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2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : 【人力Vocaloid】ロボキッス【やよい・亜美】
<注意>
 このエントリは特殊な形式に則って書かれていますので、
 「注意事項」のエントリに目を通した上で、以下の文章にお進みください。

 ドリ音P
 

 「モジュール化」という言葉がある。たとえばデスクトップパソコンがそうだ。マザーボードにはPCIExpressやCPUなどを差し込む、特定の規格に従った接続口があり、その規格に合う部品なら、何を取り付けても動いてくれる。そのため部品を入れ替えるだけで性能を変えることができるが、部品の形状の多様性を考慮し、多少の余裕を持って作られているために、どうしても全体のサイズが大きくなりやすく、また一社が部品やパーツを独占することもできない。というより、モジュール化された商品では、多様な企業が参入し、その規格の可能性を活かした多様な製品が発売されたほうが、商品の価値は上がる。パソコンの入出力規格であるUSBが、プリンターとの接続やUSBメモリだけでなく、USB扇風機のような、USBの開発者には予想も付かなかったような面白い商品まで生み出したのがその好例だろう。このような商品を作るのは、アメリカが得意だ。アメリカが第二次世界大戦中に作った戦車や戦闘機は、拡張性を考慮して設計されたために無駄な部分も多かったが、エンジンや兵装を付け替えることが容易で、機能変更をするにあたって一から設計しなおす必要が少なかった。
 これに対して我が国のお家芸とも言えるのが「すり合わせ」だ。これは全体の設計や機能から逆算して、それぞれの部品の大きさや形状を決めて行く。そのため部品の相互異存が強まり、拡張性はほとんどないが、一方で限界まで小さな空間に機械を収めたり、特定の用途に特化した機械を作るのには向いており、VAIOの薄型ノートパソコンや、多機能な携帯電話などを作るのは日本のオハコである。
 しかし第二次世界大戦においては、日本のゼロ戦がネジ一本に到るまで軽量化を重ねる「こだわり」を貫いた結果、確かに優秀な機体は出来たが、その構造は複雑になり、完成までの工程数は、後のF6Fヘルキャットの約三倍にもなった。大量の機体で押し寄せる米軍の「物量戦」は、単に資源が豊富だったり、工場が多かったりしただけではなく、部品の相互依存をなくし、職人技がない未熟工でも容易に組み立てを可能にする、工程の簡略化とモジュール化にもあったのだ。つまり日本を圧倒したアメリカの「工業力」とは、もちろん資源や資金の豊富さもあるが、このような「システム化」の強さも大きな要因の一つであった。日本が素晴らしい「製品」を作ることに集中していた時に、アメリカはより多く、より一定の品質の製品を、より早い時間で、より大量に製造する「システム」の構築を目指していたのである。この工業製品に対する思想の差が、勝敗を分ける要因の一つになったことは否めないだろう。
 このような観点から見て行くと、現代においてはモジュール化した製品のほうが強いことが多い。NECがPC-9801にこだわっている間にDOS/Vパソコンが広まったり、日本の自動車会社が「すり合わせ」にこだわっている間に、インドの自動車会社「タタ」が大胆なモジュール化で価格破壊を行ったりした。DELLのパソコンのように「カスタマイズ出来る」商品の優位は揺るぎなく、現代において「すり合わせ」の劣位は明らかであるかに思えた。本作「【人力Vocaloid】ロボキッス【やよい・亜美】」が世に出るまでは。
 人力ocaloidはかつて、その手作り感を楽しむものだった。明らかに無理やりなのだが、頑張って作ってあることがよく分かり、「どだい無理なことを、無理やりやってくれることの楽しさ」こそが人力Vocaloidの魅力だった。元祖であるwandaPの「VOCALOID持ってないのでHARUCALOIDに歌わせてみた(未完成版)」でも、hikePの「アイドルマスター 春香 I Want で遊んでみた」でも、それは共通している。が、やがて状況が変わってきた。
 acousticPの「アイドルマスター 律子ロイド 「星間飛行」 律子(ライブPV風)」やハロPの「やよいロイドで ブラック★ロックシューター -Band Edition-」で、「あれ、これ結構行けるんじゃね?」と思ったのかどうかは知らないが、2009年に入って、再びwandaPの「アイドルマスター (人力)伊織ロイドで「君に、胸キュン。」」、2番Pの「【人力Vocaloid】千早ロイド「ココロ」」と人力Vocaloidの傑作が続き、「よく頑張った! 感動した! でも、もうこれ以上は無理だろう」と筆者などは思っていたのだが、それを超えてしまったのが、本作「【人力Vocaloid】ロボキッス【やよい・亜美】」だったのである。
 そのすごさについては、もう実際に動画を見てもらうしかない。「人力Vocaloid」のタグを見てからこの動画を見た者で、0:21から頭が「!?」とならなかった者はいないだろう。ただこの項目では、その内容については語らない。その手法について、簡単に自分の考えを述べて終りにしたい。
 人力Vocaloidは、典型的な「すり合わせ」の手法である。まず完成した時の声のイメージを考えながら、それに合った声を、音源の中から一つ一つ、丹念に選び出して行く。0:42からのとかちの「こぶち」も、それに沿って選んだものだろう。そして今度は音の高さを調整し、さらに自然な声にするために「調教」する。その手法はどこを取っても作者の感性と根性に依存しており、決して誰にでも出来るものではない。まさに職人技なのだ。完成した歌の音源では、声の一つ一つが完全かつ強固に依存し合っており、これをバラバラに分解して新しい作品を作ることには意味がない。そんなことをするくらいなら、音源の収集から自分で始めた方が、よっぽどいい作品が出来るからだ。
 要するに、人力Vocaloidという手法は、システムにはなりえない。これは先述したように、この手法の大きな弱点である。人力Vocaloidは、いわば職人技で作られたゼロ戦だ。それに対して本家Vocaloidは、量産可能なF6Fヘルキャットである。前者が戦艦大和で、後者が月刊正規空母でもいい。我々はこの勝負の結果を知っている。人力Vocaloidは、いつか本家Vocaloidの進化による「物量戦」の前に敗北するだろう。だが今は、素直にこの勝利を喜ぼうではないか。努力と根性、そして、きらりと光る感性。その結晶化した姿であるこの作品が、あらゆるVocaloidと互角以上で渡り合う、その勇姿を讃えようではないか!
 大日本帝国海軍の典型的な大艦巨砲主義者である宇垣纏中将は、沖縄戦で大和が沈没したと聞いた時、自らの手記である『戦藻録』において、次のように記した。彼は航空機が好きな連中はこれで戦艦の厄払いが出来るだろうが、それでも「戦艦一隻は野戦七ヶ師団に相当し(後略)」と、戦艦の時代が終わったことを決して認めなかった。筆者にはその理由がよく分かる。たった一つの「職人技」が、数多の曲を生み出した「システム」に張り合うこの姿は、あまりにも美しく、そしてあまりにも感動的である。
 もちろん、いつかその優位も終わる。終わるけれども、繰り返すが、今この瞬間、我々が感じている胸の高まりが偽りだったなどと、後世の誰にも言わせまい。戦艦大和にロマンを感じないのは、男子ではない。しかし戦艦大和で週刊護衛空母の国に勝とうとするのは、戦略性の欠如である。感動とは畢竟、ある種の思考停止にすぎない。この快感に身を浸しつつも、決して冷酷な現実から目を逸らしてはならないのである。
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