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2009年下半期ニコマス二十選 推薦動画詳論 : 3rdワールドウォー世界IDOL大戦?第9話後編 RED CUTTINGBOARD RISING
<注意>
 このエントリは特殊な形式に則って書かれていますので、
 「注意事項」のエントリに目を通した上で、以下の文章にお進みください。

 庭上げP
 

 庭上げPは入れようか最後まで迷った。上半期なら間違いなく「ワールドアットウォー世界IDOL大戦 最終話後編 神々の黄昏」が歴代の全架空戦記中屈指の最終話であり、これに比肩しうるim@s架空戦記の最終話は、筆者の知る限り、宇垣Pの「天海提督の決断 最終話「旭日旗、征く」」以外にない。だから庭上げPはなんとしても入れたかったのだが、その完結した「世界IDOL大戦(?)」の続編である「世界IDOL大戦?」は、同じ上半期に投稿が始まっており、現在連載中であるうえに全話が満遍なく面白いため、これといった作品を挙げにくかった。しかし逡巡を重ねた結果、この第九話後編が選出の運びとなった。
 庭上げPは、筆者が最も嘆賞する架空戦記P、そしてニコマスPである。ニコマスPの中で一人だけ挙げろと言われたら、迷うことなく彼の名を挙げる。それは「全ニコニコ動画の投稿者の中で」と言われても、「今生きている全ての創作者の中で」と言われても変わらない。ただ「歴史上で」と言われると、言葉に詰まる。彼らニコマスPは、「歴史に名を残すかどうか」などという評価基準が、全く馴染まない領域にいるからだ。特定の貴族に仕え、日々研鑽を積んで腕を磨き、大陸に並ぶもの無しと呼ばれるフルートの名手が「芸術家」だとしたら、彼らニコマスPは、山間の寒村でときどき得意の芸を披露してくれる、「笛の上手い人」にすぎない。彼らの名前は残らないし、残す必要もない。村の連中も山を降りて都会に行けば、大芸術家の演奏に腰を抜かして感涙にむせぶのだが、彼らにとって「音楽」とは、そんな気取ったものではない。仲間の家に集まって杯を交わしながら、やんやの喝采に応えて、すっかり出来上がった「笛の上手い人」がよれよれの音程で奏でる、いつもの陽気な旋律。それが村人たちにとっての、最高の「音楽」だからだ。村人たちにとっては、この「笛の上手い人」こそが、この世で一番の「音楽家」なのである。彼が死んだら、しばらくは皆で彼のことを懐かしく話し、子や孫に話して聞かせることもあるだろうが、やがてその名は失われ、土に還る。こういった喩えは失礼なのかもしれないが、ニコマスPとは、おそらくそのような存在であり、私が彼らを篤く尊敬するのは、それゆえである。高度情報化社会の権化であり、あらゆる情報を一瞬でつなぐことによって世界をグローバル化するはずのインターネットが、同じ国に散らばる少数の同じ趣味の人間たちを強固に結びつけ、逆にこの現代社会に「山間の寒村」を創造してしまった。それが2chでいう板であり、スレであり、ニコ動でいうカテゴリであり、そしてニコマスなのである。そこで望まれるのは芸術ではなく、あくまで「芸」であり、永遠の普遍性ではなく、今この瞬間に燃え尽きるほどの、壮烈なまでの「儚さ」なのである。
 特に架空戦記やノベマスは、鑑賞のために数多くの「前提知識」を必要とするため、やがては歴史の荒波の前に忘れ去られるであろう。しかし、だからどうした? それがなんなのだ? 歴史に残らなかった感動は、程度の低いものなのか? 今この瞬間、我々が感じている、心がはじけ飛ぶほどの「面白さ」や「楽しさ」、それが次の世代に残る必要など全くない。むしろ、その感動を無理やり次の世代に「伝える」ため、子や孫の世代に洗脳教育を施そうとすることこそ罪悪であるという思想が、ニコマスの底流にはあるのだ。歴史に名を残すため、自ら「古典」たろうとする数多くのまやかしの「芸術作品」が跋扈する現代社会において、歴史に名を残すこと、子や孫にも感動できること、前提知識がなくても楽しめること、国境を超えること・・・そんな作品の陳套な「偉大さ」を自ら拒絶し、今この瞬間、ネット回線の向こう側にいる一定範囲の人間が感じる感動を最大化せんとする努力が結晶化したもの、それがニコマスなのである。歴史に名が残るかどうかなど、ここでは何の意味もないことだ。だから庭上げPの作品も、全く「偉大」ではない。液晶ディスプレイの前でマウスを握り締めながら、オタクがゲラゲラ笑って腹筋を痛める、そんな数ある「ニコニコ動画」のうちの一つにすぎない。だが、それこそが――この作品の存在意義でなくて、何であろう?
