iM@S架空戦記を中心としたニコマスの感想サイトです。

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ノドが痛い
 今日は市内の図書館に行ってきましたが、全く勉強になりませんでした。
 なぜなら県立図書館で、『宝生流旅の友』を見つけてしまったからです。
 これ、天・地・人の全三巻で、合わせて7cmくらい厚みがありますが、これで宝生流の能200曲前後が、ほぼ全て入ってます。少し重いですが、バッグに入れれば余裕で持ち運べます。まさに旅の友。
 なので今日は一日、図書館では頭の中で歌って、家に帰って来てからは声に出して歌って、それで終わってしまいましたw 足袋も買ってしまいました。扇も出して舞の練習までして。ダメですね私は。一回心が動くと、もうそっちに行っちゃって。能の教室も、申込書を出す寸前です。

 ***

 糸冬Pのブログを最初から読んでます。まだノンブルが300近いんで、最新に追いつくことは多分ないとは思いますが、「呂凱P」なんていう懐かしい名前もあって、また見直したい架空戦記が増えてしまいました。
 あと、糸冬Pは幻戦記について、「リアルに考えれば、本当は言葉も通じないはず」と記事で書かれてます(当該記事)。
 確かに能の言葉(室町初期)なんかから見ると、あのいわゆる「時代劇言葉」というのは、実際の当時の言葉とは全然違うように思います。あの大河ドラマなんかで使われる「時代劇言葉」の起源はなんなんでしょうか。江戸時代くらいの言葉が、どの時代でも使われるようになったのでしょうか。
 ちょっと調べようがないので分からないのですが、おそらく時代考証に完璧なリアルさを求めると、作品として破綻するんだろうと思います。戦国時代の言葉でやろうと思えばやれるんでしょうけど、多分、誰も何言ってるか分からないでしょう。そこまで行くと「リアルって何?」ってことになると思います。
 しかし架空戦記の最右翼(筆者比)で「ハードでリアル」な作風の極北として知られていた糸冬Pの昔の記事を読んでいると、その彼でさえ、リアルと創作を天秤にかけて、創作のほうを取っているわけです。繰り返しになりますが、「リアルってなんだろう?」って感じですね。
 ま、それは一視聴者である自分には今すぐには分からないので、懸案にしておきます。

 あと参考までに、能の言葉(鎌倉後期?室町初期)を載せておきます。多分戦国時代も、似たような言葉で喋ってたと思いますので、「リアルとは何か」、考えてみてください。まあ、なんとなくは分かると思います。でも、この言葉でドラマや架空戦記は成り立たないと、自分は思っています。
 それでは、どうぞ。

シテ「なうなう御僧はいづくと思し召して、その梅を眺め賜い候ぞ」
ワキ「(中略)さてここをいづくと申し候ぞ」
シテ「さては始めたる御事にてましますかや。まづまづ御身はいづくより来たり賜ふぞ」
ワキ「是は和州三吉野の奥に山居の者にて候が、始めてここに来たりたり」
シテ「さればこそ見慣れ申さぬ御事なり。ここは又昔より故ある古宮にて・・・(後略)」

能『胡蝶』より ※「始めて」は誤字ではありません。

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