iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

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【アイマス×メタルマックス】鋼の豆タンク第1話
 HHH氏(P名未定)
 

 この動画はすごいですね! ほぼ全編手描き・・・というか、自作の手描き立ち絵を使った、メタルマックスの架空戦記です。
 まず、当然ながらシナリオがいいですね。あいうえおPばりの、短い台詞とテンポのいいネタの投入で、流れるように進んで行きます。台詞はあいうえおPよりさらに短いと思います。
 私はメタルマックスの原作は知りませんが(過去にいくつかやってみたんですが、プレイが続かなかった)、思わずネットで元ネタを検索しながら見てしまいましたw これだけ元ネタが気になった作品は久しぶりですね。元ネタを知らない人も、「テッドブロイラー」「ドラム缶」などを調べると、ますます楽しめる作品です。
 また、手描きの架空戦記とはいいましたが、一枚絵を使うようなタイプではなく、「自作の立ち絵」を使うものなので、なんともいえない独特の趣きがあります。さらにその自作の立ち絵が、アイマスのコミュ画像を下敷きにしたものなので、純粋な「手描き」と「紙芝居」の中間のように感じますね。自分にはこういう作品は新鮮に思えました。

 ニコマスはもともと、二次創作としては公式の素材を活かすタイプの流儀で、立ち絵にしろPVにしろ公式画像を直接利用するものが多く、あまり大胆で奔放な手描きなどが出来ないジャンルです。そういった作品がニコマス民に受け入れられないというよりは、どちらかといえば、アイマスを素材にすると、そういった作品を作るのが難しかったり、面倒なことが多いのではないかと自分は思ってます。
 そんな中で、この作品のように、手描きなのにあえて「公式のコミュ画像」という一種の形式に飛び込むことで、逆に(見る側からの)自由さが生まれるというのは、いかにもニコマス作品という感じで、自分は感動しました。

 まあ、作者本人は、こんな面倒なこと考えてないとは思いますがw いや、それでいいんです。剣術にしろ能にしろ、昔の達人たちは、「重心をこう移動して・・・」などと考えてはいなかったでしょう。理論などというものが洗練されるようになるのは、ある意味で、文化の氷河期だともいえます。
 このブログをやっていて、たまに作者の方がコメントされますが、皆さんびっくりするぐらい、自分の作品に対しては、理論のようなものを持っていませんw 感覚でやってるんですね。あの人がこれをやってるから、真似してみる。いや、逆にこうしてみる。これが面白そうだから、やる。あれは流行ってるけど、面白いと思わないから、やらない。それくらいのものです。
 しかし、理論やら理性やらでなく、そういうものから作られるからこそ、「楽しい」んじゃないでしょうか。能の世界でも、細かい理屈はほとんど教えず、とにかく自分の頭で考えること、上手い人の謠や舞を真似することを指導されますが、こういったコミュニティの形成を狙っているのかもしれないですね。
 私はブログの記事は理屈で書いてますが、これは「面白かった!」の一言より何がしか意味のある感想を書こうと思ったらどうしてもこうなってしまうからで、「俺の理屈どおり作ればいい作品ができる」とは寸毫も思ってません。自分は感想文で書く理屈は、あくまで不可逆圧縮だと思ってます。こういう文章というのは「そんな風にまとめることも出来るかも」というだけで、抽象的な理論から作品が導けるわけではありません。いや、そういうことが出来る人もいるでしょうが、その創作理論というのも畢竟、属人的なものだと思います。創作理論に「普遍性」が主張されるのは、あまり見たくない光景ですね。

 私は架空戦記やノベマスに関しては、やたらと豪華な作品は苦手で、「頂点Pたちのコラボ」なるものに感動した記憶があまりありません。PVではコラボでも好きな作品が沢山ありますが、やはりノベ架空では、多少の技術より、一人の作者を中心に生み出される、統一された雰囲気や世界観が好きですね。ゲーム業界も、プロジェクトの巨大化と分業化が進み、それぞれの部署で作った部品を寄せ集めたような作品を見ることが多くなったので、自分はアイマス架空戦記の世界に避難してきたのかな、と思うことがあります。
 しかし、この動画はいわゆる「豪華な動画」に所属しながらも、色々な要素が有機的につながっていて、自分のような人間も大満足でした。

 あとは、正直ニコマスも惰性かな、と思う度にこういう作品が出てくるので、「なんで未だにこういう面白い作品が出てくるんだろう?」と不思議に思うことがありますねw
 自分は「ニコマスって素晴らしい!」というタイプではなく、3年近くもニコマスばっかり見てると、嫌な側面も多々見るわけです。けれども、そういう負のエネルギーも作品の魅力の源泉でしょうから、「作品が面白い内は見てよう」と思い続けて、未だに見続けてるわけです。
 今まで何度も「もうニコマスも駄目かな」と内心で思いましたが、その度に凄い作品が必ず出てきます。もちろん、これも永遠ではないでしょう。あらゆる芸能も何もかも、必ず廃れる時が来ます。自分は、そういう時に「いや、○○は死んでない。まだ生きてる。○○は永遠だ!」と言ってしまうと、逆によくないと考えている人間です。能なんかが奇跡的に続いてるのは、上手く「枯れる」ことが出来たからじゃないでしょうか。よくテレビで「いつまでも色あせない名曲」と言ってますが、ほとんどの曲は、若い人には聞かれてないし、やがて忘れられるでしょう。自分には、ああいったキャッチコピーは単なる強がりに聞こえることがあります。
 一方で能が上手く生き残ることが出来たのは、上手く「色あせる」ことが出来たからだと私は思ってます。つまり、「色あせてなお美しかった時」あるいは「死んでなお美しかった時」、芸能や文化は受け継がれていくのではないでしょうか。生きているゴキブリより、化石になった恐竜の方が美しいわけです。

 ニコマスの再生数は減りました。視聴者も減ったでしょう。これは厳然たる事実です。もはや往時の活気はないかもしれない。しかし、こういった素晴らしい作品が未だに登場するのを見ていると、ニコマスは上手く「枯れる」ことが出来るかもしれない、と思うことがあります。それは「○○は死んでない!」と叫びながら昔の作品ばかりを見たり聞いたりしているよりも、地味で、静かではありますが、ずっといい終わり方――いや、始まり方かもしれない、と思うわけです。
 「オワコン」という言葉が幼稚なのは、こういった文化の継受を想定しておらず、作品や二次創作が衰退したら、その先には「消滅」しかないと考えている点です。自転車が生まれ、自動車が生まれても、馬や馬車に乗る人はいます。テレビが生まれ、ネットが生まれても、ラジオは電気屋で売っています。文化の「死」は、必ずしも忘却と消滅を意味しません。歌謡曲が廃れても、それを聞きたい人がいて、商売が成り立つうちは残ります。私もニコマスが面白いうちは見続けます。それはアイマスが好きだからニコマスにしがみついてる訳ではなく、単純に面白いから見てるだけなわけです。
 そして、自分にとってはこの分野が今一番面白いので、この面白さが少しでも長く続いてほしいと、そう思いますね。昔のお祭り騒ぎが永遠に続くとか、復活するとか、そんなことはもう望みません。・・・昔は期待してましたがw しかし今はただ、こうして面白い作品が出続ける状態を喜ぶばかりです。

 長々と書いてしまいましたが、つい、そんな感慨にふけってしまいました。
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