iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

非アイマス 実況プレイ動画 : 学校であった怖い話に屈しない
 revin氏
 

 私は定期的に怖い話にハマってしまうことがあって、その時はとにかく、飽きるまでひたすら怖い話を読みまくってしまうという癖があります。それでこの実況プレイ動画も、以前から存在は知ってたので、今見ちゃってるわけですw 多少無駄話で話が止まることがあってもどかしく感じることもありますが、シークバーを調整すればいいわけで、ちょっと面倒なんですが、コメントと実況で相対化しながら怖い話を読むのも、また面白いですね。
 そして、こんな風に怖い話ばっかり読んでいると、なんというか、ちょっと感覚が変わるというか、何か色んなものにビビリだしますねw トイレの擦りガラスに何か変な顔が映るんじゃないかとか、そんなことばっかり考えてしまいますw 頭の中をこんなことで一杯にしてる人は、そりゃ「霊が見える」ことがあってもおかしくないですよw 実際、昔一時的にこれが酷かった時期に、「誰もいない空間に、ある特定の人物が『いる』ように感じる」という体験があって、その時は空間が歪んでるような感覚すらあったので、これがもう一歩進めば幻覚を見てもおかしくないなと思った次第です。

 あと、「ウソをつかなければ表現出来ないこともある」というのは芥川龍之介も言ってることですが、それを一番感じるのがこの「怖い話」ですね。2chのまとめサイトなんか読んでると、どんなによく出来た話でも、最後に「作ってみました。どうでしょう?」と書かれると、色んな意味でぶち壊しになってしまう。たとえウソでも、「怖い話」に限っては、最後まで嘘をつき通してほしいと思うことが多いです。まあ、内容によっては、強硬に「真実性」を主張することが人倫にもとる場合もあるので、いつどんな時でも成り立つこととは思えませんが、そう思うことが多いということですね。

 しかし、この「学校であった怖い話」というのは、SFCなのによく出来たゲームですね。この実況動画も、うp主の冷静かつ正論なツッコミと、コメントによる茶化しがあるから見れるわけですが、一人でこのゲームをやって、ただひたすら怖くなるというのは、自分から金を払ってまでやりたいことではないと思いましたw 一体、私は「怖い話」に何を求めているんでしょうねw この「怖い話」というのは、民話でも古くからあるはずですから、「怖い話」を求める人間の心理には、なにか根深いものがあるのでしょう。
スポンサーサイト

コメントの投稿

 管理者にだけ表示を許可する

>>gase2さん
何がしかの著作で
「日本人は闇を畏れるあまり夜から闇を追放してしまった。」
「それまで闇に包まれ、守られていた事も忘れ、
人工の夜の太陽にその身を晒し続けている」
みたいな内容のものを読んだことがあったような気がします。
何だったかなー。作品名や台詞どころか情報媒体すら憶えてないのが情けないw
一時期「カミゴロシ」という言葉と一人脳内格闘してたことがあったことも懐かしいです。

それはともかく、怖い話に興味を持ってしまう心理は人類共通だと思います。
でなきゃ殆どの宗教がやっているように、死後の世界の暮らしも「アリコで安心」みたいなキャッチコピーなんて打たなくていいわけですしw
ひょっとしたら安心してる時は怖い話が刺激として欲しくて、ほんとに怖い思いをしてる時には安心させて欲しいという…要は人間ってワガママだねってだけの話なのかも知れませんがw
Tom | URL | 2010/04/06/Tue 21:05 [編集]
 Tomさん、こんにちは!

 何百年も前、電気もなかった時代、山奥の集落に住んでた人たちが、森とか山とかについてどう思ってたのかとか、なんにも資料がないので分からないんですが、実際はどんな感じだったんでしょうかね。毎日何がしかの畏怖や恐怖を感じていたのか、あるいは結構あっけらかんとした明るい生活を送ってて、その一方で「やってはいけないこと」みたいなのが少しだけ決まっていたのか…とても興味があります。
 昔の日本人にとって、自然が「優しくて、綺麗で、守らなければならないもの」でなかったことは確かだと思いますが、その時代の生の「おそれ」の感覚は是非知りたいものです。

 それから「安心」に安住したくない気持ち、常に一定の恐怖を感じていたいという気持ちがあるとしたら、むしろ救いがある本能かもしれませんけどねw まあ、それはむしろ、「生活の中にある恐怖を見つけ出し、除去したい」という気持ちゆえに存在するのかもしれず、それだと「恐怖を感じたい」という気持ちと「闇を追放したい」という気持ちは表裏一体の存在になってしまうので、また議論が難しくなりそうですけどw
 しかし、この恐怖という感情は、なかなか深いですね。色んな現代の怪談の中には、現代人の死生観も読み取れそうで、興味深いものがあります。
gase2 | URL | 2010/04/06/Tue 22:27 [編集]
またまた興味深いエントリですね!

