iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【iM@S架空ドラマシリーズ】美希は時のかなたへ・第六話
 糸冬P
 

 また「形式」について語ろうかと思ったんですが、まとまりませんね。非常に難しい問題です。今回は一人、キツめのコメをしてる人がいましたが、彼のような人が言いたいことは分かります。色々豪華なノベマスを求めるのは人情でしょう。
 ただまあ、何回も言ってますが、純粋紙芝居にも良さがあるんです。それは文章や立ち絵の選択くらいにしか目が行かないことですね。能を見てる時に、羽目板の松の絵を眺めてる人がいないのと同じことです。映画では役者の演技そっちのけでセットの素晴らしさに目が行くことがありますが、能の舞台はただの板の集まりなんで、誰もそれをしげしげとは見ない。では何を見るのかというと、人間を見るわけです。雰囲気は、人間だけが作る。舞台は何もしてくれない。
 こういう純粋紙芝居というのも、同様に他の付属的な視覚要素でなく、文章の中身に意識を集中させる効果があります。他の部分にあまり目が行かないのだから当然なんですが。もちろん、だからと言って小説になってしまうと、これは抽象化の行き過ぎですね。どこかで止める必要があって、そのギリギリのところが純粋紙芝居なんでしょう。ノベマスや架空戦記も、哀川翔Pの「春香たちの夜」とか、呂凱Pの「閣下三国志」とか、初期のものはむしろ、プレイ動画やボイスなどを含んだ豪華なものでした。それがやがて単純化される形で純粋紙芝居になったわけです。純粋紙芝居に色々なものがくっついて「進化」して行ったわけではありません。この成立過程には注意を要します。
 自分でもまとまらないので深入りは避けますが、そんなわけでこの作品では、糸冬Pの微妙な、しかし他の架空戦記Pとは明らかに違う文章の個性や良さを味わえるので、私は押すわけですw まあ、これが伝わりにくいのは分かります。ニコマスが滅びる日まで理解されないかもしれない。
 でも、ゲームが映画になろうとした失敗を忘れてはいけません。私は、アイマス架空戦記が小説やノベルゲームや映画になろうとしたり、その良さを再現出来れば出来るほど素晴らしいとするのは、違うと思うわけです。「小説や映画のような『上』のメディアに、アイマス架空戦記も『追いつく』べき」だとする理由はどこにもないというのが私の意見です。自分はむしろ、そういう既存のメディアの確立した形式が一度ニコマスでリセットされたことに意義があると思います。
 だから自分は「小説ではこうだ」というルールの輸入に反発したくなるんでしょうね。そういう形式の上では生まれ得なかったものがやっとここで生まれたのに、なんでわざわざその形式を当てはめようとするんだと。「いや、小説ではこの形式に従うから素晴らしいものが生まれてきたじゃないか。だからノベマスもそれを取り入れよう」というんでしょうが、ここでは、そんな形式に従ってきたからニコマスのようなものが生まれなかったんだ、という重要な事実が軽視されています。それはなぜかというと、小説やノベルゲームや映画は、ノベマスより「上」だと思われてるからでしょう。
 私にとってはその前提から間違っているので、これは議論にもなりません。私はむしろノベマスというのは、小説やノベルゲームや映画やラノベや、そんな既製の物の「良さ」を再現する必要なんかないと思っているわけです。ゲームが映画の「良さ」を再現するメディアを目指す必要がなかったように…。まあ、色んな人の意見を見る限り、多くの人にとっては、ニコマスは他のメディアの劣化版、あるいは代替物なのかもしれません。心のどこかで小説や映画やアニメやゲームにコンプレックスがあって、最近ではSHIのコメなんかが典型でしょうが、そういうものの良さががニコマスで再現されることに喝采を送る人が多いようにも見えます。しかし、私にとっては、ニコマスはれっきとした一つのメディアです。それは他のメディアに劣っているものではなく、従って他のメディアのルールに拘束される必要もないと思ってます。むしろ他のメディアのルールが、ニコマスに応じて曲げられるべきでしょう。そしてそれを行った結果が、数々の「ルール違反」を犯した、傑作架空戦記の数々だとも思っています。
 私も自分の動画では、能のルールを散々曲げました。理由は簡単で、自分が投稿する動画が「能であるべき」だとは全く思わなかったからです。むしろ「ニコマスであるべき」だと思っていたので、能のルールを曲げたわけです。「能ではこうなってるんだから、雰囲気が落ちてもこれは変えられない」としたところは一つもありません。ニコマスや「隣に…」の世界とぶつかるところは、全部能の方のルールを変えました。ニコマスではニコマスに従うべきであると思ったからです。ニコマスが能に従うべきではない。たとえ能の方が、ずっと「高級」であろうとも。
 糸冬Pは、しかし、幻戦記で、「やろうと思えば、アイマス架空戦記は小説になれる」ことを示してしまった人です。それに(私を含めた)多くの人が熱狂し、自分たちのメディアから「小説」という「高級なもの」が生まれたこと感動し、矜持を感じていたからこそ、糸冬Pが第十七回で「小説であること」を放棄し、「これはただのニコニコ動画なんだ」ということを宣言した時、怒りや幻滅を覚えたのではないでしょうか。
 と言っても、「幻戦記」は最初からただの「ニコニコ動画」にすぎず、視聴者の見ていた夢が幻だったのか、それとも糸冬Pは「小説」を完成間際でぶち壊して「ニコニコ動画」にしてしまったのか、真相は分かりませんが、この再生数の低い「ミキトキ」をまったり見る時、自分は「これでよかったんだ」と思うことがあります。ここで感じられる文章への感動は、ノベルゲームでも、RPGでも、小説でも、能でも、感じられないものだからです。他のメディアの感動の劣化版ではありません。この感動は、ニコマス独自のものです。
 私はニコマスを通して、小説や映画の良さを感じたいのではないのです。