 さて、アイドルたちがゲームの登場人物を演じる架空戦記は多いが、庭上げPの世界IDOL大戦シリーズのように、アイドルが歴史上の人物を演じる例はあまり聞かない。この「アイドルが歴史上の人物を演じる」というコンセプトは、どちらかというとアイマス教養講座で一般的なもので、最も有名なものは、やはりトロツPの「アイマスで分かるソ連権力闘争」だろう。最近ではキューバ危機を扱ったマシン語Pの「iM@s 13d@ys」などが、しっかりとした作りで定評がある。しかしアイドルが歴史上の人物を演じる場合、あまりに史実を重んじすぎると、アイドルの原作設定との齟齬が問題となり、先述のトロツPなどはコメントに「このうp主はアイマスに対する愛ないだろ」などと書かれてしまった。凄惨なソ連の権力闘争を、アイドルたちに実直に演じさせた結果の悲劇である。このような「歴史上の人物をアイドルが演じる」タイプの作品には、常にアイマス原作と史実という、二つの要請の狭間で揺れ続ける宿命があると言ってよい。
 この点、庭上げPの完結した前作「世界IDOL大戦(?)」では、各アイドルは各国の政治思想や軍事思想、外交姿勢の擬人化という特性を持つ。典型的なのが千早演ずるソ連のヨシフ・チヒャーリンであろう。千早の胸の薄さは「持たざる者」のルサンチマンを想起させ、プロレタリアート独裁の共産主義によく馴染む。もちろん、これくらいなら他の作品でも当たり前にやっていることだが、この架空戦記ではアイドルを各国に配置するだけでなく、各国の思想がキャラの性格まで侵食してしまっているところに妙がある。先述のチヒャーリンはアイマス架空戦記史上屈指のおバカキャラだが、それはソ連という国の軍事・内政の、あまりの理不尽さがよくジョークになり、世界中を笑わせていることの反映である。つまり「世界IDOL大戦(?)」におけるチヒャーリンとは、「ソ連の書記長になった千早」ではなくて、「ソ連っぽい千早」なのである。だからこの作品に登場するのは、原作の千早ではなく、一般的な二次創作のように原作の千早を作者の好みにアレンジしたものでもなく、原作とは異なる「ソ連のシンボル」として転生した「チヒャーリン」という全く新しいキャラなのだ。国の擬人化には、当然「ヘタリア」という偉大な先達がおり、その影響も多分にあるだろうが、アイドルマスターという全く世界情勢とは関係のないゲームのキャラを、各国を擬人化したように割り振ってアレンジするという手法は珍しく、これはアイドルマスターと現代史、軍事、そして二次創作的翻案などが好きな者にとって、まさしく福音であった。
 こうして各国の思想や文化を体現したキャラが、各国の元首あるいは軍人として、互いに語り合い、牽制し合い、そして騙し合う。それはまさに現実の国際関係そのままであるのだが、それが「国と国」との関係でなく、国を象徴した「キャラとキャラ」との関係で表現されるところが面白いのだ。先述のヘタリアと違い、同じ第二次世界大戦を舞台にした「世界IDOL大戦(?)」では、開戦からゲーム画面などで現在の状況や戦闘の結果が逐一表示されていく。そのため、徐々に変化していく戦況の中で、各国の情勢がどのように変化していくのかが、その国を象徴するキャラたちの変化で示されるのである。
