iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

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アイマス借りてきた ハッピーエンド 【終】
 無免許P
 

 これもまた終わってしまいました。
 今回は余韻が残ってる状態で、あえて感情に任せて書ききってしまおうと思います。今は今の感情を記録しておきましょう。

 この作品も「美希は時のかなたへ」と同様、万歳三唱で完走を祝うことは出来ませんでした。やはり、最後まで抽象的なまま終わってしまったのは残念だったといえます。何か円の周りをぐるぐる回ってるのに、いつまで経っても中心に辿り着けないようなもどかしさがありました。自分としては、堂々と説明してほしかったですね。それは一気に話が陳腐になってしまう危険性があるので、やったらやったでまた私は文句を言ってたかもしれませんがw しかし、これは見終わった今の、無責任かつ正直な感想です。
 一方で、スタッフロールが流れた後の、この放心したような感じは、素晴らしいアニメや映画、ゲームが終わった直後と似た「あの感覚」でした。これは狙ったでしょう。そして、成功してます。じーんと来る、切ないような、無力なような、そんな感覚ですね。これは商業作品によくあるタイプの感動なので、以前このブログで、この作品が「作品を通じた視聴者のコミュニケーションを目的としてない」と書いたのは、やはり合ってたと勝手に思ってますw

 この作品は抽象的なので、色んな人が、色んなことを言えると思います。なので、自分の意見は、あんまり一般的でないと思われるものを一つだけ書いておきます。
 それは、天海春香は「他者」ではないのではないか、ということです。
 と言っても、「他者を描けてない」というのは芥川賞作家なんかが世俗の作品をこき下ろす常套句になってますが、私は「俺は他者を描けてる」とかいう作家は偽物だと思ってるので、そういう意味ではありません。なんというか、アイドルって何だ、という話ですね。
 春香はドーム成功ED後にああなるわけですが、私は、あそこで振られたのは、むしろプレイヤーだと思ってます。アイドルがプレイヤーを振るわけにはいかないので、プロデューサーが春香を振る形になってますが、それによって、プレイヤーはゲーム世界から拒絶されることになります。だから、プロデューサーから拒絶される春香の悲しみは、実はそのイベントによって二次元の世界から拒絶された、画面の前のプレイヤーの悲しみと合わせ鏡になっているのではないか、ということです。「どうあってもプロデューサーと結ばれない存在」である春香が、「どうあっても二次元キャラと結ばれることが出来ない存在」であるプレイヤーと、だまし絵のように重なり合っているように思えるわけですね。だから「ドーム成功EDの春香の悲しみ」に涙する時、私は常に、あの春香の儚い笑顔の向こうに、二次元の世界から拒絶され、悄然と佇む自分の姿があるのではないかと思ってしまうことがあります。
 それはこのタイプのゲームではよく起こる現象ではありますが、「春閣下」などのキャラを見ていると、ニコマスではこの側面――拒絶された彼女(あるいは私)が特に強調されているように思います。春閣下という存在は、ある意味でニコマスや二次創作を体現する存在であり、書き出すと底なしなのでやめたいのですが、この作品の最後の春香はパンゴシなので、少しだけ触れざるを得ません。
 たとえば愚民というのは、実は春閣下を支配しているのではないか、と感じることがあります。奴隷の首には鎖がつながれており、その一端は主人が握っていますから、奴隷は一見、「主人から逃げられない」ように見えます。しかし、奴隷は主人の命に従い続けることで、「この奴隷を手放したくない」と主人に思わせることが出来れば、主人はその鎖の一端を手放すことが出来なくなります。すると、ある鎖の一端には、決して自分からは外せない首輪を付けられた奴隷がいて、また一方には、決して自分からは手放せない鎖を持った主人がいることになります。…さて、鎖に「繋がれている」のは、一体どちらなのでしょうか?
 この意味で、奴隷と主人の支配の関係は容易に逆転するのであり、春閣下に木偶人形のように従う愚民たちは、実は春閣下を支配しようとしているのかもしれません。またゲームというものも、プレイヤーが自由に操作出来る媒体でありながら、さながらプレイヤーがゲームに支配されているかのような不気味さが良くクローズアップされます。それはゲームというものの一面でしかありませんが、しかし、支配という行為の隷属性がよく表れている現象だとも言えます。
 さて、この作品の春香はパンゴシです。すると、どうしてもそこには「支配」のニュアンスが(私にとっては)付きまといます。実際、このカセットは、今までプレイヤーに対してそうしてきたのかもしれない。しかしながら、彼女はこの鎖の一端を捨てたわけです。それは一見、この作品でいう「俺(中の人)」が解放されているように見えますが、解放されたのは、実は春香たちの方なのかもしれない。
 そして、先ほども言いましたが、悲しみを背負った春香は常に、我々アイマスと相対する者たちの鏡像なのです。世界を破壊し、鎖の一端を捨て、浄化された光の中に消えて行く春香は、我々で言えば――。
 しかし、我々がそれを出来ないからこそ、彼女が代わりにやってくれたのでしょう。
 そして、我々がそれを悔やむからこそ、彼女はもう一度現れました。

Happy end...
Happy start...?