>何百年も前、電気もなかった時代、山奥の集落に住んでた人たちが、
>森とか山とかについてどう思ってたのかとか、なんにも資料がないので
>分からないんですが、実際はどんな感じだったんでしょうかね

単に自分の思いつきなんですが、いわゆる怪談って江戸期からのものですよね。
それ以前の創作物(gase2さんの専門である能とか)ではあまり「恐怖を楽しむ」
ということはありません……よね?

逆説的に江戸期でもそれこそ山村とか、もちろん江戸以前は闇にどっぷりという感じで都市化によって闇を追っ払ってこないと「恐怖を楽しむ」ことは出来ないのかもなぁ、なんて思います。

あとはむかーし聞きかじったバタイユあたりの快楽論が面白いなぁ、とも思います。
ホラーってエロティックなニュアンスのものが多いですし。
T_U | URL | 2010/04/07/Wed 07:52 [編集]
すいません。長くなりました
>>gase2さん
 ずーっと恐れてたわけでも、常に能天気だった訳でもないでしょう。
 でなければ人界と異界の境界に位置する神社等が各地に残っているわけはないですからね。それなりの維持管理するだけの精神的、経済的余裕がなければそれらは完全に遺跡化していたはずですから。少なくとも過剰な恐怖に支配されはしなかったようです。
 神社に対して、古代の豪族の墳墓が廃れてしまったのは単に住民に必要とされてこなかったからだと思います。そう考えると、墓の主は自らの存在が何らかのご利益をもたらすと民に教え込むべきでしたねw 日本人は昔から崇める対象を自ずから必要とするようなところがありますから、上手く騙せばよかったのですw

 夜の森は今でも中々恐ろしいですよーw 私の住んでいるところは谷間なんですが、夜になると獣が活動している音が聞こえます。森に半分埋もれる形で存在する神社は、小さなものではありますが、夜の本堂の近くへは近づきたくありません。昼はそうでもありませんが、明かりに乏しければ村や街とは違う"異界"だということを肌で感じられます。

 しかし それらの体感的な恐怖とはまた違って、例えば森を焼いてしまうと洪水が起こる。川魚を獲り過ぎてしまうと翌年は不漁になる等々。当時の人がどこまで理解してたかは判りませんが、とにかくそういった禍を防止するための合理的装置として数々の「タブー」が生まれたんだと思います。そしてこれらは「神聖さ」を伴う場合が多いので、単なる恐怖ではなく畏怖ですね。
 これらのタブーは自然という巨大システムに安易に手をかけれは酷い目に遭う。という実体験から生まれたものなので、一部の環境保護団体の「自然を大事に」と云ったような甘っちょろいヒューマニズムの延長線上的感覚とはまったく性格を異にしています。一言で言えば切実、とでも申しましょうか。
 自然というものは人間の目線から現象面だけを見れば、感情の入り込む余地のない理不尽な振る舞いをよくしますから、脅威に晒される側としては当然畏怖せざるを得ないかと。しかもこちらが特に手を出さなくとも猛威を振るう事もしょっちゅうですからどうしようもないw

 日本人の特筆すべき点は、それらの自然現象に対して柔軟な感情を持つことに成功した点にあると私は考えています。例えば伝承などで洪水を起こす龍神と田畑に水をもたらす龍神は全く同じ存在だったりしますよね。日本人は自然という現象をとりあえず擬人化しておいて、正邪両極端の性格を持つ、時折困ったこともやってしまう隣人として付き合うことにしたんです。自然に対して単に畏れるのみなのではなく、同時に愛しても来たんですね。
 もっとも日本に限らず他国のアニミズム文化の神々や精霊もこの様なものなのかも知れませんが、私は外国の宗教観にはあまり詳しくないもので その点についてはご容赦願いますw
 ただし、それでも日本の神道が果たしてきた役割りは海外に比べて特異だったとは思っています。他文化と全面衝突をする事なく今日の日本と呼ばれる地域まで神道が広まっていった背景には、正にこの「緩さ」があったからではないでしょうか。

 東方ボカロアイマスのニコマス御三家は、すべてこの日本的「緩さ」を色濃く受け継いでいるものと私は考えています。折角の伝統文化からの賜り物なのですから、末永く…といっても出来るだけ長くという程度の感覚で、長く付き合っていければなと思います。

--------

 何の話でしたっけ?
 そうそう、恐怖についてでしたw
 これは友人からの受け売りなのですが、アメリカなどのホラーと日本のホラーの一番の違いは理不尽さにあるのだそうです。例えば、ある人が別のある人にかけた呪いなどが、全くの部外者に累を及ぼすと云ったような感じですね。呪いそのものの得体の知れなさと相まって実に理不尽極まりない。それから日本の江戸期の怪談話などについては、そのストーリーの中に必ずといっていいほど「水」というファクターが付与されているそうです。なんでも演出上必要不可欠なのだそうで。
 確かにgase2さんのおっしゃるとおり、過去の怪談話と現代の怪談話を比較してみれば、人々の生死間を含む様々な価値観の変化が読み取れるかも知れませんね。映画を見ればその国のお国柄やその時代の国際情勢が見えてくるように。
Tom | URL | 2010/04/07/Wed 20:06 [編集]
 T_Uさんこんにちは!