 そしてアイマスキャラの関係と、史実の国際関係とが綯交ぜ(ないまぜ)になっているため、視聴者はアイマス世界と現実世界、二つの世界が渾然一体となった「世界IDOL大戦」の世界と出会う。二つの世界が混濁することによって、歴史上の真実は、一見ねじ曲げられているかのように見える。たとえば日本は海軍の山本いお六(伊織)と陸軍のやよ下泰文(やよい)で象徴されるが、「やよいおり」の名称で親しまれるやよいと伊織の二人は、アイドルマスターの世界では、とても仲のいい二人である。これはこの配役を聞いただけでは、日本の海軍と陸軍のセクショナリズムによる対立とは相容れない「史実と相反する設定」に見える。そして実際、この「世界IDOL大戦(?)」では、やよいと伊織の二人は、史実の陸軍と海軍同様、すれ違い、そして対立するのである。それならば、なぜ陸軍と海軍を「やよいおり」の二人にしたのかという疑問が生まれるが、それはこの二人が、「本来は仲がよくなければならない二人」だからだ。
 日本人の大東亜戦争史観は、通常いわゆる「海軍善玉論」であり、史実に詳しい者であっても、陸軍を積極的に評価する者は多くない。ニコマスにも先述の宇垣Pの「天海提督の決断」や、宇垣Pの衣鉢を継ぐいそっちPの「八八艦隊偶像物語」など、海軍を主体にしたものはあっても、陸軍を主体にしたものはほとんどない。元となるゲームが少ないのもあるし、日本の軍事史上屈指の愚将である牟田口廉也中将の無能によって三個師団が全滅したインパール作戦や、ガダルカナル島への戦力の逐次投入などの破滅的な戦略の破綻は、明らかにアイマス原作の華やかな雰囲気に似合わない。将官のあまりの無能さ、戦略眼のなさが、サブキャラとしての魅力に乏しいのもあるだろう。だが、なぜか「世界IDOL大戦(?)」では、表面的には、なんと「陸軍善玉論」を取る。陸軍(やよい)が必死で各地の石油をかき集め、春閣下から補給ポイントまでもらい、爪に火をともすような節約を重ねてなけなしの補給物資を貯め込むのだが、「艦隊決戦で大打撃を与えた後、有利な条件で講話に持ち込む」という海軍の楽観論に支配された伊織が、大量の石油を使って何度も米軍に艦隊決戦を挑むのだ。それは当然毎回が大博打なので、勝つこともあるし、負けることもある。大和の打撃力は素晴らしく、名だたる戦艦を次々に轟沈させていくのだが、そんな「決戦」は、そもそも米軍の物量の前では、全く意味がなかった。コメの多くにもあるように、この作品の伊織はやよいという妻の金を使って博打に励み、スッカラカンになっては帰ってきて、また金をせびる典型的な「ダメ亭主」だ。これは当然ながら「決戦主義という誤った戦略に則って陸軍の石油を使い込んだ海軍の方が悪い。陸軍は悪くない」というような、単純な「陸軍善玉論」を主張しているのではない。陸軍の無能っぷりの前では霞みやすいが、実は海軍の取った「戦略」も、要するに、丁か半かの大博打だった。しかも石油がないから始めた戦争なのに、海軍が「決戦」に挑む度に差し出した賭け金は、石油だった。「お金が無いから、パチンコして稼ぐ」と言うようなものである。そしてこの大博打は、実は博打に見えて、博打ではなかった。「決戦の後、講話」という海軍の博打は、まずアメリカには決戦をする気がなかったし、たとえ決戦に負けても、講話する気もなかった。コメにもあるように、短期決戦に成功し、太平洋を突き進めばアメリカに厭戦気分が広がって講話に応じるだろうという勝手な思い込みが、そもそも間違っていたのである。
 このように「世界IDOL大戦(?)」では、貧乏キャラだが視聴者に可愛がられやすいやよいを陸軍に据えることにより、陸軍に対する「地味」「困窮」のイメージを「かわいさ」の方向に変えつつ、海軍を先述のように戯画化している。これが面白いのは、視聴者もやはり、普通は海軍のほうに傾いているからだろう。「世界IDOL大戦(?)」ではそのバランスを大きく逆の方に傾け、海軍の戦略の乏しさを中心に描いているが、あくまでギャグなので、嫌味がない。これがシリアスだったら、非難は轟轟だ。そしてこの二人が、石油のことで争ったり、陸軍のやよいが対潜ヘリやら強襲揚陸艦やらを保有しており、その理由が「だって、伊織ちゃんが、何にもしてくれないからです」だったりする。