 これは…幸せなのでしょうか?
 春香は我々の主人なのでしょうか、それとも、奴隷なのでしょうか?
 あるいは――「鎖」なのでしょうか?

 この解釈は少し残酷なのでここら辺で止めておきますが、一つだけ言えることは、この作品はアイマスという作品と我々との関わりについて、極めて客観的で冷酷な問いかけをしてくるということです。ついにニコマスにも、こういった作品が来たかという感じです。再生数が低いのはそのせいかもしれません。
 しかし、私はこの問いかけに対して、決して耳を閉ざしてはならないと思っています。

 冒頭でも書いた通り、決して諸手を上げて迎えられるフィナーレではなく、自分には「これで良かったのだろうか…」という気持ちがどうしても残ってしまう作品でしたが、一方で、絶妙な間の取り方や、見慣れた立ち絵に研ぎ澄まされた美しさを吹き込む緻密な画面作り、静謐さを漂わせる抑制されたBGM選択など、この作品には技術的にも出色の物がありました。この内容でこの再生数はニコマスの現状を考えても腹が立つくらいですが、私のニコマス生活を彩る、思い出深い作品になってくれたことは事実です。同じ想いの人が、この世に少なくとも数百人はいることをもって、せめてもの慰めにする他はありません。

 ***

 まだ余韻が残っています。
 気持ちのいい余韻です。

 アイドルにとっての、ゲームキャラにとっての死とは、「忘れられること」でしょう。
 かのカセットからは、アイマスのデータは消えてしまいました。
 しかし、プレイヤーは春香のことを忘れなかったでしょう。お決まりの台詞ですね。「心の中で生き続ける」という奴です。
 では、アイドルたちにとって、我々プレイヤーの「死」とは、一体何なのでしょうか。

 この作品が語ろうとしたこと、描こうとしたことは、とても深くて、重要なことです。
 いずれ人々がこの作品を見直す日が、きっと来るでしょう。
 それが1年後か10年後か100年後かは分かりませんが、私がリアルタイムの読者の一人であったことだけは、どうやら自慢出来そうです。
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どうも無免許Pです。
最終話までお付き合いいただき、ありがとうございました。

作り終わって、なにやら終わってしまったなぁ感はありましたが、
何も出さないで未完よりは良いんでしょうね。


ご指摘の通り、この動画は、あくまでも抽象的な表現で終り、
誰でも良いように捉えられる話になりました。

動画のそれで良いとか、自分はこういう考えだから違うでも良いです。
雅雪P様のように、自分の意見を出してもらい拝見するのが、案外、この動画の目的になっていたのかもしれません。
そういう意味で、みんながPであって、願い行うプレイヤーである、って話は大切かなと感じています。

ま、私はそんなに深いこと考えてないので、荒唐無稽になっちゃいましたが、
「これで良かったのだろうか…」 と思っていただけたなら、この動画は正解だったと思えます。
上記の通り、誰かの声が聞けたことは、とても満足できたことでしたから。

自分の作っていく物に、そういった答えやら言葉が込められるよう、次に励むしかありませんが、
やっぱり、ここまで意見や感想をくれた皆様に感謝するのが大事だと学べた事が一番良かったです。


それでは、長文になりましたが、動画の方、ご視聴おつかれさまでした。
雅雪P様の様な方々の心に留まる動画が、今後も作れましたら、幸いです。

今一度感謝を。
本当に、ありがとうございました。
無免許P | URL | 2010/05/19/Wed 02:42 [編集]
 こんにちは。コメントありがとうございます。

 なんとも微妙なエントリになってしまってすいませんw やはり「完走万歳!」「傑作万歳!」と本当は言いたかったのですが、これが今の自分の正直な気持ちです。
 しかし、思い出深い作品になりました。素晴らしいひとときを提供してくださったことに感謝しています。この作品そのものも当然素晴らしいんですが、無免許PのようなニコマスPの方々と、今同じこの時代を生きていることが、一番幸せに思えます。作品というのは、そういうことの再確認のためにあるのかもしれません。

 「また次回作をお願いします」と言いたい所ですが、何かこの最終回を見てしまった今では、一度無免許Pとお別れになるような感覚がありますw 「再会」のはずなのに、なぜか「別れ」を強く感じさせる最終回でした。
 だから、こう言いましょうか。

< またお会いしましょう!w >
gase2(雅雪P) | URL | 2010/05/19/Wed 13:01 [編集]
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