iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アイドルマスターのエージェント夜を往くとティガレックス戦闘BGMを比較
 ready?氏
 

 モンハンのティガレックスのBGMが、『エージェント夜を往く』と似ているという話なんですが・・・本当に『エージェント夜を往く』が元ネタであるということは、十分にありえると思いますね。
 著作権関係に興味がある人なら知ってる人も多いと思いますが、商用音楽を作る時、ある音楽を元ネタにしつつ、「パクり」と文句を言われない程度まで変形して使う・・・ということは、実際によく行われていることです。なので、『エージェント』のメロディーをかなり改変して使った、というのはありうるでしょうね。それは別に悪いことでもなんでもなく、音楽だろうが絵画だろうが、どんな分野でも創作には必ずつきまとうものです。

 こういうのはすぐに「違法」とか「グレー」とかいい加減なことを言い出す人がいるので、あんまり法律の話をしたくはないんですが、一応言っておくと、こういった変形が違法になるためには、「類似」と「依拠」の両方が必要です。「類似」というのはどれくらい似ているか、「依拠」というのは元ネタを参考にしたか否か、です。
 つまり、たとえどれほど似ていようと(「類似」している)、相手のものを実際に参考にしたわけではなく、自分で独自に思いついたものなら(「依拠」していない)、違法にはなりません。また、相手のものを参考にはしたが(「依拠」している)、アレンジを加えた結果全然別物になったのなら(「類似」していない)、これも違法にはなりません。違法になるためには、元ネタとして使った上で(「依拠」している)、それなりに似ている(「類似」している)必要があります。「依拠」と「類似」の両方が必要なわけです。
 しかし、実際にはこれはとても難しい問題で、「類似」の程度はどうなんだとか、「依拠」の証明はどうなんだとかで、喧々諤々の議論があります。「類似」の方については、「先行著作物の表現形式上の本質的特徴部分を当該作品から直接感得できる程度に類似しているもの」(東京地判平成11年12月15日)という有名な判例がありますが、結局は裁判官の感覚で決まってしまいますw これは当たり前の話で、著作物の類似性に関して「ここまで似ているのをオッケーとしていいかどうか」を、厳格に形式的に決めることなんて不可能です。だって相手は著作物(=作品)なんですからw 感覚でやる以外にありません。
 また、実際には相手が「依拠したかどうか」なんてことを原告が証明するのは不可能に近い。「どこまでも行こう」事件(東京高判平成14年9月6日)では、小林亜星さんが服部克久さんを訴えましたが、「服部さんが俺の曲をパクった」ということは、証明のしようがない。「だって俺の曲にソックリじゃないか!」と言っても、「曲が似ている」というのは、法律上は「類似性」の問題であって、「依拠」の問題ではないからです。つまり小林亜星さんは、「曲が似ている」という事実以外で、相手が自分の曲をパクった証拠を持ってこなければならない。服部さんが「小林の曲をパクってやったぜ」と書いた日記とか・・・そんなもの、たとえ実際に服部さんがパクっていたとしても、民事訴訟で入手できるわけがないでしょう!w
 結局、裁判ではどうなったか。裁判所は「服部さんの曲は小林さんの曲とものすごく類似している。ということは、多分パクったに違いない!」「これだけ類似していることが、依拠の証拠だ!」とやったわけです。これは大問題になりました。実質的に、「依拠」の要件を外したに等しいからです。これだと本当は「依拠」していなくても、強く「類似」しているだけで、全くのオリジナルな創作物が違法になりうる可能性が出てきてしまいました。特に音楽はメロディーの類似が生まれやすい分野ですから、この判例には今でも強い反発があります。もちろん、実際にはこの問題はもっともっと複雑なのですが、今日はここら辺でやめておきます。

 こういった法律上の問題を見ても、著作権法というのは、なかなか矛盾を抱えた法律です。
 が、自分がこの記事を通して主張したいのは、なんでこんな問題が起こるのかということを突き詰めていくと、結局「依拠」と「類似」が創作の根本であるのに、「依拠」と「類似」の程度によっては、それを「悪」と感じてしまう人間の心理が根本にあるということです。この人間の複雑な感情を法律にしたのが著作権法なので、複雑な問題が生じるのは当然といったところです。
 しかも、最近は個性主義を通り過ぎた「個性信仰」とでもいうべきものが生まれてしまい、「依拠」と「類似」に対する世間の風当たりは強いです。「完全なオリジナル」なんてものはあるわけがないのに、それを求めた結果、逆に「依拠」と「類似」を避けた、当たり障りのない作品ばかりが生まれやすい傾向にあると思います。これに対する一つの反動が、堂々と「依拠してまーす!」ということを宣言してしまう二次創作なんでしょう。
 度を過ぎた「依拠」と「類似」が盗作となることは言うまでもありませんし、著作権法など存在せず、「本歌取り」のような技法のあった新古今和歌集の時代でも、盗作は激しい批判の対象でした。それでも現代人は、やはり「依拠と類似」との付き合い方が、あまり上手くないように思えます。これは単純な「寛容」では到底克服することは出来ず、やはり作品との付き合い方に関して、「野暮」とか「粋」とかいったセンスが必要なんじゃないかなと思っています。
スポンサーサイト

コメントの投稿

 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 白雅雪blog. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。