陸軍と海軍の官僚主義的な対立は、あくまで「すれ違い」にまで弱められ、アイドルマスターにおけるやよいと伊織の関係を知っている我々は、動画内での二人の齟齬を見る度に、「本当は二人とも、仲がいいはずなのに」と思ってしまう。それは「陸軍と海軍の仲が良かったら、もっと善戦できたはずなのに」という我々の嘆息を代言してくれていると共に、動画内においてやよいが見せる、伊織への最大限の協力を見れば、たとえ両軍が密接に協力し合っても、史実における軍事および外交上の戦略の誤りは致命的であり、単純な両軍の協力くらいではどうにもならないという悲しい現実をも表している。そこに視聴者は史実における「敗因」の複雑な相関を見るのだ。アイドルマスターの「やよいおり」を通して――。
 異なる世界が融合することにより、かえってそれぞれの世界の真実が可視化されることがある。「世界IDOL大戦(?)」はまさに、そういう作品だった。この作品も、連載開始当初は筆者にとって「まあまあ面白い架空戦記」くらいの印象だったが、後半からの追い上げは凄まじかった。当時の架空戦記において、「閣下」と言えば呂凱Pの「閣下三国志」から始まって、りんざPの「春閣下で世界統一」や、腰痛Pの「黒女王春閣下」のように、半目で溢れるカリスマを持つ一方で、たまには白いところも見せてくれるという、そんなタイプの閣下が主流だった。しかしこの「世界IDOL大戦(?)」では、見た目と口調はいわゆる「白春香」であるが、その一方で名前は「春閣下」であり、ヒトラー役であることもあって、第一話から少し言っていることが黒かった。性格的には「春香」というより、「中村先生」の影響を色濃く受けたキャラだったと言っていいだろう。そして何度かこのような黒さを見せているうちに、コメでこの「白いが黒い」春閣下を面白がる声が出てきた。庭上げPはそれを敏感に感じ取って春閣下の性格を少しずつ腹黒い方向へシフト。こうしてとんでもない出まかせを並べ、世界各国を口八丁手八丁で丸め込む「im@s架空戦記で最も腹黒い春香」がここに生まれたのである。
 ドイツの春閣下とソ連のチヒャーリンは、一見、いわゆる「はるちは」のような雰囲気がある。しかしこれは実質的にチヒャーリンの片想いであり、春閣下はこの「親友」からの信頼を利用する。各国の中でソ連の「おバカ」のイメージを受けてもっとも騙されやすい性格に育ってしまったチヒャーリンを、春閣下は毎度毎度の詭弁で篭絡し、それを信じ込んだチヒャーリンが、ソ連の戦略を滅茶苦茶にして独ソ戦が泥沼になっていく。しかしこの詭弁を振りまく春閣下の、どこか憎めない「天然の黒さ」と、それに騙されるチヒャーリンの「残念な白さ」の対比が楽しく、これはコメなどで「漫才」と呼ばれる「世界IDOL大戦(?)」の代名詞、お約束のシーンとなった。この様式美が完全に確立したのは、おそらく第十六話で、ここで春閣下が「わたしコメで、架空戦記の中でもまれに見る悪。黒春香、鬼とか言われてるけど・・・」と発言し、これ以降、春閣下はのびのびと天性の詐欺師っぷりを発揮していく。そして庭上げPはコメで春閣下への野次が飛ぶだろうと思わせるようなことをわざと春香に言わせ、それを前提にして会話を展開するなど、よりコメの反応を意識した方向へと進んでいく。最終話においては笑いの神までもが元ネタのゲームに降臨し、8ヶ月に渡って傑作への階段を駆け上がった本作は、ついにim@s架空戦記の天宮(ヴァルハラ)へと至り、永遠に光り輝く黄金柏葉剣ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章の栄光と共に完結の日を迎えたのである。