 ***

 今回は、真の扱いが上手かったですね。この作品ではアイマスの各キャラが、ノベマスの最大公約数的なキャラクター像に則って、非常に精緻に操作されています。ただ、どちらかというと、動いているキャラそのものより、私は「動かしている人の上手さ」に感動しているので、これは邪道な鑑賞法かもしれませんねw
 話自体は非常にあっさりしていて、流れるように進んで行きます。糸冬Pも自分で言ってますが、少し流しすぎの感もあるので、もっと色々止めてくれた方が良かったという思いはないでもないんですが、この話はこれでいいでしょう。彼の「本気」は、また別の機会に発揮されると思いますw この作品は、完成した額縁付きの「作品」というよりは、デッサンを見ているような感じですね。でも、半端な画家の作品より、大芸術家のデッサンの方が素晴らしい場合だってありますよ。彼のファンとしては、この作品に表れている、キャラを操作する際の細やかな気配りなどに見とれますね。
 自分としてはその程度で満足なんですが、糸冬Pが「こんな」作品を作っているのを見て、退役軍人が盆栽いじりをしてるような残念さを感じる人もいると思いますw でも、ここで使われてるキャラの操作技術はすごいものですよ。分かりやすい形で提示されれば、必ず大向こうを唸らせてくれるでしょう。このすごさを中々他人に伝えることが出来ないのが、もどかしくて残念です。

■追記
 どうにもまとまらない内容ですいません。一時twitterに浮気してたり、次の動画や仕事や資格試験があるので、ブログの記事を書く能力が随分落ちてますねw またブログに力を入れて感覚を取り戻していきたいと思ってますので、今しばらくご辛抱ください。
スポンサーサイト

コメントの投稿

 管理者にだけ表示を許可する

毎度紹介いただき、ありがとうございます。
残り、あと2,3回かなと思います。

原作のグダグダな後半をどうしようか考えがまとまっていない分、はやくその箇所をやっつけたくて駆け足になってるキライもあります。
要らん描写を入れて、最後に整合性がとれなくなるのを怖がってる的な意味で。

純然たる紙芝居ですと、アクション系の要素の演出がどうにもならないですね。
顔グラの都合で顔グラ表示枠が固定になっているので、よけいに動かしづらいです。
「小説を書くなら、こんな苦しみ方はしないのに」と思ってしまうあたり、やはり自分の技法のルーツは小説なんだなと実感します。

