴者の心は動いており、ここに「静」の感動がある。と思ったらまた動き出し・・・と、こういうふうに、静と動の相互補完関係を利用して、静と動、両方の面白さを増幅させるわけです。
 これは少なくとも私の知る限りでは、能の時代から受け継がれてきた、日本人が非常に得意な感性の働かせ方です。しかし、絵画のたとえで書いたように、これは西洋の芸術でも当たり前のようにやってることで、日本の文化に独特なところがあるとしたら、やはり「静」のほうに重きを置いてるところでしょう。そして、ラヂオはまさしく、そのような作品の一つだと思います。
 ドットのほうは、やっぱり「右上」でしょうw 昨日も書きましたが、にぎりがくさいPの真骨頂は、やはり背景です。ドットの本なんかで見るドット絵師の人は、確かに上手いんですが、もうちょっと色合いが淡い人が多い気がします。にぎPはこのパリッとした鮮やかな色の対比が本当に上手い。コメでも反響があって嬉しい限りですw

 もっと書きたいのですが、色々立て込んでましてw あと1時間くらいかけてこの文章も整形したいところですが、このままUPします。読んでくださった方、本当にすいません。
 では、以上です。
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たぶん過大評価してますw
自分ってそんなに考えてたんだあと,勘違いしてしまうではないですか!
でも深く見てくれることは嬉しいです.

割と元の脚本に忠実に作っているので,三谷脚本のなせる技なのですよ.
野良猫狩りにつながる展開は,三谷さんが考えたものでして……
少し恐縮です.

「静」と「動」の使い分けも結果オーライ的な部分があります.
台詞のない場面で,後ろのキャラクタももっと動かしたいんですが,
あまり動かすと台詞に集中できなくなっちゃうんですよね.
あえて動かさずに棒立ちさせてたりはします.

後は意図してない無意識の部分が出てるかも.
それが「日本人が非常に得意な感性の働かせ方」に拠ってるのかもですね.
能と比較する視点は非常に面白いです.

ようやく第5幕でして,全体を通しての展開のさせ方もそろそろ見せられるかなあと.
のんびりペースですが,また見てやってくれると大変嬉しいです.
毎回ありがとうございます!
あと広告もありがとうございます!
RDG(爽快) | URL | 2010/02/23/Tue 01:05 [編集]
 あ、いや、大げさに書いてますけど、思いつくことをつらつらと書いてるだけで、「この作品はもはや芸術である。なんとなれば・・・」みたいなことを言ってるわけじゃないですよw ただ、関連があるというか、底流に流れるものが一緒なのかなあと思うことが多いし、この動画シリーズを見てると、そういうものを思い出すことは事実です。

 特にRPGのドット絵を動かすイベントシーンという形式は、色んな条件が運命に引かれるように揃って成立した、一種の奇跡です。しかも、三十年やそこらで、栄華を極めたその技術のほとんどが、プロの世界から失われてしまった。にぎPも爽快Pもそれを当たり前のように体験して、その良さを当たり前のように再現しようとしてますが、それは多分、とても巨大な力を借りることなんだと思います。だから、こんな言い方をしてもいいのか分かりませんが、ここで大げさに書いたのは、この動画そのものよりは、ドット芸全般の表現手法という、この動画のバックにあるものですね。そういう形式の持つ強さが、この動画にも表れているわけです。

 ただ、「作者はこう考えて作ってたに違いない」という表現は、避けよう避けようと思ってても、つい書いちゃいますね。自分には、こういう風に「見える」としか言えないはずなのに・・・。それは申し訳なかったです。だからまあ、こんな理屈なんてどうでもいいんですよw 「(真)理」を「屈(折)」させたのが「理屈」なんでw むしろこういう理屈を気にし出したら、作品の質が落ちると思うんで、やめてくださいw 「これだと台詞に集中出来ないから、やめておいたほうがいいかな」というのが、多分、作る側の優れた感性なんでしょう。 
 いつもはもうちょっと時間を掛けて文章を整形したり、そういう「作者はこう考えて作品を作ったんだ。俺には分かる」という表現は削るんですが、今回は時間がなくてすいませんw 