 実は今まで、庭上げPのことをブログで書く時、彼のことをなんと呼んで賞賛したらいいか、迷うことが多かった。芸術家、巨匠、芸人、努力家、天才、鬼才、職人、達人、名人、神・・・正直に言って、どれもしっくり来ない。だがそれは当たり前で、庭上げPはコメを取り入れたり、コメでどんな反応が起こるかを織り込んで話を作ったりするなど、すぐれてニコニコ動画の特性を活かした動画作成を行う作者だ。アイマスが好きとか、軍事や世界史に一定の興味があるとか、この動画を楽しむための前提条件は一般的な漫画やアニメ、映画よりも遥かに多く、10万、100万といったマスな単位の人間を楽しませることは出来ないし、そんなことを目的としてもいない。im@s架空戦記は無数にあるが、そのほとんどが、一部の人間にのみ受ける、いわば「内輪受け」を狙った作品である。しかしその「内輪受け」の対象が、あらゆる分野、あらゆる趣味嗜好に及んでいるため、そのどれかに当てはまる人間は多い。そしてその当てはまった人間だけを狙い撃ちして楽しませるのが、im@s架空戦記というものである。それこそが庭上げPの作っているものなのだが、そんな作品を作る人間は、ニコニコ動画が登場するまで、この地球上には存在しなかった。そしてニコニコ動画が消滅する時、そんな作品は、この地球上から消え失せるのである。彼らはこのような、既存の言葉では表しようのない、新しいタイプの作品を作る創作者たちである。筆者は彼らのことを何と呼べばいいか、今まで散々考え続けたのだが、今のところ一番しっくりくる呼称は、なんとも他愛のないものだった。「ニコマスP」。「架空戦記P」。それが、彼らの名前である。笑ってしまうくらい単純な答えだが、他のどれでもないことは確かだし、我々が呼ぶ中で、彼らが一番喜んでくれる名前は、おそらくそれらだろう。
 さて、このように、彼は架空戦記の特徴を体現するような作品を作る、架空戦記Pの中の架空戦記Pである。その彼が前作「世界IDOL大戦(?)」の完結後、わずか一ヶ月半後に投稿を開始したのが、冷戦期を舞台したim@s架空戦記「世界IDOL大戦?」であり、二十選の本項で推薦する動画を含むものである。
 なぜ「世界IDOL大戦(?)」について長々と述べたのかというと、「世界IDOL大戦?」が、前作「世界IDOL大戦(?)」の続編であり、細かい配役の交代を除けば、各キャラの担当国家もあまり変わっていないからだ。一方で春香を東西ドイツに分け、作品中の春香が西ドイツのハルコール(私服)と東ドイツのハルカッカー(パンゴシ)の二人になっているのは面白い。普通ならこの二人がいわゆる「白春香」と「黒春香」として対立しそうなものだが、「でもなんだか前作のイメージで白い方が黒そう」などと書かれたコメの嫌な予感は的中し、実はどちらも言動が黒いことが、なんと第一話にして判明する。当初はこれでシナリオが真っ黒になるかと思われたが、東ドイツのハルカッカー(春香)とソ連のプチーチャン(千早)が同じ東側陣営になることで、少し状況が変わった。前作ではナチス・ドイツの春閣下が敵国ソ連の千早を篭絡していたのに対して、本作では西ドイツのハルコールは千早とは会話せず、千早の相手役は同盟国東ドイツのハルカッカーになったからだ。このハルカッカーもやはり、あらゆる手を使って千早の暗殺や東西の激突を画策するが、やはり敵対国同士の戦争から同盟国の内ゲバに変わったことと、今作ではむしろハルカッカーがプチーチャンを引き止めたり、ツッコんだりすることが増えたため、前作と比べて二人の「漫才」はあっさり目になった。しかしそれが物足りなくなったかというとそうではない。リアルタイムで週に一回投稿される前作を見ていた我々には、前作の破壊力のある濃密な「漫才」は楽しかったのだが、これは後から追いついて見始めた人が間隔を開けずに連続で視聴すると、少しこってりすぎてもたれるという難点があった。