iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【アイマス×FM1】 『@ Minefield』 mission-20(Dpart)(Epart)
 テンダスP
 
 

 平日に休みが取れたので、久々に積んでたノベマスを崩してます。
 最近は忙しいので、どうしても糸冬Pの野球道とか、軽くてすんなり見れるものが中心になってしまって、こういった重い作品は見るのが億劫になり、後回しになりがちです。しかし、こうして休みを取ってゆっくりできると、ノベマスも割合すんなりと、抵抗なく見れますね。そしてブログを書く気力も生まれますw やっぱり必要なのは「時間」なんでしょうねw
 また、重くて見始めるのが辛いというのは、ノベマスに限らずノベルゲーなど文章系メディア全般の共通事項で、私も『Fate/stay night』を借りてからやり始めるまで、半年くらい掛かった記憶がありますw ただ、最近はこのテンダスPの他にも、無免許P(・A・)Pなど、どちらかというとシリアスで重いノベマスに良作が多く、宇垣Pの『天海提督の決断』や呂凱Pの『閣下三国志』、孟徳Pの『曹操がプロデュース業を始めたようです』など、ライトでギャグ成分が多い作品が主軸だった時代とは隔世の感があります。
 宇垣Pの『天海提督の決断 第一話』の投稿日である2008年3月22日がニコマスデビューのその日であった私の考えとしては、やはりこれは、少し寂しい側面ではあります。しかし、これは時代の流れだと思うので、「古き佳き時代に戻ろう」というのは無駄であり、むしろこういったシリアス系の良作が隆盛を極めることで、また今度はギャグが見直され・・・というのが歴史の波というものですから、今はこういったシリアス系に頑張って貰うのがベストだとも思っています。また、こういうシリアス系が増えたのも、一つには、ギャグ系がある程度極められてしまった、というのがあると思います。創造の後には破壊が必要で、その破壊がまた創造となって、次なる破壊を待つことになるのではないでしょうか。

 さて、ずらずらと書いて来ましたが、動画の内容については、例によってあんまり言う事ないんですねw 「面白かった、次回が楽しみだ」 これで終わりですw まあ、それがエンタメ作品というものですから、それでいい、というかそれが理想であるとも思います。

 それでも一つだけ言うべきものがあるとしたら、Dpartの4:38、ハルカの激昂でしょうか。これは二次創作・・・あるいはノベマス特有の表現だと思います。
 ここでハルカはかなり激しい口調で詰め寄りますが、多くの人が、このハルカの口調や台詞にある違和感を抱いたのではないでしょうか。つまり、「劇中のハルカ」はこんなこと言うか? ということです。説明しにくいのですが、商業アニメや商業小説で、キャラがこのような台詞を吐いたら、多くの人が「キャラ崩壊」だと思うのではないでしょうか。
 しかし、この動画では、ハルカがこのようなことを言うはずがない、とは思いつつも、多くの人はまた、それを自然に受け入れたとも思います。このハルカの台詞の位置づけは難しく、こういった表現については色んな人の考えが聞きたいところですが、とりあえず今思いつく言葉で言えば、これは「演技」だと思います。といっても、劇中のハルカが、劇中のフレデリックに対して演技しているのではなく・・・むしろ劇中のハルカが、劇中を舞台としつつ、観客である視聴者に向かって演技しているのではないでしょうか。
 これを分かりやすいように整理すると、劇場には舞台の上に架空の世界があるわけですから、舞台の上を「架空世界」、舞台の外を「現実世界」としましょう。役者たちは、現実世界から架空世界に入り込み、演技をしているわけです。すると、この動画のハルカは、下記の三つの意味で役者になっているように思います。