>単に自分の思いつきなんですが、いわゆる怪談って江戸期からのものですよね。
>それ以前の創作物(gase2さんの専門である能とか)ではあまり「恐怖を楽しむ」
>ということはありません……よね?
 そうなんですよ! 能では幽霊っていうのは、「向こう側に行った人が帰ってきた」ぐらいの描かれ方で、それが「怖いことだ」「あってはならないことだ」という描写は全然ないですね。「不思議なことだ」くらいのもんです。もちろん、幽霊は必ず元居た世界に帰って行くか、夢オチで終わるんですが、誰かを道連れにするとかいった、現代の怪談のような「生きている者に対する恨み」の描写はほとんどないですね。
 むしろ現代人は闇などの「怖いもの」を遠ざけてしまったがゆえに、昔の人よりも死や死後の世界に過敏になってしまっているようにも見えます。いわゆる「山姥(やまんば)」なんかも、能に残っているものや他の資料から見て、少なくとも室町時代くらいまでは、山に住む「守り神」のような存在で、村人が困った時に人知れず助けてくれる、現代の「小人さん」みたいな存在だったようです。それがここ数百年ほどで、いつの間にやら人喰い鬼のようなイメージが定着してしまったのは、たぶん江戸期以降の都市部では、そういった山に対する恐怖や畏敬が経験的なものではなくなってしまって、実際に山と共に暮らしていない人々が、勝手に怖いイメージの部分だけを膨らませてしまったのかもしれません。

 こんな話をしていると、漫画版の「風の谷のナウシカ」で、シュワの墓所にいる肉塊が、「光を…」と言いながら死んで行くのを思い出しますねw 光を求める心こそが、闇を遠ざけると共に、闇に対する恐怖を増幅させてしまっているのかもしれません。
 怖がるだけかと思えば急に信仰しだしたり、現代人の自然に対する態度は、なんとも極端に思えます。
gase2 | URL | 2010/04/07/Wed 20:26 [編集]
■Tomさんへ

 いや、さすがです。ここまで来ると、もう私の手には負えませんねw もちろん、それぞれの論点について、自分の考えを一つ一つ開陳することも出来ますが、最近忙しいので、時間的に無理ですw すいませんw

 ただ、やはり「理不尽さ」「得体のしれなさ」というのは、現代の怪談に顕著だと思います。むしろ昔話なんかでは、あまり現代のよく出来た怪談にあるような「なぜ呪われるのか、殺されるのか、理由が全く分からない」「祟りを起こす存在の正体が分からない」などの話はほとんどないように思います。
 ここら辺に、現代人の歪んだ恐怖が表れているのかもしれません。あらゆる現象に科学で「理由」が付けられていくわけですから、それが欠落したものに恐怖を感じるようになってきたのかもしれませんね。
gase2 | URL | 2010/04/07/Wed 21:00 [編集]
>>gase2さん
あまりお時間とれないのは承知していたのですが、今回お話は自分の作品に対する捉え方を考え直すいいきっかけになったので自制しきれず、つい投下してしまいました。いや、ほんとスイマセンw
ではでは!面白い話題をありがとうございました。
Tom | URL | 2010/04/08/Thu 21:24 [編集]
■Tomさんへ

 いえいえ、論点はとても重要なものだと思いますよw 実際に自然の近くに住んでらっしゃる方の話は貴重ですし。ただ、さすがにテーマが深くなってきたので、あんまり浅いことを書いてしまうのは恥ずかしいなとw
 神社とかの聖域が、日本では夜には異界として扱われてしまうのも不思議ですよね。西洋の教会と対比すると示唆的です。日本では特に神社が、怪談の主要な舞台になることが多いですね。お稲荷さまなどは、祟ったり、バチを下したり、気まぐれで呪ったりもします。一方で寺はどちらかというと神聖なことが多く、呪われた人形などが持ち込まれて事件が解決…というか、沈静化する役割をよく果たします。その割に菩薩とかお釈迦さまとか、具体的な宗教的存在が登場して力を貸してくれるということは、ほぼありません。ここら辺にも神道や仏教に対する現代人の意識が表れてると思います。江戸時代より前の時代の創作には、仏教の神的存在が人間を助けてくれる話は多いのですが…。
 日本では、災いを為すのも、ご利益をくれるのも、同じ(神道的な意味での)「神さま」ですからね。西洋的な一神教の神さまはどちらかというと戒律に背いた罰としての災いを下すわけですが、日本では神さまの気まぐれに人間が振り回されてしまうことが多く、これはギリシア神話なんかに近いと思います。でも、ギリシア神話の神さまは牧歌的で明るいですからね。

 こんなことを考えて行くと、やっぱりこの分野は深すぎますねw でも、掘り下げる価値のある分野だと思います。
gase2 | URL | 2010/04/08/Thu 22:42 [編集]
トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 白雅雪blog. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。