その点新しい二人の「漫才」は、前作の破壊的な面白さには至らないものの、さらりとしていてしつこくなく、何度見ても楽しい。庭上げPの大ファンである筆者も、前作を見たのは全話3?4回ずつくらいだが、今作は最低でも全話6?7回は見ている。架空戦記を何度も見返すこと自体異例だが、単品のPVでもこんなに見ることはない。かといって、いわゆる「スルメ式」の面白さでもなく、初見の時の破壊力もしっかり兼ね備えているのだから、ますますバランスのいい傑作架空戦記になっているといえよう。
 二十選でこの「第九話後編」を選んだのは、下半期に投稿された中では「世界IDOL大戦?」の特徴が最も詰め込まれているからだ。毎度お馴染みの小鳥さんの前口上から始まり、0:30からは将軍が軍人らしいカッコよさを見せるが、コメの嫌な予感は的中し、はるちは(笑)の「漫才」がやっぱり始まる。3:15からはNATOのシーンだが、本シリーズ屈指の当たり役、フランスのF・タカネ・ミッテラン(貴音)が相変わらず協力しない。この貴音は「お嬢様っぽい」ということでフランスに選ばれたのだろうが、本シリーズでは語尾が「ですわ」の別キャラになっている。プライドばかり高くて周辺各国と協調しないが、やってることは結構間抜けで自然に笑いを取ってしまう本作の貴音は、現代史におけるフランスの負の側面をユーモアたっぷりに戯画化したものだ。961プロのキャラは個性や資料に若干乏しく架空戦記でも目立ちにくいが、貴音に関しては腰痛Pのノベマス「姉、ちゃんとPしようよっ!」の貴姉やや、すっきりぽんPのノベマス「アイドル寮空室あり!」の「CV千葉繁(すっきりぽんP談)」な貴音に代表されるように、二次創作で独自のキャラ付けを施したものの人気が高いようだ。「世界IDOL大戦?」における貴音の真骨頂は、第二話における核保有国の本音ぶっちゃけで、本シリーズにおける貴音の方向性を決定付けることになった。まだご覧になってない方は、合わせて参照されたい。
 そしてこの「第九話後編」で最高のシーンが、4:09からのアメリカだ。前作ではあずさが大統領、美希が軍人だったが、今作では立場が逆になっている。前作ではあずさがおっとりしているような口調で言っていることは若干黒いというキャラ付けによって、自由と民主主義を掲げながら、実は戦争で(軍需産業が)一儲けしたいというアメリカの表と裏を描いていた。しかし今作では「強いアメリカ」を標榜したレーガン大統領を美希が演じており(R.ミッキーガン)、いわゆる「ゆとり」の彼女には、「黒さ」があまりない。その代わり美希は、自由や民主主義という言葉を口にしつつも、実際には西部劇的な目先の「正義」に基づいてそれらをないがしろにしてしまうという、悪意はないがそのおめでたさが世界中にとって迷惑な、アメリカ人の単純さ、困ったちゃんっぷりのほうを、より強く象徴している。特にこのシーンでは9.11後のJ.W.ブッシュ政権や、B.オバマ大統領のノーベル平和賞受賞を思いっきりネタにしており、それらの滑稽さや、戦争によって自国の民主主義を維持しているかのような大国の矛盾を、健全な笑いに変えることに成功している。