 そういえばこの動画も、昔より随分、時間的な流れが軽やかになったように感じます。特に今回は、私以外の人もコメしてましたが、15分が一瞬に感じました。先日のRAP_のノベマス解説動画で「再生時間はできるだけ短く」と書いてあったのには(そうしないとそもそも動画を見てもらえないという意味で)基本的に同意しますが、今回のエントリの観点から付け足すとしたら、視聴者としては「時間を短く感じられるもの」にしてくれると、もっと嬉しいですねw まあ、これが一番難しいんでしょうけどw
 再生時間が短くても、最初の30秒が長ーく感じられてしまえばやっぱり切られちゃうし、再生時間が長くても、つかみの部分を見始めたら最後、時の経つのも忘れてしまうような作品は、大歓迎されるでしょう。爽快Pの作風では動画一本5分とかいうのはきつそうなので、このまま時間を忘れてしまうタイプを極めちゃってくださいw
 では、次回も楽しみにしております。
gase2 | URL | 2010/02/23/Tue 02:29 [編集]
お久しぶりですー。

ドットの本と違って見えるのは、多分自分がドットの本とか読んだことないからです。
お師匠に「下手でも一発でそれと分かればいいのよ(はあと)」と言われたので、なるほどそうか分かりやすくなりますようにとドットを打っております。

ハッキリした色合いの背景と言えばMOTHERですが、
絵からドットを打つのでなくてドットから絵を打つとこうなるのかもしれません。
たくさん色を使うのが面倒だから、というのもありますがw


能を通して「動き」に注目して解説して頂いていますが、
このテの動画は『全体を通して動かす』作業が地味に大変で、
役者同士の向きや距離によってもやり取りのタッチが変わってきます。
(例えば会話だと顔の見えている方(画面上)の役者の感情が強く出るので、アニメと違ってカメラ位置が動かせない以上、位置取りを上手く考えないといけなかったり。)
1画面に独立して動くキャラが10人も(しかも常時)いるのは…パズルのような感覚に陥っていたのではないかと。今回長引いたのはそれが原因かもしれませんね。


gase2さん的な着眼点で見てもらえれるのは
爽快Pの知られざる苦労が報われる気がするので、ありがたいと思います。
…苦労かけたからなあ。


次もノンビリ期待していてください。
実は自分もこの後の展開を知らないのでイチ視聴者としてwktkしてます。


p.s
前のエントリで仕切りの足がありえないというのは…
段差のところで一箇所だけ伸びているのですが、つまりあの仕切りは動かすことができないので…『仕切り』として間違っている!
ミカン箱とかで支えてあげたらよかった! …てことです。

にぎりがくさいP | URL | 2010/02/24/Wed 22:31 [編集]
謡の話ですけど、たとえば「や」という一文字を何段階の音にも分解してその比率や強弱、高低で印象を操作するとか「やまんば」という四文字を等間隔にしないで微妙にずらしてタメを作るとか、上の句下の句の違いとか、もちろん前半と後半の謡い方の差など、ミクロなところからマクロなところまで技工を尽くして「速く」「遅く」「軽く」「重く」聞かせるのがプロの能楽師というものです。
能なんて演出がほぼ出来上がってるわけですから、そういうところにこだわらないと違いなんて生み出せません。
それを意識的にやる人無意識に出来る人、出来ないしやらない人とかいろいろいますが。
そういうミクロだったりマクロだったりするタメの重要性というのは能でもノベマスでもPVでも、あらゆる表現に共通するのでしょうねえ。
ニコマスPでもうまい人はそういう目に直接はみえないところのリズムのつけ方がすごいですね。

能とドット絵の話も面白かったですが、これはアニメとか漫画とかにも言えることかなと思ってます。
能とかゲームとかアニメとか漫画とか、ズバッと抽象化してフラットにしてしまって、それによって表現を際だたせるようなのを好む文化的な嗜好が日本人にははるか昔からあるのでしょうか。
プロデューサー兼能楽師 | URL | 2010/02/25/Thu 00:01 [編集]
 こんにちは! コメントありがとうございます。
 「おうがば画」はRSSリーダで必ずチェックしておりますw

>ドットの本
 読んだことないんですか! それもすごいですね。お手本は往年の名作ゲームだけということでしょうか。いや、そっちのほうがいいんじゃないでしょうかw それで、そこまで上手くなれるのならばw
 見るだけでは駄目な人もいるんで、そのための本なんでしょうね。でもそれをやると、今度は目で見て盗むのが下手になったりするんで、良かったり悪かったりです。私も「見るだけでは駄目な人」の一人として、能で嫌というほど体験してますw

>絵からドットを打つのでなくてドットから絵を打つ
 ひょっとして下絵は適当にしか作らないんでしょうか。というか、あそこまで打てるドットの数が少ないと、下絵があんまり役に立たないんでしょうか。どんな風に作ってるのか、興味深々です。

