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ブレヒトの異化効果 ?能からニコニコ動画のコメントまで? 前編
 こんにちは。
 今回は西洋演劇の理論で、ニコニコ動画のコメントの効果について語ってみようと思います。
 今日は前編になります。いつも文が長くてすいません。
 タイトルにある「ブレヒト」とは、ベルトルト・ブレヒトという1898年生まれの、ドイツの劇作家です。
 彼はマルクスかぶれの左派演劇人であり、いわゆる「前衛芸術」の推進派でした。戦後はアメリカで赤狩りにあい、東ドイツへ逃亡して一生を終えています。
 
 そんな彼の提唱した演劇理論に、「異化効果」というものがあります。
 その意味を知るにはまず、ナチスドイツによる芸術政策について知る必要があります。

<1.第三帝国のカタルシス>

 第三帝国におけるヒトラーの才能は、特にプロパガンダの分野において素晴らしい効果を発揮しました。
 たとえば哲学者のハイデガーは、ユダヤ人の妻を持つ同僚の哲学者カール・ヤスパースに「ヒトラーについてどう思うか?」と聞かれ、こう答えたといいます。

 「見たまえ、あの輝く手を

 ここでハイデガーの言う「輝く手」とは、天才女流映画監督レニ・リーフェンシュタールの傑作プロパガンダ映画『意志の勝利』におけるワンシーンに由来しているといいます。レニは太陽の光がヒトラーの手に反射してきらきらと輝くような映像を撮影し、まるでヒトラーが神の祝福を受けているかのような劇的なワンシーンを捉えたのです。
 当時はハイデガーほどの知性を持った人間までもが、芸術の魔力に頭がやられていたのかもしれません。

 第三帝国がプロパガンダに利用したのは、映画だけではありませんでした。クラシック音楽もその一つです。
 ナチスはメンデルスゾーンやマーラーを「ユダヤ人の音楽」として排斥する一方で、ワグネリズム(ワーグナー主義)の考え方から、「真にドイツ的な」音楽を奨励しました。その一つが、ベートーベンです。
 そして当時のドイツには、ベートーベンの交響曲を指揮する能力にかけては、世界で一本の指から漏れえない男がいました。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーです。

 フルトヴェングラーはナチスに対していい印象を持っていなかったものの、イタリアの巨匠トスカニーニのように強烈な「反ナチス」でもなく、ぐずぐずとドイツに残っていました。一説には、ドイツ国民に対して「真の芸術」を聞かせることで、国民がナチスの洗脳から目覚めてくれるのではないかという、淡い期待があったのだともいいます。
 しかし、そんな彼の元には、毎年のようにヒトラー生誕前夜祭で指揮をするよう、依頼が来ていました。ナチスのことが嫌いだった彼は、主治医に毎年偽のカルテを書いてもらってこれを回避していたのですが、1942年、ついに彼は言い訳が出来なくなり、ライブに登場することになりました。
 その時の貴重な映像が、YouTubeにアップされています。



 演奏の凄まじさもさることながら、今日的な観点から見ると、大きく垂れ下がったハーケンクロイツの旗に、いくばくかの感慨を禁じえません。そして資料的な観点から注目すべきなのは、動画の一番最後です。

 当時、ナチスが支配するドイツ国内に留まっているフルトヴェングラーが、ナチスに対してどんな感情を抱いているのかは、世界中の注目の的でした。ですからナチスとしては、巨匠フルトヴェングラーがナチスに心酔している様を、映像で世界中に流したかったのです。
 そこでナチスが考えたのは、フルトヴェングラーにベートーベンの第九を演奏させ、その偉大な演奏の後に、ナチス式の敬礼をさせることでした。「真にドイツ的な」ベートーベンの音楽を、二十世紀最高の指揮者が演奏し、そして最後にナチス式敬礼を行う。このことによって、「この偉大な音楽こそがナチスの思想であり、存在意義なのだ」ということを内外に示そうとしたのです。これが成功すれば、効果は抜群でしょう。

 ところがYouTubeの映像を見れば分かるとおり、フルトヴェングラーは演奏後に、ナチス式敬礼を行いませんでした。彼は聴衆に向かって頭を下げるだけで済まそうとしたのです。
 それは彼なりの、ナチスに対する抵抗だったのでしょう。1942年当時の状況を考えれば、とても勇気のいることだったと思います。
 けれども、そんなフルトヴェングラーの様子を見て、ステージに駆け寄り、握手を求める男が、動画には映っています。彼こそは、当時の宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスです。頭の回転の速いこの男は、何としても、フルトヴェングラーとナチスが友好関係にあることを内外に示そうと、とっさの思いつきで行動に出たのです。
 そしてその目論見は成功しました。この握手の求めは、さすがのフルトヴェングラーも断りきれず、受けてしまいます。そして二人の握手の瞬間を、無数のカメラのシャッターがとらえ、二人の写真は、「フルトヴェングラーとナチスの蜜月」として、世界中に流されてしまうことになるのです。

 このように、当時の第三帝国では、「感動的な演奏や映像で視聴者を幻惑し、その隙にナチスに対するイメージをすりこむ」といった手法が行われていました。そしてそれは、一定の効果を上げたと言っていいでしょう。
 二十世紀に入り、芸術家は、純粋に芸術をやっているだけではいられなくなりました。フルトヴェングラーの例のように、本人は真面目に音楽をやっているだけでも、それが国家に利用され、感動的な音楽が、人々の洗脳に使われてしまうような時代が来てしまったのです。
 
 そんな二十世紀の芸術家のあり方に、一つの方向性を示したのが、冒頭で触れたブレヒトでした。
 彼は観客から批判能力を奪い、一方的なカタルシスを与えるだけの従来の演劇を批判し、観客が批判能力を維持したまま鑑賞できるような劇作を追及しました。そこで彼が提唱したのが、「カタルシス=浄化作用」に対置されるべきものとしての、「異化効果」でした。

 次回は、その異化効果の内容と、能における異化効果の具体的適用例、そしてニコニコ動画のコメントの持つ異化効果について語ろうと思っています。
 今回は以上です。
 お疲れ様でした。
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