 6:59からは日本のシーンだ。ソ連の侵攻で南北に分割されてしまった日本だが、北日本(日本民主主義人民共和国)はやよい、南日本(日本国)は伊織が担当している。前作の説明で述べたように、これも「仲良くしなくてはいけないのに、対立してしまった二人」を表しているところが面白い。やはり北日=やよい=貧乏、南日=伊織=金持ちなのだが、北日は第二話で見るように明らかに北朝鮮を想定しており、やよいを通してかの国のネタっぷりを新しい目で見ることができる。と言っても「将軍様」はやよいなので、時に視聴者は同情してしまうのだが、それは北朝鮮の立場に対する同情でもあり、単純な善悪では割り切れない、国際情勢の複雑さを感じさせる。この「悪者のはずなのに同情してしまう」点は、先述したように前作でやよいが陸軍を担当していた時にもあったもので、庭上げP作品の一つの特徴とも言えるだろう。一方の伊織はバブル期の日本を体現するマネーの権化であり、視聴者は当時の日本の景気の良さを懐かしみながらも、その場当たり的な外交や、平和主義という名の日和っぷりに「ま、日本だし」と思いながらも、やはりため息を付いてしまう。ただ、通常アメリカやソ連に対してよく使われるこの手のカリカチュアが、日本にもしっかり適用されているところが秀逸だ。要するに、どこの国も笑えるくらい間抜けなのには何の変りもなく、しかしながら、それが国際関係というものの真実の姿なのである。日本や特定の国家だけを「善玉」にしないところに、一見滑稽で俗に見えながらも、現実的な目線で世界を見つめる作者の冷静な視線がある。そして7:55からは時代設定が激しく混乱・混濁し、それにメタ的な視点が加わるので、全く突っ込みの追いつかないカオスな笑いが腹筋を崩壊させるが、作者の庭上げPが生放送で語ったところによると、単純に時代設定を忘れていたそうである。彼がギャグに関して、何か天性の感覚を持っていることは間違いないだろう。
 そして最後、庭上げPには珍しく、どこかシリアスな雰囲気を残して終わる。彼は本来、全くと言っていいほどシリアスを描かず、ギャグ系架空戦記の一つの頂点、猛徳Pの「曹操がプロデュース業を始めたようです」などにあるような、「ちょっといい話」すら描かない。前作世界IDOL大戦(?)第十五話の、ブーゲンビル上空で伊織が撃墜された時なども、悲しい話になるか・・・と見せかけて結局はオチが付くなど、あらゆる話を笑いに持ち込み、視聴者を「感動させよう」「泣かせよう」などとはかりそめにも思わない庭上げPの作風には、もはやある種のストイックさすら漂う。その彼がわずか2ページだけ見せた「オチのない会話」に何か新境地を見ようとしてしまうのは、その他のシーンが笑いで埋まっているからこその落差に驚いているだけなのか。「楽しい架空戦記」を極めつつある庭上げPの、さらなる躍進に刮目したい。
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もう全て言っていただいて感無量です。消えないようにPCのデスクトップにメモしてます。

確かに、既存のアンチテーゼは、ちょっと意識のところにあったかもしれないと思います。クレムリンでも、ソ連の粛清もひどいけど、アメリカだって赤狩りやってるじゃんという風に。そういう考えは自分はちょっとありますね。

やはり、一国に集中してアイドルを置かずに、各国にばらけたのと、軍事データよりも、サイコロの運の要素と、日独だけでなく英米ソもみんなヘマをすることで、パロディのようになったのかもしれません。

でも、これは言われるように、自分が全てをつくったのではなく、ニコニコという、ダイレクトに、コメによる反応を注意深く読んでつくった結果だと思います。

そういう意味では、みんなと作った世界IDOL大戦だったと思います。一方でコメの反応を気にするあまり、天丼というか、はるちは漫才が過剰になったのも事実ですね。

その点2のほうが、あっさりしていいのかなあとも思います。また新たな発展があればいいですね。

本当にありがとうございました。これからもよろしくお付き合いください。
庭上げP | URL | 2010/03/02/Tue 02:26 [編集]