再生数に関しては、それこそアイマス野球道の最後に「このあとすぐ!」の画像を入れて、自動ジャンプ機能で引っ張ってくれば200や300は稼げる(笑)、とか。
そういうヘンな余裕があるのが、却っていかんのかも知れません。

「退役軍人の盆栽いじり」というのは、なかなか要点を衝いたありがたい褒め言葉でして、いずれ引用させていたく事になりそうです。
第二次ウソm@sの自作動画をみても思いますが、数字をぜんぜん持ってないPなんだなー、と痛感しております(笑
いくら今から本気を出したくても、もうトレンドについていけてないんでしょうね。
糸冬P | URL | 2010/04/11/Sun 22:07 [編集]
 こんにちは、コメントありがとうございます。
 なんかちょっと、色々吐き出しすぎましたねw 一部失礼な表現に当たったかもしれません。申し訳ないです。
 
 アクションは、最近はいとしいさかなPなんかが上手いですね。でも、四角い枠だとどうしようもないですからね。腰痛Pだったかも、昔「台詞だけで状況を描写するのは難しい」と書いてました。

 小説はやっぱり、糸冬Pの文章の根底に流れてると思いますw ノベマスというのは、基本的には文章が表している状況が鑑賞の対象なんですが、そうではなく、文章それ自体の味とか流れとかが鑑賞の対象になるものとしては、糸冬PといとしいさかなPの作品が飛び抜けてると思います。
 また、本文中では「小説になる必要はない」と断言してますが、最終的には、全ての芸能は同じような場所を目指すものですから、「小説であること」を100%拒否したり、そうならないように努力するというのは違うとも思ってます。佳きノベマスたらんとして小説になるのはいいけど、佳き小説たらんとするなら小説でやるべきであって、ノベマスである必要はない…というような理屈です。しかし、そこにいかほどの差があるのか? また、結果が佳きノベマスであれば作者の思想や方法論は不問でいいじゃないかとの反論も筋が通っているので、まだ自分の主張を整理出来ているわけではありません。それにこういう細かい論点を全部書いていくと、エントリが長大になって手に負えないというのもありますw これは非常に微妙かつ難解な問題だと思ってます。

 再生数は、無理に増やさなくていいじゃないですかw 現実の小説の世界と違って、ニコマスの視聴者というのは、「誰が作ってるか」はほとんど一顧だにせず、「自分にとって面白い作品かどうか」だけで見る動画を決めますからね。ハードな業界ですけど、正直なところが出てていいんじゃないでしょうか。「作者が糸冬Pである」というだけで、大量の人が「あんまり面白くないな」と思いながらも動画を見続けるようになったら、ニコマスの堕落ですよw

>退役軍人の盆栽いじり
 これは失礼な表現だというのは承知してたんですが、こう思ってる人は多いんじゃないかな、と思ったので書きました。ただし、私自身は全然そう思ってません。

>いくら今から本気を出したくても、もうトレンドについていけてないんでしょうね。
 いや、ニコマスに限らず、ニコニコ動画というのは、とにかく質より数で勝負の世界ですからね。トレンドなるものもあってないようなもので、色んな人が、色んなものを出し続けるしかないんじゃないでしょうか。野球道だって、最初は「盆栽いじり」に見えましたが、今では連載中の架空戦記の中で、確固たる地位を築いてますからね。素晴らしい才能と技術があるわけですから、また再生数の面で返り咲いたら、年寄りの空手の達人が、絡んできたチンピラ共を薙ぎ倒すようなカッコ良さがあるかもしれませんよw
 要するに、ミキトキなんかを見てると、退役軍人が盆栽いじりをしてる…ように見えて、実は厳しい鍛錬を欠かしていないように見えるわけです。あとは、機会と運だけでしょうw 腰痛Pが「あねぴよのヒットは交通事故」と言ってましたが、そんなもんだと思いますw

 では、これからも頑張ってください。
gase2 | URL | 2010/04/11/Sun 23:07 [編集]
トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 白雅雪blog. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。