(1)架空世界:戦場 現実世界:アイドル業界
(2)架空世界:フロンミッション 現実世界:アイドルマスター
(3)架空世界:動画の内部 現実世界:動画の外部

 もしこの作品が商業作品であれば、ハルカは(1)の意味でしか役者であってはならず、よって4:38の台詞はキャラ崩壊にしかなりません。
 しかしながら、アイマス架空戦記においては(2)のように、アイドルはアイドルマスターの世界の住人であり、それが他のゲームの舞台に入り込んで役柄を演じているという二重構造が生まれます。よって、他のゲームにアイドルマスターの世界の約束事やネタを持ち込むことが出来るようになります。もちろん、それは別にせずともよく、アイドルがアイドルマスター原作とは異なる世界を舞台にする時も、この(2)の点を強く打ち出さなければ、無免許Pの『アイマス借りてきた』のように、シリアスな雰囲気を高めることが出来るように思います。また、ノベマスというのは、この(2)の点を欠く、あるいは抑制するものが多いようにも思います。
 さて、この上さらに(3)の意味が加わることがあり、アイマス架空戦記では、この時点において初めて「メタ」として扱われることになります。ただ、アイマス架空戦記においてこの(3)の構造が生まれる時、通常、役者は視聴者との関係では演技をしないと思います。アイドルが架空戦記内で「まあ、この動画もボチボチ長くなってきたし・・・」などと言う時、そこでは役者と観客との関係が崩れ、舞台と客席との断絶が薄められているからこそ、メタと呼ばれて面白がられ、あるいは人によっては嫌悪されるのではないでしょうか。つまり、(3)の意味での舞台と観客は、普通はその隔たりがないからこそ意味があるわけです。
 しかし、この動画におけるハルカは、動画の内部から、外部の視聴者に向かって直接呼びかけたり、話しかけたりするのではなく、「演技」をしていると思います。4:38の激昂は、「フレデリックに対するハルカの台詞」でもなく、「アイマス世界の天海春香」の台詞でもなく、一般的なメタのように「客席に向かって話しかける役者」の台詞でもなく、「視聴者に対して聞かせることを強く意識した、ハルカ・アマミの台詞」だと思います。つまり、ハルカは(1)の世界の住人でありながら、同じ(1)の住人であるフレデリックではなく、(3)の意味での観客、つまり視聴者に向かって、自己を正当化するために、数々の心にもない台詞を吐いているように見えるわけです。しかもその時ハルカは、(3)の世界の観客である視聴者を意識してなお、自らが(3)の世界の役者にすぎないことを認めようとせず、あくまで(1)の世界の住人として振る舞い続けます。そして、そうやって舞台と客席との間に断絶を作り、架空の世界に逃げ込みながらも、その向こうにいる視聴者に対して、演劇的な意味でない「演技」をする・・・つまり視聴者を、騙し、欺き、ウソを付き――あるいは救いを求めてすがるのです。
 これはもはや演劇ではなく、そこには他人に対してすがる、一人の哀れな人間がいるだけです。しかし、しかし――ハルカは人間ではなくキャラであり、フロントミッション世界の住人ではなくアイマス世界の住人であり、現実世界ではなく動画世界の住人なのです。畢竟、全ては劇にすぎない。けれども、こういった構造を認識しながらも目を背け、(1)としての自己を肯定するために(3)の視聴者を欺罔するハルカは、いわば自分や他人ではなく、神を欺こうとしているのでしょう。そしてそれこそが、結局は(1)の意味での「道化」たるハルカの哀れさや悲しみを描き出しているのだと思います。これは上記のような複雑な構造を持つ二次創作だからこそあり得た表現ではないでしょうか。

 ***

 以上のことは、単純なことを複雑に考えすぎているきらいもあり、色々と甘い部分もありますが、そもそも単純に(1)とか(3)とかで割り切れるものではなく、それらの構造の間をたゆたうのもまたアイマス架空戦記の特徴ですから、原状でまとめるとこんなもんだと思います。

 また、ハルカ以外のアイマスキャラが、4:38のような台詞をほとんど喋らない点は、やはり彼女がこの作品で中心的な存在であり、一人だけ異なる次元に配置されていることを確認させます。しかし、それは単にこの作品でそうなっているというよりは、むしろアイマス原作における天海春香というキャラの位置づけとの関わりが深いと思いますが、これ以上は議論が発散するのでやめておきますw
 ただ、無免許Pの『アイマス借りてきた』などと合わせて、「春香とな何なのか?」といったような小難しい議論で遊ぶには、格好の材料なのではないでしょうか。二次創作の存在意義の一つには、このように、「そのキャラやゲームが、その時代の人々にとってどのような存在であったか」ということを、どんな批評よりも的確に表現しうる点があるように思います。
スポンサーサイト

コメントの投稿

 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 白雅雪blog. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。