 え、結構代弁しちゃいました?w まあ、「作者の言いたいことを書いてくれた」というのは他のブログでも作者さんが書いてるのをたまに見るんですけど、それって本当にいいことなんだろうかと思うこともあるので、嬉しい反面、ちょっと複雑ですねw
 学校の国語の時間で「作者の言いたかったことを考えろ」というのがありますが、あれは問題があると思います。野坂昭如氏の娘さんが、学校の宿題で「『火垂るの墓』の作者の言いたかったことを書け」と言われたので、「お父さん、何考えてたの?」って聞いたら、野坂氏が「原稿が落ちそうなので困ってた」と言ったので、それをそのまま書いたら「作者はそんなこと考えてません」と言われたというのがありましたねw
 まあ、あれは野坂氏のイタズラの面もあると思いますが、やっぱり、作品から自分が何を感じ取ったかしか、書けないんじゃないかなと思います。「作者の考え」を当てようとする「占い」であってはいけないというのが、私のポリシーです。なので外形から見て、あくまで「作品は」こんな風になってるんじゃないかなーということだけを書いたら、思いの他当たってたということでしょうか。いや、やっぱり嬉しいですねw

 「クレムリン」の赤狩りのくだりは笑いましたw いや、ほんと一緒なんですよね。ただ、ソ連はグラスノスチになるまで、計画経済の失敗に伴なう飢餓で何人死んだかとかがまったく闇に葬られてたわけですから、やっぱり情報公開の程度で、民主主義のほうがマシなんでしょう。IDOL大戦Ⅰで、確か戦艦プリンス・オブ・ウェールズが撃沈された時、それが新聞記事になったシーンがあったと思うんですが、その時のコメントの一つに「ここで公表するのが戦争に勝つ国なんだよな」というのがあって、記憶に残ってます。国民に主権があっても、判断するための情報がなかったら意味がないんで、情報公開は徹底してほしいですね。

 はるちはの漫才については、ここでは対比するために言ってるだけなので、気にされたようならすいません。もたれるというより、笑い疲れると言ったほうが近いかもしれませんね。特に第18話の、千早が一旦自分を取り戻した後に春閣下が「千早ちゃん迷いが出たね!」「千早ちゃんのばかぁ!ぺち ついでに攻撃!」「バカになれ千早ちゃん!」は伝説でしょうw あの破壊力は私の知る限り、iM@S架空戦記史上最強ですw というか、ニコニコ動画であれ以上笑ったことがありませんw あれを生み出せたんだから、やっぱりコメの流れに乗ったのは正解だったと思います。自分はコメにおもねりすぎたとは思いません。まあ、若干、じゃーっかん、そういうところが無いとは言えないでしょうが、生み出したもののほうが大きいでしょう。Ⅰの漫才がもたれるというのは、「ステーキはおなかにもたれる」というようなもんで、それが事実でも、やっぱりステーキは美味しいですよw そこのところは間違えないでくださいね。
 やすきよの漫才なんかは、ほとんどアドリブでその場でネタを広げて、10分くらいの元ネタで45分やれたそうですが、架空戦記では長大な話を受け取り手に合わせて変えて行き、かつまとめるわけですから、これはやっぱりすごいことだと思います。自分の文体とかシナリオがしっかりあって、それを貫く人もいますし、そういう人の作品のほうが評価されやすいのも事実です。でもそういうタイプの作品の良さというのは、商業作品としての作品の良さとダブってしまう部分も多いので、ニコ動でやるなら、やはり「コメの力を借りる」作品のほうが私は好きです。

 ということで、これからも頑張ってください。やっぱり庭上げPの作品が、一番好きですw 
gase2 | URL | 2010/03/02/Tue 23:20 [編集]
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