>たくさん色を使うのが面倒だから
 いやいや、「ここはもっと薄いだろ。こっちは少し黒みがかってるはずだし・・・」とやって、「リアル」を求めていくと、色が濁って画面がボケてくんですよw だからそれを面倒だと思う感性が素晴らしいんです。
 モネだったかが実際に絵を描いてる映像が残ってるんですが、色を慎重に混ぜて・・・なんて全然やってません。ただチョンチョンと絵の具を筆の先に付けて、それをキャンバスの上にチョンチョンと乗せる。それをなんの力みもなく、淡々と繰り返してるだけです。でも、それが上手い人なんでしょうね。

>例えば会話だと顔の見えている方(画面上)の役者の感情が強く出るので、アニメと違ってカメラ位置が動かせない以上、位置取りを上手く考えないといけなかったり
 なるほどおおおおおおおお! 言われて初めて気づきましたw 確かにそうだ!w
 8:15の真美の目が大きくなるドット絵が今回二番目に好きでしたが、これもよく見たら、皆のほう向いてないんですね。向きあってしまうと顔が映せないからこうなるわけですか。なるほど~w 能でも似たようなことはやりますが、自分が見る側だと全然気づきませんでしたw とても勉強になります。

>爽快Pの知られざる苦労
 いや、位置取りの話を読んでると、そんなことはいくらでもあるんでしょうねw でも、ここまで動画を見てしまうと、上下左右の方向を向くキャラでこのシナリオをやるというのは、もう想像もできませんw 演出とシナリオが、完全に一つになってますね。いい感じです。

>つまりあの仕切りは動かすことができないので
 ガッテン! ガッテン!
 確かにこれ、他の場所で使いようがないですねw 伸縮式という解釈でも、普通は伸縮の必要がないわけですからねw まあ、昔のゲームにもこういうのはよくあるし、大体これに気づいた人、10人もいるでしょうかw

>次もノンビリ期待していてください。
 コメには遅かったみたいなこと書いてた人がいたような気がしますが、架空戦記の中では、更新は全然早いほうでしょう。一部の早すぎる人がおかしいわけでw 自分は全然待った気がしなかったし、にけPの「Rom@ncing iDOL」なんか更新が一年止まりましたが、再開してから「あの時は待ったなあ」なんて思ったことは一度もありません。忘れちゃうんですねw 今があれば、過去なんて、というわけです。
 早く再開しろと罵るコメントに、作者をやる気にさせる効果が何一つないということも、この世界ではよく知られた話ですw でも、別に続きが見れなくてもいいわけではなくて、続きが見たいからこそ何も言わないんですよw そこら辺が難しいところです。

 では、また続きを楽しみにしております。
 いつも素晴らしいドット絵を拝ませていただいて、感謝しておりますw
gase2 | URL | 2010/02/25/Thu 00:15 [編集]
■プロデューサー兼能楽師さん

 ええええええええええええええええええええええええええw
 やべーw 本当にこういう人がいらっしゃるとは・・・w ニコマスの視聴層の中に、謡を習ってる人が数人いるくらいかなと思ってましたw

>出来ないしやらない人
 これが能の困ったところというか、まあ魅力でもありますよね。意識的に「演じ」すぎるとやたら嫌らしいし、ゴマ点を「音符」だと思って、その通りにずーっと平坦に読んでくと、ただ眠いだけというw そして最初は平坦なだけだった人が、長いこと習ってると、いつの間にか器用に演じられる人より上手くなってしまうという話を良く聞きますね。別に演じなくてもいいわけです。
 能って一体、何をやってるんでしょうね。「演じる」とはまた違ったことをやってるのかもしれません。私が人生で一番感動した催しは近藤乾之助さんの番囃子「関寺小町」でしたが、二番目は大学のOBの人たちの素謡「俊寛」でした。前者はほとんど「演じ」てなかったように思いますが、後者は結構「演じ」てましたw でも感動しましたね。曲が曲だからかもしれません。いずれにしろ、演じる演じないのレベルで語れないことは確かです。
 
>これはアニメとか漫画とかにも言えること
 いや、やっぱりドット絵を動かすものが、自分には一番能っぽさ感じます。アニメや漫画は割と表現形式として自由な部分が大きいので、そこまで広げてしまうと、すこし抽象的になりすぎるし、能を持ち出す必要が薄れると思います。技術の制約に大きく縛られたドット芸の分野が、自分から装飾を捨てていった能にたまたま近くなったんだと思うので、そこが面白いのだ思います。逆に言えば、アニメなんかでも、新世紀エヴァンゲリオンみたいに金銭的、時間的、技術的制約によって装飾を捨てる必要が出てくると、どうしても演出が能とかに似てくる気がします。絵が静止したまま音楽だけが流れ続けるのは、現代の「居グセ」なんでしょうねw
gase2 | URL | 2010/02/25/Thu 01:02 [編集]
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